ダイアナ (ポール・アンカの曲)
「ダイアナ」(Diana) は、1957年にポール・アンカが作詞作曲し、自ら歌って有名にした楽曲で[1]、1957年5月にニューヨークのドン・コスタのスタジオで録音された。
「ダイアナ (Diana)」 | ||||
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ポール・アンカ の シングル | ||||
B面 | "Don't Gamble With Love" | |||
リリース | ||||
録音 |
1957年5月 ( アメリカ合衆国 ニューヨーク ドン・コスタによる) | |||
ジャンル | ポップ・ミュージック | |||
時間 | ||||
レーベル | ABCレコード | |||
作詞・作曲 |
ジョー・シャーマン ポール・アンカ | |||
ゴールドディスク | ||||
ゴールドディスク | ||||
ポール・アンカ 年表 | ||||
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その後、RCAレコードと契約した後、アンカは「ダイアナ」など数多くのヒット曲を1963年に再録音した。これらのバージョンは、イタリアでも、特別なLPとして発売された。
概要
編集この曲は、アンカの高校時代の同級生であったダイナ・アユーブ (Diana Ayoub) からヒントを得たともいわれているが[2]、2005年にナショナル・パブリック・ラジオ (NPR) のテリー・グロスが行ったインタビューの中で、アンカは、教会で出会った、ほとんど知らない少女から示唆を受けたと述べている。録音に参加したスタジオ・ミュージシャンの中には、ギターのバッキー・ピザレリ、ピアノのアーヴィング・ウェックスラー (Irving Wexler)、ベースのジェリー・ブルーノ (Jerry Bruno)、ドラムスのパナマ・フランシスらがいた。録音は、1957年5月にRCAのスタジオで行われた[3]。バッキング・ボーカルのひとりは、アーティー・リップ(後のレコード会社重役)であった。
ポール・アンカ自身による1957年のオリジナル盤は『ビルボード』誌の総合チャートであるトップ100では最高2位にとどまったが、「ベスト・セラーズ・イン・ストアズ (Best Sellers In Stores)」チャートで首位となり、のべ900万枚を売り上げたといわれている[4]。「ダイアナ」はR&B・ベスト・セラーのチャートでも首位に立った[5]。また、この曲は全英シングルチャートでも首位となり、イギリスでも125万枚を売り上げた[6][7]。
カバー
編集この曲には、数多くのカバーが存在している。1958年には、アンカ自身がイタリア語のバージョン(題名は英語と同じ「Diana」)を歌ったが、この歌詞を書いたのはマリオ・パンツェリであった。
フランキー・ライモン&ザ・ティーンエイジャーズも、この曲をカバーしている。
1965年、ボビー・ライデルがこの曲をカバーしてシングルとして出し、Billboard Hot 100の98位[8]、『ビルボード』誌の「ミドル・ロード・シングルズ (Middle Road Singles)」のチャートで23位まで上昇した[9][10]。
リッキー・マーティンは、(スペイン語の歌詞で歌われた1996年の)アンカのアルバム『Amigos』で、この曲をアンカとデュエットした。2006年には、イタリアの著名な歌手、エンターテイナーであるアドリアーノ・チェレンターノとアンカのデュエットが、モゴルことジュリオ・ラペッティ (Giulio Rapetti]) とチェレンターノの共作で新たに書かれたイタリア語の歌詞による「Oh Diana」として発表された。
ブルガリアのバンド、ウィケダは、バルカン半島民謡の要素を盛り込んで、この曲をカバーしており、またホラー・パンクのバンドであるミスフィッツは、アルバム『Project 1950』にこの曲を収録している。
この曲は、インドのヒンディー語映画の映画音楽でも2回カバーされており、いずれも1959年の映画であった。そのひとつは、映画『Dil Deke Dekho』で「Kaun yeh aaya mehfil me」として歌われたもので、音楽担当はウシャ・カンナであった。もうひとつは、映画『Baap Bete』[11]で「Bol bol bol my little dove」として歌われたもので、音楽担当はマダン・マホンであった。いずれの曲も、歌ったのはモハメド・ラフィであった。『Dil Deke Dekho』のバージョンの結末部には、アシャ・ボスレも登場する。
日本語による歌唱
編集「ダイアナ」は、いわゆる「ロカビリー」のブームが起こっていた日本でもヒットし、日本語詞を盛り込んだカバー・バージョンが、いろいろ制作された。渡舟人の日本語詞で山下敬二郎が歌った「ダイアナ」[12]は山下の代表曲とされる[13]。「ダイアナ」は、山下敬二郎の1958年4月のデビュー・シングル「バルコニーに坐って」のB面曲であったが、平尾昌章(のち昌晃)は音羽たかし名義の日本語詞でシングル「ダイアナ」を出し、B面に「バルコニーにすわって」を収録した[14]。平尾によると、平尾昌章盤の「ダイアナ」は、その1か月前に出された山下敬二郎盤の陰に隠れる形となり、あまりヒットしなかったという[15]。
ロックンロール・ミュージック/ヒデキ 1977年に発売された西城秀樹 のカバー・アルバム(LP)に収録。
チャート
編集チャート(1957年) | 最高位 |
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オーストラリア ARIAチャート | 1 |
カナダ Canadian Singles Chart | 1 |
イギリス 全英シングルチャート | 1 |
アメリカ合衆国『ビルボード』Billboard Hot 100 | 2 |
アメリカ合衆国『ビルボード』Best Sellers in Stores | 1 |
アメリカ合衆国『ビルボード』R&B Singles Chart | 1 |
関連項目
編集脚注
編集- ^ Gilliland, John (1969). "Show 12 - Big Rock Candy Mountain: Rock 'n' roll in the late fifties. [Part 2]" (audio). Pop Chronicles. University of North Texas Libraries.
- ^ Paul Anka doesn't live here anymore: Part 1 paulanka.com
- ^ Anka, Paul; Dalton, David (2013). My Way: An Autobiography. New York: St. Martin's Press. ISBN 9780312381042
- ^ Paul Anka, History of Rock and Roll. (URL accessed May 14, 2006)
- ^ Whitburn, Joel (2004). Top R&B/Hip-Hop Singles: 1942-2004. Record Research. p. 32
- ^ Ami Sedghi (2012年11月4日). “UK's million-selling singles: the full list”. The Guardian 2012年11月4日閲覧。
- ^ Rice, Jo (1982). The Guinness Book of 500 Number One Hits (1st ed.). Enfield, Middlesex: Guinness Superlatives Ltd. p. 33. ISBN 0-85112-250-7
- ^ Bobby Rydell - Chart History - The Hot 100, Billboard.com. Accessed May 22, 2016.
- ^ Bobby Rydell - Chart History - Adult Contemporary, Billboard.com. Accessed May 22, 2016.
- ^ "Middle Road Singles", Billboard, February 13, 1965. p. 50. Accessed May 22, 2016.
- ^ Baap Bete - IMDb
- ^ “ダイアナ”. 歌ネット動画プラス/PAGE ONE. 2016年7月22日閲覧。
- ^ “山下敬二郎さん死去…カーチス「最期までロカビリーだった」”. zakzak by 夕刊フジ/SANKEI DIGITAL INC. (2011年1月6日). 2016年7月22日閲覧。
- ^ “ダイアナ”. 歌ネット動画プラス/PAGE ONE. 2016年7月22日閲覧。
- ^ 平尾昌晃『昭和歌謡1945-1989 歌謡曲黄金期のラブソングと日本人』廣済堂新書、2013年、54-57頁。ISBN 978-4-331-51771-0。