ロサンゼルス・レイカーズ

プロバスケットボールチーム

ロサンゼルス・レイカーズLos Angeles Lakers)は、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルスに本拠を置く全米プロバスケットボール協会(NBA)のチーム。ウェスタン・カンファレンスパシフィック・ディビジョンに所属。NBAの歴史の中で最も成功したチームの1つであり[6]ボストン・セルティックス(18回)に次ぐ歴代2位の17回のNBAチャンピオン、および1回のNBLチャンピオンを獲得している。その他に1回のマクドナルド選手権優勝、NBAカップ優勝がある。

ロサンゼルス・レイカーズ
Los Angeles Lakers
2022-23シーズンのロサンゼルス・レイカーズ
所属リーグ  NBA アメリカ合衆国の旗カナダの旗
カンファレンス  ウェスタン・カンファレンス 
ディビジョン  パシフィック 
創設 1947年 (77年前) (1947)
チーム史 ミネアポリス・レイカーズ
1947年–1960年
ロサンゼルス・レイカーズ
1960年–現在
本拠
ロサンゼルス・レイカーズの位置(アメリカ合衆国内)
ロサンゼルス・レイカーズ

カリフォルニア州の旗 カリフォルニア州ロサンゼルス
アリーナ クリプト・ドットコム・アリーナ[1]
1999年開設
チームカラー パープル, ゴールド, ブラック[2][3][4]
     
主なスポンサー Bibigo[5]
オーナー
社長 ジーニー・バス
GM ロブ・ペリンカ
ヘッドコーチ J・J・レディック
優勝歴 17回
(1949年, 1950年, 1952年, 1953年, 1954年, 1972年, 1980年, 1982年, 1985年, 1987年, 1988年, 2000年, 2001年, 2002年, 2009年, 2010年, 2020年)
ファイナル進出 32回 (1949年, 1950年, 1952年, 1953年, 1954年, 1959年, 1962年, 1963年, 1965年, 1966年, 1968年, 1969年, 1970年, 1972年, 1973年, 1980年, 1982年, 1983年, 1984年, 1985年, 1987年, 1988年, 1989年, 1991年, 2000年, 2001年, 2002年, 2004年, 2008年, 2009年, 2010年, 2020年)
ディビジョン優勝 33回 (1950年, 1951年, 1953年, 1954年, 1962年, 1963年, 1964年, 1966年, 1969年, 1971年, 1972年, 1973年, 1974年, 1977年, 1980年, 1982年, 1983年, 1984年, 1985年, 1986年, 1987年, 1988年, 1989年, 1990年, 2000年, 2001年, 2004年, 2008年, 2009年 2010年, 2011年 2012年, 2020年)
永久欠番  8   13   16   21   22   24   25   32   33   34   42   44   52   99 
NBAGL提携チーム サウスベイ・レイカーズ
公式サイト www.nba.com/lakers
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1947年にナショナル・バスケットボール・リーグ英語版 (NBL) のデトロイト・ジェムズという解散したチームを買収したことから始まり、新チームはミネソタ州ミネアポリスに本拠地を置き、ミネアポリス・レイカーズと命名された[7]。当初はNBLに所属していたが、1948年にNBLファイナルを制覇した後、当時ライバルリーグであったBAA英語版に加盟し、スター選手のジョージ・マイカンを中心に5度の優勝を果たした[8]

1960年代はエルジン・ベイラージェリー・ウェストを中心としたチームでNBAファイナルに6回進出したが、ボストン・セルティックスに6回とも敗北し、これにより長年にわたるセルティックスとのライバル関係が始まった。1968年に4度のシーズンMVPを受賞しているウィルト・チェンバレンを獲得、新しいヘッドコーチとしてビル・シャーマンを採用し、1972年に6回目となるNBAチャンピオンを制覇した。ウェストとチェンバレンの引退後、チームはカリーム・アブドゥル=ジャバーを獲得した。ジャバーは在籍中にシーズンMVPを複数回受賞したが、1970年代後半はファイナルに進出できなかった。しかし、1979年にフランチャイズに新たな黄金時代をもたらす2つの大きな変化が訪れた。1つ目はジェリー・バスがレイカーズを買収し、チームのオーナーとして、バスケットボールの試合はスポーツイベントとという概念を排除し、エンターテインメントの見世物として捉えるというビジョンを打ち出した[9]。2つ目は、1979年のNBAドラフトシドニー・モンクリーフではなくマジック・ジョンソン全体1位で指名したことが始まりだった[注 1]

ジョンソンとジャバーのコンビが誕生し、レイカーズは黄金時代を迎えた。1981年にパット・ライリーがヘッドコーチに就任し、1982年のNBAドラフトジェームズ・ウォージーが加わり、1980年代はNBAの強豪チームとして確立された。ジョンソンのファストブレイク、トランジションオフェンスから、「ショータイム・レイカーズ」の愛称で呼ばれるようになった。9年間で5度の優勝を果たし、その中には宿敵セルティックスとのファイナルでの対決も含まれていた。

ジャバーとマジックが引退した後、1990年代初頭は低迷していたが、1996年にシャキール・オニールコービー・ブライアントを獲得した。ヘッドコーチには1990年代に6回の優勝(その内2回のスリーピート)を成し遂げたフィル・ジャクソンが就任し、シャックとコービーのダイナミックデュオを擁し、チームは2000年から2002年にかけてフランチャイズ史上2回目となる3連覇を達成した。また、2009年2010年には2連覇を達成した。しかしその後10年間チームは低迷し続けることとなったが、2018-19シーズンよりレブロン・ジェームズを獲得した事により名門復活を掲げ、2019年にはアンソニー・デイビスを獲得し、2020年に優勝を果たした。

概要

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NBAの前身であるNBL英語版時代から存在し、多くのスター選手を輩出してきた古豪球団であり、東海岸ボストン・セルティックスに対して、西海岸きっての名門チーム。ビックマーケットのロサンゼルスに位置してることから、人気度と知名度が高く、著名人のレイカーズファンが多いことでも知られている。

チーム愛称の「レイカーズ」はミネアポリス時代に名付けられたもので、ミネアポリスの愛称が "City of Lakes" (湖の街)であることに由来する。ミネソタ州には面積10エーカー以上のが11,842もあり、うち22がミネアポリス市域にある[10]

同じロサンゼルスに本拠地を置くNBAチームのロサンゼルス・クリッパーズWNBAロサンゼルス・スパークスNHLロサンゼルス・キングスのホームアリーナであるクリプト・ドットコム・アリーナを共同で使用している[1]

1971-72シーズンにおいて、北米4大プロスポーツリーグの中でも最長となる33連勝という記録を保持している[11]。現在、レイカーズに在籍したことがある26人の選手と4人のヘッドコーチ殿堂入りとなっており、王朝時代を築いた4人の選手(ジャバー、マジック、シャック、コービー)らのレイカーズ在籍時に獲得したシーズンMVPは計8個である[12]

経済誌『フォーブス』によると、2021年のレイカーズの資産価値は推定46億ドルと算出しており、NBAチームの中ではニューヨーク・ニックス(50億ドル)、ゴールデンステート・ウォリアーズ(47億ドル)に次ぐ3位、全世界のスポーツチームの中では7位と格付されている[13]

歴史

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1947–1958:始まりとミネアポリス王朝

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1946年、デトロイト・ジェムズとして創設され、NBLに加盟。4勝40敗と惨憺たる結果に終わり(ジェムズの勝敗は通算勝敗に数えない)、1947年にはミネアポリスへ移転し、ミネアポリス・レイカーズと改称した。前年、デトロイト・ジェムズがリーグ最低の成績に終わっていたため、後に偉大なセンターとなるジョージ・マイカンをドラフトで獲得した。1948年、所属していたNBLとBAAが合併、NBAが結成される。

ジョン・クンドラに率いられたチームは後に殿堂入りしたヴァーン・ミッケルセンジム・ポラードド・ラヴレットらを擁し1952年から1954年までの3連覇を含み、1949年、50年にも優勝、6年間で5回優勝と黄金時代を築いた。

