トゥーツ・シールマンス
ジャン=バティスト・フレデリク・イジドール・"トゥーツ"・シールマンス(Jean-Baptiste Frédéric Isidore "Toots" Thielemans, 1922年4月29日 - 2016年8月22日)はベルギーのハーモニカ奏者及びギタリスト、口笛奏者。シールマンス男爵(baron Thielemans)の称号を持つベルギー貴族である。ブリュッセル出身。
Jean "Toots" Thielemans | |
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トゥーツ・シールマンス (2006年6月4日) | |
基本情報 | |
出生名 | Jean-Baptiste Frédéric Isidore "Toots" Thielemans |
生誕 |
1922年4月29日 ベルギー ブリュッセル |
出身地 | ベルギー ブリュッセル |
死没 | 2016年8月22日(94歳没) |
ジャンル | ジャズ、フュージョン |
職業 | 作曲家、編曲家、ハーモニカ奏者、ギタリスト、口笛奏者 |
担当楽器 | ギター、ハーモニカ |
活動期間 | 1949年 - 2014年 |
著名使用楽器 | |
Hohner, Chromonica Models | |
ジャズハーモニカの分野を開拓した第一人者。日本のCMにも出演しており「ハーモニカおじさん」の愛称で知られ、ビル・エヴァンス、ニールス=ヘニング・エルステッド・ペデルセン、ジャコ・パストリアスと言った巨匠達との名演も繰り広げた。「Toots」というニックネームはミュージシャンの「Toots Mondello」と「Toots Camarata」に由来している。
バイオグラフィ
編集- ブリュッセル時代
3歳の頃からアコーディオンの演奏をするようになり、その後は趣味としてハーモニカの演奏も始めたことが、後のハーモニカ奏者になる起点にもなっている。10代の頃にはギターを弾くようになり、第2次世界大戦時のドイツ軍占領時期にはジャズの虜となって、ジャンゴ・ラインハルトに憧れ、チャーリー・パーカーの音楽からも影響を受けるようになった。1940年代にギタリストとして音楽活動を開始したが、ハーモニカの方が評判となった。その頃のステージング・スタイルはギターを弾きながら肩から掛けたハーモニカ・ホルダーのハーモニカを吹く、といったスタイルだった。トゥーツの最初の国際的な演奏は1950年にベニー・グッドマンのヨーロッパ・コンサート・ツアーに参加したときで、この後トゥーツはアメリカへ移住することとなり、本格的にジャズへの道を歩むようになる。
- ジョン・レノンへの影響
ビートルズのジョン・レノンはビートルズ、デビュー前ハンブルク巡業公演中の1959年に、現地クラブへ出演していたジョージ・シアリング・クインテットでのトゥーツの演奏を見て影響を受け、そのスタイルに憧れ、トゥーツが当時使っていたリッケンバッカーのショート・スケール・モデルとハーモニカに傾倒し、自身もトゥーツと同様にショート・スケール型のリッケンバッカー モデル#325とハーモニカを使うようになった。ジョン・レノンのリッケンバッカーも元々アルダー材{(Alnus rubra Bong., 1832) の木材} を使った1958年型ナチュラル・フィニッシュの3ピックアップ・モデルだったが、レコード・デビュー直前の1962年9月にはジェット・ブラックへ塗り替えられ、ボリュームとトーン・コントロールのノブが変えられて、ビートルズ時代に使っていて有名な姿へと変わっている。そして、ビートルズデビュー後もしばらくはリッケンバッカーとハーモニカがジョン・レノンのトレードマークになっていて、トゥーツの影響はこういった形でジョンにリスペクトされていた。
- アメリカへ移住