1958–1968:ロサンゼルスへ移転、セルティックスとのライバル関係

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米国でツインシティーズと言えば一般的にミネアポリスとセントポールを指すほどであるにもかかわらず、ミネアポリス・セントポール都市圏においてミネアポリスを名乗ったレイカーズはセントポールのファン獲得に失敗した。強豪チームでありながら人気の伸びに限界を感じたオーナーのボブ・ショートは、1960-61シーズン前にチームをロサンゼルスへ移転させ、ロサンゼルス・レイカーズと改称し、NBA初の西海岸のチームとなった。なお、この「失敗」以降、ミネアポリス・セントポール都市圏に本拠地を置いた北米4大プロスポーツリーグのチームは、ミネソタ・ツインズMLB1961年 -)、ミネソタ・バイキングスNFL、1961年 -)、ミネソタ・ノーススターズNHL1967年 - 1993年、現在のダラス・スターズ)、ミネソタ・ティンバーウルブズ(NBA、1989年 -)、ミネソタ・ワイルド(NHL、2000年 -)と、いずれも州名のミネソタを名乗っている。

1960年代は殿堂入りしたエルジン・ベイラージェリー・ウェストゲイル・グッドリッチそしてウィルト・チェンバレンを擁したが豊富なタレントにもかかわらず8年間のうち、6度もボストン・セルティックスを破ることができずに優勝することが出来なかった。

セルティックスのビル・ラッセルが引退するとNBAは新時代を迎えニューヨーク・ニックスが台頭しレイカーズと3回NBAファイナルで激突した。1960年代のライバルがセルティックスなら1970年代のライバルはニックスとなった。1970年にニックスとファイナルで対戦したが敗退する。1972年にベイラーが怪我が元で引退をするとチームの結束力は高まり、ビル・シャーマンヘッドコーチのもとでアメリカのプロスポーツチーム最多連勝記録33連勝を記録しファイナルでニックスを破り久々に優勝した。これはロサンゼルスにもたらされた最初のチャンピオンシップとなった。その後、チェンバレンやウェストなど主力選手が引退し世代交代していく。トレードでカリーム・アブドゥル=ジャバーを獲得したが見返りに有能な選手を放出したためしばらくは優勝できなかった。

1979–1991:「ショータイム」

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マジック・ジョンソンとアブドゥル=ジャバーらの「ショータイム」によりレイカーズを1980年代に5つのNBAタイトルに導いた。

1979年にマジック・ジョンソンが入団してから黄金時代を築く。 1979-80シーズンNBAファイナルフィラデルフィア・セブンティシクサーズを破り、ジョンソンは新人ながらファイナルMVPを受賞した。ジョンソンはジャバーが欠場した試合で42得点15リバウンド7アシストを記録してシリーズを制した。

1982年にはジェリー・ウェストがジェネラルマネージャーに就任、ジェームズ・ウォージードラフト1位で獲得し、ジョンソンを中心とした華やかな速攻からチームは「ショータイム」と呼ばれた。1980年代には元レイカーズの選手のパット・ライリー率いるレイカーズは10年間のうち、8回ファイナルに進出し、そのうち5度優勝した。1987年、88年の連覇は1969年のボストン・セルティックス以来であった。この間、ラリー・バード擁するボストン・セルティックスと3回対戦、そのうち2回優勝、ジュリアス・アービング擁するフィラデルフィア・セブンティシクサーズとは3回対戦して2回優勝している。

 
1985年のNBAファイナルにおけるマジック・ジョンソンとジャバー。

特に1987年のチームはボストン・セルティックスを倒しNBA歴代最高のチームに選ばれた。1988年、89年のファイナルではアイザイア・トーマスを中心としたバッドボーイズデトロイト・ピストンズと2年連続対戦、88年はトーマスの負傷もあって4-3で勝利したが、翌89年は4連敗で敗れた。アブドゥル=ジャバー、ライリーが去った91年にもファイナルに進出したがマイケル・ジョーダン擁するシカゴ・ブルズに敗れ、ジョンソンはしばらく現役を退いた。その後はウォージーも引退し、1990年代中盤頃にはセドリック・セバロスブラディー・ディバッツエルデン・キャンベルニック・バン・エクセルアンソニー・ピーラージョージ・リンチエディー・ジョーンズなど、好選手を多く擁した布陣を敷くが、プレーオフを勝ち抜くには至らなかった。

1996-2016:コービー・ブライアントの時代

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シャック&コービーの王朝

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フィル・ジャクソン
シャキール・オニール(左)とコービー・ブライアント(右)は3年連続のNBAチャンピオンをチームにもたらした。

1995-96シーズン終了後シャキール・オニールオーランド・マジックより獲得、シャーロット・ホーネッツが全体13位で指名したコービー・ブライアントを、ベテランセンター・ブラデ・ディバッツとのトレードで獲得、また全体24位でデレック・フィッシャーを獲得すると次第にチーム状態は上向き一躍優勝候補になった。

1999年にフィル・ジャクソンをヘッドコーチに迎え、グレン・ライスロン・ハーパーホーレス・グラント(デニス・ロッドマンも入っていたが、解雇される。)らベテラン選手を加えたチームは躍進し、レイカーズは2000年、2001年、2002年に3連覇を果たしオニールは3年連続でファイナルMVPを受賞して再び黄金時代を築いた。特に2001年のプレイオフのレイカーズは15勝1敗で過去最高の勝率を記録した。2003年にサンアントニオ・スパーズに敗北し、4連覇の道は閉ざされた。

2003-04シーズン前、勝利位の殿堂入りが確実なスター選手であるカール・マローンゲイリー・ペイトンとを加えたことにより「史上最強のチーム」が完成すると見られていた[14]、何とか2004年のファイナルに進出したが、マローンは怪我でコートに立つさえも難しい状態であったこともあり[15]デトロイト・ピストンズに1勝4敗で敗れた。オニールとコービーは不仲であり(どちらが攻撃の中心となるか、という問題において)、2004年7月にオニールはラマー・オドムカロン・バトラーとのトレードでマイアミ・ヒートに移籍し、フィル・ジャクソンデレック・フィッシャーカール・マローンゲイリー・ペイトンもそれぞれチームを去った。リック・フォックスが引退した。

コービー&ガソルの時代

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コービー・ブライアント(左)とパウ・ガソル(右)を中心に2連覇を達成した。

2004-05シーズンにプレイオフ出場を逃したが、2005-06シーズンにはフィル・ジャクソンが帰還。アンドリュー・バイナムをドラフト1巡目で獲得した。チームは、フランチャイズ歴代最多記録となる1試合81得点などを記録したコービーを中心に戦ったがウエスト7位に終わり、プレーオフ1回戦でフェニックス・サンズに敗れた。レイカーズが1回戦を勝ち上がっていた場合、同じステイプルズ・センターを本拠地とするロサンゼルス・クリッパーズとの対戦という面白い組み合わせとなるところだった。オニール退団後の数年は、コービーはスコアラーとしての能力を存分に発揮したが、チームとしては低迷していた。

2007-08シーズン、デレック・フィッシャーが4期ぶりに複帰、トレバー・アリーザらを獲得した。冬季トレード市場では、クワミ・ブラウンジャバリス・クリッテントンをドラフト指名権とのトレードでメンフィス・グリズリーズから2002年の新人王を受賞したパウ・ガソルを獲得するなど、補強に成功してNBAファイナルにも4年ぶりに進出したが、宿命のライバルであるボストン・セルティックスに2勝4敗で敗れた[16]

2008-09シーズン、ファイナルでオーランド・マジックを4勝1敗で破って優勝、コービーがファイナルMVPを獲得した[17]

 
ホワイトハウスに招かれたレイカーズ一同

2009-10シーズン、一昨年敗れた宿敵の相手ボストン・セルティックスをファイナルで破り2連覇を達成。

2010-11シーズンは3連覇を狙ったが、その年のファイナルを制したダラス・マーベリックスにプレーオフセミファイナルでスイープ負けを喫し、不完全燃焼でシーズンを終え、フィル・ジャクソンも退任した。

2011−12シーズン、シーズン途中に長年チームに貢献してきたフィッシャーを放出し、ジョーダン・ヒルを、ルーク・ウォルトンジェイソン・カポノを放出してレイモン・セッションズを獲得するなどのトレードを行い[18]、昨年の名誉挽回を試みたが、1回戦のデンバー・ナゲッツに予想外に手こずり7戦目でようやく勝利したが、2回戦はオクラホマシティ・サンダー相手に1勝しかできず、セミファイナルで敗退。

ナッシュ&ハワードの獲得、しかし低迷期へ

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2012年7月11日、サイン&トレードでMVPを2回獲得したスティーブ・ナッシュの獲得を発表。背番号は10。ナッシュの前所属であるフェニックス・サンズは2013年と2015年のドラフト1巡目指名権、2014年と2015年のドラフト2巡目指名権、現金300万ドル(約2億4,000万円)をレイカーズから獲得することとなった。さらに当時現役最強のセンターであったドワイト・ハワードオーランド・マジックから獲得し、3年ぶりの優勝を狙った。しかし、HCのマイク・ブラウンが取り入れた「プリンストン戦略」に選手が上手くハマらずプレシーズンは0勝8敗に終わり、史上初のプレシーズン全敗を記録した。加えてレギュラーシーズン第2戦目でナッシュが当時ルーキーのデイミアン・リラードと衝突、その際に右脚を骨折する重症を負い20試合以上を離脱することになった。結局、第4戦目にしてブラウンが成績不振を理由に解雇され、代わりにナッシュがサンズ時代にHCを勤めていたマイク・ダントーニが就任する。この就任はナッシュがダントーニの得意とするアップテンポなバスケスタイルを理解しており、以前アマレ・スタウダマイアーと展開したようなピック&ロールがハワードと再現できるとチームが考えていたからとされている。

しかしナッシュが怪我で離脱している間、チームの戦略がブラウンのディフェンシブな物からダントーニの超オフェンシブな物に変わり、チームは混乱に陥った。コービーのもとそこそこ奮闘したが、この方針の急転換に選手がついていけるはずがなく、成績は悲惨なものに。ダントーニの戦略を熟知しているナッシュが怪我から2ヶ月後に復帰した時期には希望が見えかけたが、ピック&ロールをほとんど経験していないハワードにはアマレのような立ち回りができず、NBAオールスターゲーム前の前半は25勝29敗と勝率5割をきっていた。オールスター後、ダントーニは「チームがプレイオフに行くには20勝8敗が最低条件」と言及。勝率5割をきっていた彼らには高すぎるハードルだった。

ところが、後半戦では快進撃を見せつけ「最低条件」をクリア。プレーオフ圏内の7位に滑り込んだ。しかし、コービーがレギュラーシーズン終了5日前のゴールデンステート・ウォリアーズ戦でアキレス腱を断裂、プレーオフは絶望的になった。

そんな状況で迎えたプレーオフでは、1回戦でサンアントニオ・スパーズと対戦。しかし、多くの選手を怪我で無くしていたチームは機能せず、屈辱のスイープ負け、屈辱のシーズンに幕が降ろされた。シーズン終了後、ハワードはヒューストン・ロケッツに移籍した。

2013-14シーズンはコービーがわずか6試合、ナッシュが15試合しか出場にできなかったこともあり、ロサンゼルスにフランチャイズ移転以降初めて30勝以下となる、27勝55敗でシーズンを終えた。8シーズン続いていたプレーオフ進出も途切れることとになった。

2014-15シーズンは、ヘッドコーチにチームOBのバイロン・スコットを招聘し、再スタートを切ることになった。しかしガソルがシカゴ・ブルズに移籍するなど暗雲は依然垂れ込めていた。チームはガソルの獲得に伴ってブルズから放出されていたカルロス・ブーザーと契約。更にヒューストン・ロケッツから地元出身のジェレミー・リンを獲得するなど、積極的に動いたが、前シーズンからの悪夢は続く。キャンプ中にニック・ヤングが右手を骨折し、ナッシュが持病の背中痛を悪化させてそのまま引退を表明。更に開幕戦のヒューストン・ロケッツ戦で、ルーキーのジュリアス・ランドルがシーズン絶望となる怪我(右足の骨折)を負ってしまう。そしてコービーも2015年に入って右肩を負傷し手術のためにシーズン残り試合を全休となるなど、ネガティブな要素ばかりが目立ってしまった。スコットHCが掲げていたチームディフェンスの立て直しも当然進まず、結局は前シーズンをも下回る21勝61敗というチームワーストの成績でシーズンを終えた。

2015-16シーズンは開幕直後からコービーが絶不調で、それに引きずられるようにチームも負けを重ねた。11月29日にコービーが引退宣言を行い、レジェンドのファイナル・シーズンにチーム内外から奮起を求められるも、その後もNBAワーストの28連敗中だったフィラデルフィア・76ersに敗れるなど調子は上がらず、2年連続でチームワーストを更新する17勝65敗に留まりウェスタン・カンファレンス最下位でシーズン終了。コービーに花道を飾ることはできなかった。

2016-2018:コービー引退後

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2016年4月24日、レイカーズはバイロン・スコットの次のシーズンの契約オプションを行使しないことを発表した[19]。4月29日、ルーク・ウォルトンを新ヘッドコーチとして就任した。ウォルトンは当時プレーオフ真っ只中のゴールデンステート・ウォリアーズのアシスタントコーチに就任していたため、ウォリアーズのプレーオフが終了するまで正式にヘッドコーチとして活動できなかった[20]2016年のNBAドラフトではデューク大学出身のブランドン・イングラムを全体2位で指名した[21]

2017年2月21日、レイカーズはゼネラルマネージャーのミッチ・クプチャクを解雇し、マジック・ジョンソンをバスケットボール事業の社長に任命した[22][23]。2017年3月7日、レイカーズはロブ・ペリンカをゼネラルマネージャーとして5年間の契約を結んだ[24]2017年のNBAドラフトでは昨年と同じ全体2位でロンゾ・ボールを指名した[25]。また、27位でブルックリン・ネッツから指名されたカイル・クーズマをドラフト開催日にブルック・ロペスデアンジェロ・ラッセルらが絡んだ大型トレードにより権利がレイカーズに移動し獲得した。

2018-現在 : レブロンの時代

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2018年のレブロン・ジェームズ

2018-19シーズン開幕前、FAとなったレブロン・ジェームズクリーブランド・キャバリアーズから獲得[26]マジック・ジョンソンGMは、"3年計画"での名門復活を掲げた[27]

2018-19シーズンは、シーズン中にトレードでアンソニー・デイビスの獲得を狙ったが、対価として放出されそうな若手達が動揺し、チーム内の雰囲気は悪化。結局デイビスの獲得には失敗し、最終成績はレブロンが加わったにもかかわらず前年からわずか2勝しか上積みできず、6年連続でプレーオフを逃した。ジョンソンは責任を取ってGMを辞任し、ヘッドコーチのルーク・ウォルトンも解雇。 5月13日、フランク・ヴォーゲルが新ヘッドコーチに就任した。2019年のNBAドラフトで1巡目4位の指名権を獲得した。7月6日、ニューオーリンズ・ペリカンズとのトレードでロンゾ・ボールブランドン・イングラムジョシュ・ハート、2019年のドラフト総合4位指名権を放出し、デイビスを獲得した[28]