1952年、トゥーツはアメリカへ移住し、活動の拠点をジャズの本場アメリカへと移行した。アメリカでの初期の仕事はペンシルベニア州フィラデルフィアでの「チャーリー・パーカー・オールスターズ」のメンバーとしてだった。遂にトゥーツは彼がリスペクトしていたチャーリーとの演奏の機会を得ることが出来た。そして他には「ジョージ・シアリング・クインテット」などへも参加していた。1962年には「ブルーゼット(Bluesette)」を作曲、そしてトゥーツ独特なスタイルである「口笛とギターの1人ユニゾン」という演奏方法も使うようになった。次第に様々なアーティストと一緒にコンサート・ツアーやレコーディングに行うようになり、ジョージ・シアリング以降も、エラ・フィッツジェラルド、クインシー・ジョーンズ、ビル・エヴァンス、ジャコ・パストリアス、ナタリー・コール、パット・メセニー、ポール・サイモン、ビリー・ジョエル など、ジャズだけではなく幅広く活動し、ポピュラー音楽やCM音楽、テレビ番組「セサミ・ストリート」でのハーモニカ・ソロなど多岐にわたるようになった。ビル・エヴァンスの1978年にリリースされた『Affinity』ではデュオで演奏されている。1979年には来日し、ラテン・ジャズピアニストの松岡直也と共演したアルバム『KALEIDOSCOPE』をリリースしている。
- 1980年代の活躍
1980年代にはモダン・ジャズ以外にも、フュージョンやR&Bなど様々なトップ・アーティストと共演が増えた時期でもあった。クインシー・ジョーンズとのレコーディングでは、様々な演奏を聴かせ、特に1981年リリースのアルバム『The Dude』では、トゥーツご自慢の「口笛とギターの1人ユニゾン」奏法で、クインシーの楽曲へ繊細で心地よいサウンドを披露している。そして同年リリースのジャコ・パストリアスの『ワード・オブ・マウス』にも参加していて、ビッグ・バンドとの共演や、カバー曲、ビートルズのブラックバードでのトゥーツは歯切れ良いハーモニカ・サウンドで貢献している。その後、ジャコのワード・オブ・マウス・ビッグ・バンドでのオーレックス・ジャズ・フェスティバル 1982への参加や、ジャコとのヨーロッパ・ツアーなどを行っていて、1980年代半ばはジャコとのレコーディングやコンサート・ツアーなどが目立った。1983年にはビリー・ジョエルのアルバム『イノセント・マン』に参加し、「夜空のモーメント(原題:Leave a Tender Moment Alone)」という曲でハーモニカを演奏している。日本人アーティストの作品においても、レベッカが1989年にリリースしたアルバム『BLOND SAURUS』のニューヨークでのオーバー・ダビング・セッションに参加し、「LITTLE DARLING」という曲でハーモニカを演奏している。また、南野陽子のアルバム『GLOBAL』(1988年)、久保田利伸のアルバム『BONGA WANGA』(1990年)収録の「Love under the moon」などにもハーモニカ奏者として参加している。
- 1990年代以降
1992年から1993年にかけて、ブラジル音楽をテーマとした連作『The Brasil Project』『The Brasil Project, Vol. 2』を発表。2作とも、ブラジルの代表的ミュージシャン(ジョアン・ボスコ、シコ・ブアルキ、ジルベルト・ジル、イヴァン・リンス、ミルトン・ナシメント、カエターノ・ヴェローゾ他)がゲスト参加している。1998年にフレンチ・フレーバーなアルバム『Chez Toots』をリリースし、ゲスト・ボーカリストにはジョニー・マティス、シャーリィ・ホーン、ダイアナ・クラールらが参加し、売れ行きも好調だった。
2014年3月12日、シールマンスは今後のコンサートの予定をキャンセルし、音楽活動からの引退を発表した[1]。
2016年8月22日、ケガのため入院していたベルギーの病院で、老衰のため死去。94歳没[2]。
ディスコグラフィ
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脚注
編集- ^ “Toots, 91, calls it quits”. web.archive.org (2014年3月13日). 2024年3月23日閲覧。
- ^ “ハーモニカの世界的巨匠、トゥーツ・シールマンス氏死去 94歳 「セサミストリート」テーマ曲を演奏”. 産経ニュース (2016年8月23日). 2016年9月21日閲覧。