 
2019年よりレイカーズのヘッドコーチに就任したフランク・ヴォーゲル

2019-20シーズンはレブロンとデイビスの強力なデュオを中心に開幕から勝利を積み重ねた。2019年12月12日のオーランド・マジック戦では96対87で勝利したことにより、ロード戦12連勝を記録し、ウェスタン・カンファレンス首位をキープ。また、22勝3敗という戦績は1985-86シーズンに並ぶ球団最高記録である[29]。ところが、順調なシーズンを送っていた2020年1月、コービー・ブライアントが不慮の飛行機事故で他界。更に3月にはCOVID-19の影響によるシーズン中断を余儀なくされるなど、試練がレイカーズを襲う。シーズンの中断後、レイカーズはレギュラーシーズンの最後の8試合に参加できるNBAバブル英語版に招待された22チームの1つに選ばれた。そしてレイカーズは2013年以来となるプレーオフ進出を決め、52勝19敗で10年ぶりとなる第1シードを獲得した[30]。プレーオフ1回戦ではポートランド・トレイルブレイザーズを5試合で破り、カンファレスセミファイナルのヒューストン・ロケッツ戦も5試合で破り、カンファレンス・ファイナルのデンバー・ナゲッツ戦もまたしても5試合で破って2010年以来となるNBAファイナルに進出した。ファイナルの相手はファイナル初出場となったジミー・バトラー擁するマイアミ・ヒートと対戦。結果はシリーズ4勝2敗で勝利し10年ぶりの優勝を果たした。また、レブロン・ジェームズは、キャリア4度目となるファイナルMVPに選ばれた。この優勝でレイカーズはフランチャイズ史上17回目のチャンピオンとなり、ボストン・セルティックスと並ぶ史上最多となった。そして2017年にジェリー・バスからチームを引き継いだレイカーズのオーナーである娘のジーニー・バスは、NBAチャンピオンを成し遂げた初の女性オーナーとなった。

2020-21シーズンでは、レイカーズ22番永久欠番エルジン・ベイラーが死去したことにより、レイカーズメンバーは黒い紋章をつけて出場することになった(これは2019-2020シーズンでコービー・ブライアントが亡くなった際にも同じである)。

Big3結成

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2021-22シーズン

開始前の8月6日、レイカーズはワシントン・ウィザーズブルックン・ネッツインディアナ・ペイサーズサンアントニオ・スパーズとの5チーム間の大型トレードでカイル・クーズマモントレズ・ハレルケンタビオス・コールドウェル=ポープ、2021年のドラフト1巡目指名権 (アイザイア・ジャクソン) を放出して、当時ワシントン・ウィザーズに所属していたラッセル・ウェストブルックを獲得し、ジェームズ、デイビス、ウェストブルックのBig3を結成させた[31]。また、FAからレブロンの盟友でもあるカーメロ・アンソニーと契約[32]、2020年の優勝に貢献したドワイト・ハワードもレイカーズに復帰した[33]。しかし、このBig3はジェームズ、デイビスの怪我やウェストブルックの不調も重なり噛み合わず、プレイオフ並びにプレーイン・トーナメントを逃してしまう。

2022-2023シーズン

2023年1月23日(現地時間)、ケンドリック・ナンと3つのドラフト2巡目指名権と引き換えにワシントン・ウィザーズから八村塁を獲得。八村はレイカーズで初の日本人選手となった。しかし、チームはプレーオフ圏内に入るには厳しくミネソタ・ティンバーウルブズユタ・ジャズとのトレードでラッセル・ウェストブルックをジャズにトレードし、その後ディアンジェロ・ラッセルジャレッド・バンダービルトらを獲得した。オースティン・リーブスの成長や八村、ラッセル、レブロンなどの活躍によりプレーイン・トーナメントを勝ち進みプレーオフに進んだ。プレーオフでは第二シードのメンフィス・グリズリーズを破り、二回戦ではステフィン・カリーのいるゴールデンステイト・ウォリアーズを破りカンファレンス・ファイナルまで辿り着いたがニコラ・ヨキッチ率いるデンバー・ナゲッツにスイープされてしまった。その後八村とリーブスは3年契約を結び、ラッセルは2年(最終年はプレイヤーオプション)の契約を結んだことにより体制維持に成功した。

2023-2024シーズン

オフにトーリアン・プリンスゲイブ・ビンセントらを獲得し、期待のかかるシーズンとなった。今年から導入されたNBAインシーズン・トーナメントの初代チャンピオンとなり、レブロン・ジェームズとアンソニー・デイビスがNBAオールトーナメントチームに選ばれ、レブロンが初代インシーズンMVPに選ばれた。チームはプレーオフにたどりついたものの去年と同じデンバー・ナゲッツに敗れてしまった。

2024-2025シーズン

2024ドラフトで全体55位指名でレブロンの息子であるブロニー・ジェームズを指名し、NBA史上初となる親子でのNBA在籍、チームメートとなった。しかし去年から波に乗れなかったレイカーズはダービン・ハムHCを解任しNBA経験のあるJJ・レディックを新たなヘッドコーチとした。

セレブリティ

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ハリウッドのそばにあるため、レイカーズの本拠地では有名な映画俳優が多数見られる。中でもジャック・ニコルソンが最も有名で彼はシーズンチケットを1967年より持っている。他によく知られているのは、デンゼル・ワシントンダスティン・ホフマンアンディ・ガルシアペニー・マーシャルアイス・キューブシルヴェスター・スタローンマイケル・クラーク・ダンカンダイアン・キャノンである。 南カリフォルニアに本拠地を置くレッド・ホット・チリ・ペッパーズのメンバーも長年のレイカーズファンであることが知られている。 「Salute to "Kareem" and "Magic Johnson", a tribute to the "Showtime"-era Lakers」 というジャバーやマジック・ジョンソンの歌が彼らのアルバム Mother's Milk にある。チリペッパーズのベースのフリーにより、2005-06シーズンNBA公式HPにレイカーズのブログが書かれた。 07-08シーズンでは、プロサッカー選手であるデビッド・ベッカムがロサンゼルスチームであるギャラクシーに移籍し、多々ステイプルズセンターを訪れ妻ビクトリア夫人と共に観戦し、話題を呼んだ。

その他

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ステイプルズ・センター (現クリプト・ドットコム・アリーナ) のカラーリング
  • ミネアポリス・レイカーズと呼ばれていた頃に、フォート・ウェイン・ピストンズと共に一試合の最低得点記録を持っている。1950年11月22日、対ピストンズ戦で、レイカーズは第4クォーターまでリードしていたが、ピストンズに試合をひっくり返され、19対18で負けている。これは、ショットクロックや10秒ルールなどが適用され、試合のテンポを早める工夫がされる前である。
  • ミネアポリスを本拠にした最後のシーズンの1960年1月18日、セントルイスからの遠征の帰途についていたレイカーズのメンバーを乗せたダグラス DC-3は飛行途中に電気系統が故障、無線やコンパスも使えなくなった。出発地に引き返すこともできたが、失敗した場合の被害の大きさを考え、目的地を目指した。機長は北極星を目印に飛行を続けた。空港まで燃料がもたないと判断し途中の高速道路に緊急着陸しようとしたが、副操縦士から「道路には溝や石、走行中の車もあるので危険だ」とアドバイスを受けて取りやめ、畑の方が積雪により安全性が高いという副操縦士の意見から、目視で発見したアイオワ州のキャロルという小さな町のトウモロコシ畑に緊急着陸、畑に50cmほど積もった雪がクッション代わりになり、乗っていたレイカーズの選手・コーチは全員無事だった[34]
  • 1960年にロサンゼルスに移転後以降、プレーオフに進出できなかったのはわずか9度である。
  • レイカーズはホームゲームでのジャージの色が白でない唯一のチームである(金)。ただし2002-03シーズンからは日曜や祝日のホームゲームでは白のジャージを着ている。
  • オーナーはジェリー・バス (現在は娘のジーニー・バスが引き継いでいる)。ジーニーはフィル・ジャクソンのガールフレンドでもある。ホームコートはロサンゼルスのダウンタウンにあるステイプルズ・センターだが、練習施設「トヨタ・センター」(浅田真央が練習をするスケートリンクもあり、NHL所属のキングスの練習場でもある)および、チームオフィスはロサンゼルス国際空港にほど近い、エルセグンドという街にある。

シーズンごとの成績

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Note: 勝 = 勝利数, 敗 = 敗戦数, % = 勝率

シーズン % プレーオフ 結果
ミネアポリス・レイカーズ
1947-48 43 17 .717 1回戦勝利
セミファイナル勝利
NBLファイナル優勝
レイカーズ 3, オールスターズ 1
レイカーズ 2, ブラックホークス 0
レイカーズ 3, ロイヤルズ 1
1948-49 44 16 .733 1回戦勝利
BAA準決勝勝利
BAA決勝優勝
レイカーズ 2, シカゴ 0
レイカーズ 2, ロチェスター 0
レイカーズ 4, シラキュース 2
1949–50 51 17 .750 1回戦勝利
ディビジョン準決勝勝利
ディビジョン決勝勝利
カンファレンス決勝勝利
NBAファイナル勝利
レイカーズ over ロチェスター
レイカーズ 2, シカゴ 0
レイカーズ 2, フォートウェイン 0
レイカーズ 2, アンダーソン 0
レイカーズ 4, シラキュース 2
1950–51 44 24 .647 ディビジョン準決勝勝利
ディビジョン決勝敗退
レイカーズ 2, インディアナポリス 1
ロチェスター 3 レイカーズ 1
1951–52 40 26 .606 ディビジョン準決勝勝利
ディビジョン決勝勝利
NBAファイナル勝利
レイカーズ 2, インディアナポリス 0
レイカーズ 3, ロチェスター 1
レイカーズ 4, ニックス 3
1952–53 48 22 .686 ディビジョン準決勝勝利
ディビジョン決勝勝利
NBAファイナル勝利
レイカーズ 2, インディアナポリス 0
レイカーズ 3, フォートウェイン 2
レイカーズ 4, ニックス 1
1953–54 46 26 .639 総当り戦
総当たり戦
ディビジョン決勝勝利
NBAファイナル勝利
レイカーズ 3-0 over
ロチェスター and フォートウェイン
レイカーズ 2, ロチェスター 1
レイカーズ 4, シラキュース 3
1954–55 40 32 .556 ディビジョン準決勝勝利
ディビジョン決勝敗退
レイカーズ 2, ロチェスター 1
フォートウェイン 3, レイカーズ 1
1955–56 33 39 .458 2回戦勝利
ディビジョン準決勝敗退
レイカーズ over セントルイス
セントルイス 2, レイカーズ 1
1956–57 34 38 .472 タイブレークゲーム敗退
ディビジョン準決勝勝利
ディビジョン決勝敗退
セントルイス over レイカーズ
レイカーズ 2, フォートウェイン 0
セントルイス 3, レイカーズ 0
1957–58 19 53 .264
1958–59 33 39 .458 ディビジョン準決勝勝利
ディビジョン決勝勝利
NBAファイナル敗退
レイカーズ 2, ピストンズ 1
レイカーズ 4, セントルイス 2
セルティックス 4, レイカーズ 0
1959–60 25 50 .333 ディビジョン準決勝勝利
ディビジョン決勝敗退
レイカーズ 2, ピストンズ 0
セントルイス 4, レイカーズ 3
ロサンゼルス・レイカーズ
1960–61 36 43 .456 ディビジョン準決勝勝利
ディビジョン決勝敗退
レイカーズ 2, ピストンズ 0
セントルイス 4, レイカーズ 3
1961–62 54 26 .675 ディビジョン決勝勝利
NBAファイナル敗退
レイカーズ 3, ピストンズ 2
セルティックス 4, レイカーズ 3
1962–63 53 27 .663 ディビジョン決勝勝利
NBAファイナル敗退
レイカーズ 4, セントルイス 3
セルティックス 4, レイカーズ 2
1963–64 42 38 .525 ディビジョン準決勝敗退 セントルイス 3, レイカーズ 2
1964–65 49 31 .613 ディビジョン決勝勝利
NBAファイナル敗退
レイカーズ 4, ボルチモア 2
セルティックス 4, レイカーズ 1
1965–66 45 35 .563 ディビジョン決勝勝利
NBAファイナル敗退
レイカーズ 4, セントルイス 3
セルティックス 4, レイカーズ 3
1966–67 36 45 .444 ディビジョン準決勝敗退 サンフランシスコ 3, レイカーズ 0
1967–68 52 30 .634 ディビジョン準決勝勝利
ディビジョン決勝勝利
NBAファイナル敗退
レイカーズ 4, ブルズ 1
レイカーズ 4, サンフランシスコ 0
セルティックス 4, レイカーズ 3
1968–69 55 27 .671 ディビジョン準決勝勝利
ディビジョン決勝勝利
NBAファイナル敗退
レイカーズ 4, サンフランシスコ 2
レイカーズ 4, ホークス 1
セルティックス 4, レイカーズ 3
1969–70 46 36 .561 カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝勝利
NBAファイナル敗退
レイカーズ 4, サンズ 3
レイカーズ 4, ホークス 0
ニックス 4, レイカーズ 3
1970–71 48 34 .585 カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝敗退
レイカーズ 4, ブルズ 3
バックス 4, レイカーズ 1
1971–72 69 13 .841 カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝勝利
NBAファイナル勝利
レイカーズ 4, ブルズ 0
レイカーズ 4, バックス 2
レイカーズ 4, ニックス 1
1972–73 60 22 .732 カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝勝利
NBAファイナル敗退
レイカーズ 4, ブルズ 3
レイカーズ 4, ウォリアーズ 1
ニックス 4, レイカーズ 1
1973–74 47 35 .573 1回戦敗退 バックス 4, レイカーズ 1
1974–75 30 52 .366
1975–76 40 42 .488
1976–77 40 42 .488 1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退
レイカーズ 4, ウォリアーズ 3
ブレイザーズ 4, レイカーズ 0
1977–78 45 37 .549 1回戦敗退 ソニックス 2, レイカーズ 1
1978–79 47 35 .573 1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退
レイカーズ 2, ナゲッツ 1
ソニックス 4, レイカーズ 1
1979–80 60 22 .732 カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝勝利
NBAファイナル勝利
レイカーズ 4, サンズ 1
レイカーズ 4, ソニックス 1
レイカーズ 4, シクサーズ 2
1980–81 54 28 .659 1回戦敗退 ロケッツ 2, レイカーズ 1
1981–82 57 25 .695 カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝勝利
NBAファイナル勝利
レイカーズ 4, サンズ 0
レイカーズ 4, スパーズ 0
レイカーズ 4, シクサーズ 2
1982–83 58 24 .707 カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝勝利
NBAファイナル敗退
レイカーズ 4, ブレイザーズ 1
レイカーズ 4, スパーズ 2
シクサーズ 4, レイカーズ 0
1983–84 54 28 .659 1回戦勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝勝利
NBAファイナル敗退
レイカーズ 3, カンザスシティ 0
レイカーズ 4, マーベリックス 1
レイカーズ 4, サンズ 2
セルティックス 4, レイカーズ 3
1984–85 62 20 .756 1回戦勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝勝利
NBAファイナル勝利
レイカーズ 3, サンズ 0
レイカーズ 4, ブレイザーズ 1
レイカーズ 4, ナゲッツ 1
レイカーズ 4, セルティックス 2
1985–86 62 20 .756 1回戦勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝敗退
レイカーズ 3, スパーズ 0
レイカーズ 4, マーベリックス 2
ロケッツ 4, レイカーズ 1
1986–87 65 17 .793 1回戦勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝勝利
NBAファイナル勝利
レイカーズ 3, ナゲッツ 0
レイカーズ 4, ウォリアーズ 1
レイカーズ 4, ソニックス 0
レイカーズ 4, セルティックス 2
1987-88 62 20 .756 1回戦勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝勝利
NBAファイナル勝利
レイカーズ 3, スパーズ 0
レイカーズ 4, ジャズ 3
レイカーズ 4, マーベリックス 3
レイカーズ 4, ピストンズ 3
1988–89 57 25 .695 1回戦勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝勝利
NBAファイナル敗退
レイカーズ 3, ブレイザーズ 0
レイカーズ 4, ソニックス 0
レイカーズ 4, サンズ 0
ピストンズ 4, レイカーズ 0
1989–90 63 19 .768 1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退
レイカーズ 3, ロケッツ 1
サンズ 4, レイカーズ 1
1990–91 58 24 .707 1回戦勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝勝利
NBAファイナル敗退
レイカーズ 3, ロケッツ 0
レイカーズ 4, ウォリアーズ 1
レイカーズ 4, ブレイザーズ 2
ブルズ 4, レイカーズ 1
1991–92 43 39 .524 1回戦敗退 ブレイザーズ 3, レイカーズ 1
1992–93 39 43 .476 1回戦敗退 サンズ 3, レイカーズ 2
1993–94 33 49 .402
1994–95 48 34 .585 1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退
レイカーズ 3, ソニックス 1
スパーズ 4, レイカーズ 2
1995–96 53 29 .646 1回戦敗退 ロケッツ 3, レイカーズ 1
1996–97 56 26 .683 1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退
レイカーズ 3, ブレイザーズ 1
ジャズ 4, レイカーズ 1
1997–98 61 21 .744 1回戦勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝敗退
レイカーズ 3, ブレイザーズ 1
レイカーズ 4, ソニックス 1
ジャズ 4, レイカーズ 0
1998–99 31 19 .620 1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退
レイカーズ 3, ロケッツ 1
スパーズ 4, レイカーズ 0
1999–00 67 15 .817 1回戦勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝勝利
NBAファイナル勝利
レイカーズ 3, キングス 2
レイカーズ 4, サンズ 1
レイカーズ 4, ブレイザーズ 3
レイカーズ 4, ペイサーズ 2
2000–01 56 26 .683 1回戦勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝勝利
NBAファイナル勝利
レイカーズ 3, ブレイザーズ 0
レイカーズ 4, キングス 0
レイカーズ 4, スパーズ 0
レイカーズ 4, シクサーズ 1
2001–02 58 24 .707 1回戦勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝勝利
NBAファイナル勝利
レイカーズ 3, ブレイザーズ 0
レイカーズ 4, スパーズ 1
レイカーズ 4, キングス 3
レイカーズ 4, ネッツ 0
2002–03 50 32 .610 1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退
レイカーズ 4, ウルブズ 2
スパーズ 4, レイカーズ 2
2003–04 56 26 .683 1回戦勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝勝利
NBAファイナル敗退
レイカーズ 4, ロケッツ 1
レイカーズ 4, スパーズ 2
レイカーズ 4, ウルブズ 2
ピストンズ 4, レイカーズ 1
2004–05 34 48 .415
2005–06 45 37 .549 1回戦敗退 サンズ 4, レイカーズ 3
2006–07 42 40 .512 1回戦敗退 サンズ 4, レイカーズ 1
2007–08 57 25 .695 1回戦勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝勝利
NBAファイナル敗退
レイカーズ 4, ナゲッツ 0
レイカーズ 4, ジャズ 2
レイカーズ 4, スパーズ 1
セルティックス 4, レイカーズ 2
2008–09 65 17 .793 1回戦勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝勝利
NBAファイナル勝利
レイカーズ 4, ジャズ 1
レイカーズ 4, ロケッツ 3
レイカーズ 4, ナゲッツ 2
レイカーズ 4, マジック 1
2009–10 57 25 .695 1回戦勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス準決勝勝利
NBAファイナル勝利
レイカーズ 4, サンダー 2
レイカーズ 4, ジャズ 0
レイカーズ 4, サンズ 2
レイカーズ 4, セルティックス 3
2010–11 57 25 .695 1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退
レイカーズ 4, ホーネッツ 2
マーベリックス 4, レイカーズ 0
2011–12 41 25 .621 1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退
レイカーズ 4, ナゲッツ 3
サンダー 4, レイカーズ 1
2012–13 45 37 .549 1回戦敗退 スパーズ 4, レイカーズ 0
2013–14 27 55 .329
2014–15 21 61 .256
2015–16 17 65 .207
2016–17 26 56 .317
2017–18 35 47 .427
2018–19 37 45 .427
2019–20 52 19 .732 1回戦勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝勝利
NBAファイナル勝利
レイカーズ 4, ブレイザーズ 1
レイカーズ 4, ロケッツ 1
レイカーズ 4, ナゲッツ 1
レイカーズ 4, ヒート 2
2020–21 42 30 .583 1回戦敗退 サンズ 4, レイカーズ 2
2021–22 33 49 .402
2022–23 43 39 .524 1回戦勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝敗退
レイカーズ 4, グリズリーズ 2
レイカーズ 4, ウォリアーズ 2
レイカーズ 0, ナゲッツ 4
2023–24 47 35 .573 1回戦敗退 ナゲッツ 4, レイカーズ 1
通算勝敗 3,550 2,454 .591
プレイオフ 467 318 .595 優勝17回

フランチャイズとNBA記録

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2020-21シーズン終了時点で、レイカーズはNBAで2番目の最多勝利(3,427)および勝率(.595)を誇る。また、最も多くNBAファイナルに出場し(31回)、優勝回数は歴代2位の17回である。レイカーズはまた、アメリカのプロチームの中で最も長い連勝記録33を持っている。プレーオフを逃したこともわずか10回(2019年時点)しかない。

主な選手

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現在のロスター

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ロサンゼルス・レイカーズ ロースター
プレーヤー スタッフ
Pos. # 名前 国籍 年齢 身長 体重 出身
G 12 マックス・クリスティー (Max Christie)   21 (2003/02/10) 6 ft 5 in (1.96 m) 190 lb (86 kg) ミシガン州立大学 
F/C 3 アンソニー・デイビス (Anthony Davis)   31 (1993/03/11) 6 ft 10 in (2.08 m) 253 lb (115 kg) ケンタッキー大学 
F 28 八村塁 (Rui Hachimura)   26 (1998/02/08) 6 ft 8 in (2.03 m) 230 lb (104 kg) ゴンザガ大学 
C 11 ジャクソン・ヘイズ (Jaxson Hayes)     24 (2000/05/23) 7 ft 0 in (2.13 m) 220 lb (100 kg) テキサス大学 
G 0 ジェイレン・フッド=シェフィーノ (Jalen Hood-Schifino)   21 (2003/06/19) 6 ft 6 in (1.98 m) 215 lb (98 kg) インディアナ大学 
G 9 ブロニー・ジェームズ (Bronny James) GL   20 (2004/10/06) 6 ft 2 in (1.88 m) 210 lb (95 kg) USC 
P/F 23 レブロン・ジェームズ (LeBron James)     39 (1984/12/30) 6 ft 9 in (2.06 m) 250 lb (113 kg) セント・ビンセント=セント・メアリー高等学校 
G/F 4 ダルトン・コネクト (Dalton Knecht)   23 (2001/04/19) 6 ft 5 in (1.96 m) 213 lb (97 kg) テネシー大学 
C 10 クリスチャン・コロコ (Christian Koloko)     24 (2000/06/20) 7 ft 1 in (2.16 m) 230 lb (104 kg) アリゾナ大学 
F 20 マクスウェル・ルイス (Maxwell Lewis)   22 (2002/07/27) 6 ft 7 in (2.01 m) 195 lb (88 kg) ペパーダイン大学 
G 41 クインシー・オリバリ (Quincy Olivari)     23 (2001/05/27) 6 ft 11 in (2.11 m) 250 lb (113 kg) ゼイビア大学 
G 15 オースティン・リーブス (Austin Reaves)   26 (1998/05/29) 6 ft 5 in (1.96 m) 197 lb (89 kg) オクラホマ大学 
G/F 5 キャム・レディッシュ (Cam Reddish)   25 (1999/09/01) 6 ft 7 in (2.01 m) 216 lb (98 kg) デューク大学 
G 1 ディアンジェロ・ラッセル (D'Angelo Russell) 6th   28 (1996/02/23) 6 ft 4 in (1.93 m) 193 lb (88 kg) オハイオ州立大学 
F 94 アーメル・トラオレ (Armel Traoré)     21 (2003/01/23) 6 ft 8 in (2.03 m) 210 lb (95 kg) フランス  
F 2 ジャレッド・バンダービルト (Jarred Vanderbilt)     25 (1999/04/03) 6 ft 8 in (2.03 m) 214 lb (97 kg) ケンタッキー大学 
G 7 ゲイブ・ビンセント (Gabe Vincent)   28 (1996/06/14) 6 ft 2 in (1.88 m) 200 lb (91 kg) UCサンタバーバラ 
F/C 35 クリスチャン・ウッド (Christian Wood)     28 (1996/09/22) 6 ft 9 in (2.06 m) 214 lb (97 kg) UNLV 

記号説明


外部リンク


更新日:2024年12月5日


保有するドラフト交渉権

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レイカーズは、NBA以外のリーグでプレーしている以下の未契約ドラフト指名選手の交渉権を保有している[35]。ドラフトで指名された選手(海外出身の選手または大学選手で、ドラフトで指名したチームと契約していない選手)は、NBA以外のどのチームとでも契約することが認められており、この場合、そのチームは、その選手のNBA以外のチームとの契約が終了してから1年後まで、その選手のNBAでの交渉権を保持することになる[36]。このリストには、他球団とのトレードで獲得した交渉権も含まれている。

ドラフト年 巡目 指名順 選手 Pos. 国籍 現所属チーム 注釈 参照
2009年 2 59 シネメル・イロヌー F/C   ナイジェリア カピタネス・デ・アレシボ (プエルトリコ) [37]
2014年 2 57 ルイス・ラベイリ F/C   フランス バレンシア・バスケット (スペイン) ニューヨーク・ニックスから獲得 [38]

歴代ドラフト指名

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レイカーズは歴史上で今まで3回、ドラフト全体1位で指名しており: エルジン・ベイラー (1958年)、マジック・ジョンソン (1979年)、ジェームズ・ウォージー (1982年)[39]、また、ロッタリーピックでの指名はこれまで6回しかない: エディ・ジョーンズ (1994年に全体10位指名)、アンドリュー・バイナム (2005年に全体10位指名)、ジュリアス・ランドル (2014年に全体7位指名)、ディアンジェロ・ラッセル (2015年に全体2位指名)、ブランドン・イングラム (2016年に全体2位指名)、ロンゾ・ボール (2017年に全体2位指名)である[39]。その他の主な指名選手としては、1960年代にジェリー・ウェストゲイル・グッドリッチ、1970年代にマイケル・クーパーノーム・ニクソン、1980年代にA.C.グリーンブラデ・ディバッツ、1990年代にエルデン・キャンベルニック・ヴァン・エクセルデレック・フィッシャーデヴィン・ジョージ、2000年代にルーク・ウォルトンサーシャ・ブヤチッチロニー・トゥリアフなどが挙げられる[39]

殿堂入りと永久欠番

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レイカーズには、39人 (選手29人、ヘッドコーチ5人、アシスタントコーチ1人、貢献者4人) が殿堂入りとなっている[40][41][42]

殿堂入り

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ロサンゼルス・レイカーズ殿堂入り
選手
No. 名前 ポジション 在籍期間 殿堂入り年 No. 名前 ポジション 在籍期間 殿堂入り年
99 ジョージ・マイカン 1 C 1948–1954
1955–1956
1959 22 エルジン・ベイラー F 1958–1971 1977
17 ジム・ポラード 2 F 1948–1955 1978 13 ウィルト・チェンバレン C 1968–1973 1979
44 ジェリー・ウェスト 3 5 G 1960–1974 1980 22 スレーター・マーティン G 1949–1956 1982
34 クライド・ラブレット FC 1953–1957 1988 42 コニー・ホーキンズ FC 1973–1975 1992
19 ヴァーン・ミッケルセン F 1949–1959 1995 33 カリーム・アブドゥル=ジャバー C 1975–1989 1995
25 ゲイル・グッドリッチ G 1965–1968
1970–1976
1996 11 ボブ・マカドゥー FC 1981–1985 2000
32 マジック・ジョンソン 4 6 G 1979–1991
1996
2002 42 ジェームズ・ウォージー F 1982–1994 2003
4 エイドリアン・ダントリー F 1977–1979 2008 11 カール・マローン 7 F 2003–2004 2010
73 デニス・ロッドマン F 1999 2011 52 ジャマール・ウィルクス F 1977–1985 2012
20 ゲイリー・ペイトン G 2003–2004 2013 23 ミッチ・リッチモンド G 2001–2002 2014
31 スペンサー・ヘイウッド F 1979–1980 2015 31 ゼルモ・ビーティ C 1974–1975 2016
34 シャキール・オニール C 1996–2004 2016 11 チャーリー・スコット G 1977–1978 2018
10 スティーブ・ナッシュ G 2012–2015 2018 12 ブラデ・ディバッツ C 1989–1996
2004–2005
2019
8
24
コービー・ブライアント G 1996–2016 2020 23 ルー・ハドソン G/F 1977-1979 2022
16 パウ・ガソル F/C 2008–2014 2023 5 ディック・バーネット G 1962–1965 2024
21 マイケル・クーパー G 1978–1990 2024
コーチ
名前 ポジション 在籍期間 殿堂入り年 名前 ポジション 在籍期間 殿堂入り年
ジョン・クンドラ HC 1948–1957
1958–1959
1995 ビル・シャーマン HC 1971–1976 2004
フィル・ジャクソン HC 1999–2004
2005–2011
2007 12 パット・ライリー 8 AS
HC
1979–1981 (アシスタント)
1981–1990 (ヘッド)
2008
テックス・ウィンター AS 1999–2008 2011 ルディ・トムヤノビッチ HC 2004–2005 2020
その他
名前 ポジション 在籍期間 殿堂入り年 名前 ポジション 在籍期間 殿堂入り年
ピート・ニューウェル英語版 9 GM 1972–1976 1979   チック・ハーン英語版 アナウンサー 1961–2002 2003
ジェリー・バス オーナー 1979–2013 2010 デル・ハリス ヘッドコーチ 1994-1999 2022
ジェリー・ウエスト GM 1982-2000 2024

注釈:

  • 1 1957年から1958年にかけてはコーチも務めた。
  • 2 1960年にはコーチも務めた。
  • 3 1976年から1979年にかけてはコーチも務めた
  • 4 1994年にはコーチも務めた。
  • 5 ウェストは1960年オリンピックチームのメンバーとしても殿堂入りを果たしている。
  • 6 ジョンソンは1992年のオリンピックチームのメンバーとしても殿堂入りを果たしている。
  • 7 マローンは1992年のオリンピックチームのメンバーとしても殿堂入りを果たしている。
  • 8 1970年から1975年まで選手として同チームでプレーした。
  • 9 ニューウェルは1960年のオリンピックチームのメンバーとしても殿堂入りを果たしている。

FIBA殿堂入り

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ロサンゼルス・レイカーズ殿堂入り
選手
No. 名前 ポジション 在籍期間 殿堂入り年
12 ブラデ・ディバッツ C 1989–1996
2004–2005
2010
34 シャキール・オニール C 1996–2004 2017
10 スティーブ・ナッシュ G 2012–2015 2020

永久欠番

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当時のステイプルズ・センター内に吊るされたレイカーズの永久欠番 (2013年)

レイカーズでは、選手と放送局の名誉を称え、11の背番号と1人のアナウンサーを欠番にさせた[43][44][45][46]

ロサンゼルス・レイカーズの永久欠番
No. 選手 ポジション 在籍期間 式典日
8 コービー・ブライアント G 1996–2006 2017年12月18日
13 ウィルト・チェンバレン C 1968–1973 1983年11月9日
16 パウ・ガソル F 2008–2014 2023年3月7日
22 エルジン・ベイラー F 1958–1971 1983年11月9日
24 コービー・ブライアント G 2006–2016 2017年12月18日
25 ゲイル・グッドリッチ G 1965–1968
1970–1976
1996年11月20日
32 マジック・ジョンソン G 1979–1991
1996
1992年2月16日
33 カリーム・アブドゥル=ジャバー C 1975–1989 1990年3月20日
34 シャキール・オニール C 1996–2004 2013年4月2日
42 ジェームズ・ウォージー F 1982–1994 1995年12月10日
44 ジェリー・ウェスト G 1960–1974 1983年11月19日
52 ジャマール・ウィルクス F 1977–1985 2012年12月28日
99 ジョージ・マイカン C 1948–1954
1955–1956
2022年10月31日
  チック・ハーン英語版 専属アナウンサー 1961–2002 2002年12月2日

また、ミネアポリス時代にフランチャイズの成功に貢献した数名の選手やコーチは、フランチャイズによって背番号は永久欠番にさせてはいないものの、ミネアポリス・レイカーズの名誉 (Honored Minneapolis Lakers) として表彰されている[47]

ミネアポリス・レイカーズの名誉ナンバー
No. 選手 ポジション 在籍期間
17 ジム・ポラード F 1948–1955
19 ヴァーン・ミッケルセン F 1949–1959
22 スレーター・マーティン G 1949–1956
34 クライド・ラブレット F/C 1953–1957
99 ジョージ・マイカン C 1948–1954
1955–1956
ジョン・クンドラ ヘッドコーチ 1948–1957
1958–1959

歴代ヘッドコーチ

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チーム記録

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ロサンゼルス・レイカーズ
通算出場試合 1,346
コービー・ブライアント
通算得点 33,643
コービー・ブライアント
通算リバウンド 11,463
エルジン・ベイラー
通算アシスト 10,141
マジック・ジョンソン
通算ブロック 2,694
カリーム・アブドゥル=ジャバー
通算スティール 1,944
コービー・ブライアント
1試合最多得点 81
コービー・ブライアント
1試合最多リバウンド 42
ウィルト・チェンバレン
1試合最多アシスト 24
マジック・ジョンソン
1試合最多ブロック 17
エルモア・スミス
1試合最多スティール 10
ジェリー・ウェスト
プレーオフ1試合最多得点 61
エルジン・ベイラー
プレーオフ1試合 最多リバウンド 29
ウィルト・チェンバレン
プレーオフ1試合 最多アシスト 24
マジック・ジョンソン
プレーオフ1試合 最多ブロック 8
シャキール・オニール
プレーオフ1試合 最多スティール 6
カリーム・アブドゥル=ジャバー


脚注

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注釈

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  1. ^ レイカーズにはすでにノーム・ニクソンという優秀なポイントガードがいたことから、モンクリーフはオフガードとして素晴らしい補強になる可能性があったため、ジョンソンかモンクリーフのどちらを指名するか迷っていた。

出典

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  1. ^ a b ステイプルズ・センター公式サイト” (英語). 2020年7月28日閲覧。
  2. ^ Media Guidelines And Policies” (英語). 2018–19 Los Angeles Lakers Media Guide. NBA Properties, Inc. (October 16, 2018). February 10, 2019閲覧。
  3. ^ “Nike Jerseys” (英語). NBA Media Ventures, LLC. (July 31, 2018). https://www.nba.com/lakers/nike-jerseys February 10, 2019閲覧。 
  4. ^ Los Angeles Lakers Reproduction Guideline Sheet” (英語). NBA Properties, Inc.. February 8, 2018閲覧。
  5. ^ Lakers x Bibigo”. Lakers.com. NBA Media Ventures, LLC (September 21, 2021). September 22, 2021閲覧。
  6. ^ Fromal, Adam (2017年9月23日). “Ranking Every NBA Franchise on Historical Success” (英語). 2022年2月7日閲覧。
  7. ^ Reavis, Tracey in Sacchare (ed) (2000). p. 95
  8. ^ Barreiro, Dan. "George Mikan: The First Icon". From the Official NBA Encyclopedia, Third Edition. NBA.com. 2012年6月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年11月20日閲覧
  9. ^ Ostler, Scott (February 19, 2013). “Remembering Jerry Buss and 'Showtime'”. San Francisco Chronicle. http://www.sfgate.com/sports/ostler/article/Remembering-Jerry-Buss-and-Showtime-4288541.php February 21, 2013閲覧。 
  10. ^ City By Nature Basics. Minneapolis Convention Center. 2024年2月17日閲覧.
  11. ^ All-Time Longest Win Streaks in NBA History” (英語). NBA.com. NBA Media Ventures, LLC (March 14, 2013). February 18, 2018時点のオリジナルよりアーカイブ。March 17, 2019閲覧。
  12. ^ シーズンMVP受賞者一覧”. basketball-reference.com. 2020年9月27日閲覧。
  13. ^ World’s Most Valuable Sports Teams 2021” (英語). Forbes (2021年5月7日). 2021年6月11日閲覧。
  14. ^ 2003-04 Lakers” (英語). LA TIMES. March 25, 2024閲覧。
  15. ^ karl Malone” (英語). LA TIMES. March 25, 2024閲覧。
  16. ^ 2007-08 Lakers” (英語). LA TIMES. March 25, 2024閲覧。
  17. ^ 2008-09 Lakers” (英語). LA TIMES. March 25, 2024閲覧。
  18. ^ Dream Come True' For The Lakers New #7, Ramon Sessions” (英語). CBS (March 16, 2012). March 25, 2024閲覧。
  19. ^ Lakers Part Ways with Head Coach Byron Scott” (英語). NBA.com (April 24, 2016). April 30, 2016閲覧。
  20. ^ Lakers Announce Agreement With Luke Walton to Become New Head Coach” (英語). Los Angeles Lakers (April 29, 2016). April 30, 2016閲覧。
  21. ^ Lakers draft Duke's Ingram with No. 2 selection” (英語). ESPN.com (June 24, 2016). June 16, 2017閲覧。
  22. ^ Lakers Name Earvin "Magic" Johnson President of Basketball Operations” (英語). NBA.com (February 21, 2017). February 23, 2017閲覧。
  23. ^ Lakers GM Mitch Kupchak, exec Jim Buss relieved of duties as Magic Johnson takes over basketball operations” (英語). latimes.com (February 21, 2017). February 26, 2017閲覧。
  24. ^ Lakers Name Rob Pelinka General Manager” (英語). NBA.com (March 7, 2017). March 13, 2017閲覧。
  25. ^ Lakers to Pick Second Overall at 2017 Draft” (英語). NBA.com (May 16, 2017). July 26, 2017閲覧。
  26. ^ LeBron James agrees to four-year, $153.3 million deal with Lakers” (英語). espn.com (2018年7月2日). 2019年2月9日閲覧。
  27. ^ Magic Johnson: Lakers to consult with LeBron James on moves” (英語). espn.com (2018年7月17日). 2019年2月9日閲覧。
  28. ^ Lakers Acquire Anthony Davis” (英語). Lakers.com. NBA Media Ventures LLC (July 6, 2019). March 16, 2020閲覧。
  29. ^ レイカーズ、1985-86シーズンに並ぶ球団最高記録…レブロンも今季6回目の“トリプルダブル”を達成”. basketballking.jp (2019年12月12日). 2020年7月19日閲覧。
  30. ^ デイビスが42得点と躍動したレイカーズ、ジャズを破り10年ぶりのウェスタン・カンファレンス首位が確定”. バスケットボールキング (2020年8月4日). 2020年8月4日閲覧。
  31. ^ Lakers Acquire Russell Westbrook”. NBA.com (August 6, 2021). August 6, 2021閲覧。
  32. ^ Lakers Sign Carmelo Anthony”. NBA.com (August 6, 2021). August 6, 2021閲覧。
  33. ^ Lakers Sign Dwight Howard”. NBA.com (August 6, 2021). August 6, 2021閲覧。
  34. ^ 故障した航空機に乗っていたチームの幸運と不運 残酷なまでの運命の違い… - スポーツニッポン、2016年12月5日
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  37. ^ Meet Chinemelu Elonu”. NBA.com (July 15, 2009). September 1, 2010時点のオリジナルよりアーカイブ。April 15, 2014閲覧。
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  46. ^ Lakers to retire Kobe Bryant's No. 8, 24 jerseys on Dec. 18”. ESPN.com (September 12, 2017). September 13, 2017閲覧。
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関連項目

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外部リンク

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