ミスフィッツ
ミスフィッツ(The Misfits)は、アメリカ合衆国出身のハードコアパンク・バンド。
ミスフィッツ | |
---|---|
2010年撮影 | |
基本情報 | |
出身地 | アメリカ合衆国 ニュージャージー州ローディ |
ジャンル | |
活動期間 | |
レーベル | |
公式サイト | Misfits.com |
メンバー | |
旧メンバー | 別記参照 |
アンダーグラウンドの域を出なかったが、スラッシュメタル時代の「メタリカ」メンバーらが見出し評価されたグループの一つ。ボーカリスト グレン・ダンジグを輩出したことでも知られる。
概要・略歴
編集バンド名
編集女優マリリン・モンローの遺作である映画『The Misfits』(邦題:荒馬と女)に由来[3]。グレン・ダンジグが、モンローの死を取り巻く噂に非常に興味を持っていた。
結成期(1977年 - 1983年)
編集結成初期はグレン・ダンジグ(vo、piano)、ジェリー・オンリー(b)、マニー(ds)というギターレスの3人編成だったが、1978年には新ドラマーとギタリストを迎えて4人編成となり、1979年には彼等のシンボルとなる骸骨マーク「Crimson Ghost」や、髪の毛を真ん中に垂らしたトレードマーク“Devilock”が登場し、アイデンティティが確立された。その後、数度のメンバー・チェンジを経て、1980年に当時15歳だったジェリーの弟であるドイル(g)が加入、グレン、ジェリー、ドイルという黄金ラインナップが完成する。
1982年に記念すべき1stフル・アルバム「WALK AMOUNG US」、1983年に2nd「EARTH A.D./WOLFS BLOOD」を発表、しかしこの頃にはバンド間の不協和音が最高潮に達し、同年秋のハロウィン・ライヴを最後に解散した。
しかしその後、メタリカやガンズ・アンド・ローゼズ等がカヴァーを行い、解散後のミスフィッツは再評価されていった。グレンはそんな中、自己のプロジェクト「ダンジグ」の作品で高セールスを記録する。
新生ミスフィッツ(1995年 - 2015年)
編集一方ジェリー&ドイルはミスフィッツの再興を目指そうとした中、MISFITSの名称権をグレンが個人で所有していた件が発覚。ここで両サイドが対立し、約10年間の裁判沙汰の末ジェリー&ドイルが勝訴。1995年に新ドラマーと新ヴォーカリストを迎えて再結成を果たし、1997年に3rdアルバム『American Psycho』を発売、翌年初来日も果たした。
その後ロードランナーに移籍、1999年8月7日には富士急ハイランドで行われたマリリン・マンソンのフェスティヴァル“ビューティフル・モンスターズ・ツアー”に参加した。しかし2001年をもってドイルが脱退し、ジェリー主導の体制に移る。
リユニオン以降(2016年 - 現在)
編集脱退後のドイルはグレンと和解し、2004年頃からダンジグのライブに客演するなど旧交を温めていた。そして2016年、ジェリーとも和解を果たしたグレンが33年ぶりに正式メンバーとして復帰し、離脱していたドイルも復帰した[4]。
メンバー
編集※2020年6月時点
現ラインナップ
編集- グレン・ダンジグ (Glenn Danzig) - ボーカル (1977–1983, 2016- )
- ジェリー・オンリー (Jerry Only) - ベース (1977–1983, 1995– )、ボーカル (2001–2016)
- ドイル・ウルフギャング・フランケンシュタイン (Doyle Wolfgang Von Frankenstein) - ギター (1980–1983, 1995–2001, 2016- )
- エイシー・スレイド (Acey Slade) - ギター (2016- )
- デイヴ・ロンバード (Dave Lombardo) - ドラムス (2016- )
-
グレン・ダンジグ(Vo) 2013年
-
ジェリー・オンリー(B) 2007年
-
ドイル・ウルフギャング・フランケンシュタイン(G) 2013年
-
エイシー・スレイド(G)
-
デイヴ・ロンバード(Ds) 2017年
旧メンバー
編集活動初期
- ダイアン・ディピアッツァ (Diane DiPiazza) - ベース (1977)
- ジミー・バトル (Jimmy Battle) - ギター (1977)
正式メンバー確定後
- マニー・マルティネス (Manny Martínez) - ドラムス (1977)
- フランチェ・コーマ (Frank Licata) - ギター (1977–1978)
- ミスター・ジム (Jim Catania) - ドラムス (1978)
- ボビー・スティール (Bobby Steele) - ギター (1978–1980)
- ジョーイ・イメージ (Joey Poole) - ドラムス (1978–1979) ♰RIP 2020[7]
- アーサー・グーギー (Joseph McGuckin) - ドラムス (1980–1982)
- ロボ (Roberto Valverde) - ドラムス (1982–1983, 2005–2010)
- ブライアン・イメージ (Brian Keats) - ドラムス (1983)
- マイケル・グレイヴス (Michale Graves) - ボーカル (1995–2000)
- ドクター・チャド (Dr. Chud) - ドラムス (1995–2000)
- マーキー・ラモーン (Marky Ramone) - ドラムス (2001–2005)
- デス・カディナ (Dez Cadena) - ギター (2001–2016)
- エリック・アルセ (Eric "Goat" Arce) - ドラムス (2010–2016)
ディスコグラフィー
編集アルバム
編集スタジオアルバム
- Walk Among Us(1982年)
- Earth A.D.(1983年)
- American Psycho(1997年)
- Famous Monsters(1999年)
- Project 1950(2003年)
- The Devil's Rain(2011年)
ライブアルバム
コンピレーション
スプリットアルバム BALZAC & MISFITS: Don't Open 'Til Doomsday (2002年)
ボックスセット
編集- The Misfits(1996年)
脚注
編集- ^ a b c d e Huey, Steve. Misfits | Biography & History - オールミュージック. 2021年5月28日閲覧。
- ^ “13 Awesome Horror-Punk Songs (Not by the Misfits)”. Loudwire. Townsquare Media, Inc. (2021年1月15日). 2021年5月28日閲覧。
- ^ “ミスフィッツのグレン・ダンジグはいかにしてハードコア・パンクからメタル界のアイコンになったか”. U discovermusic.jp (2018年3月20日). 2020年6月3日閲覧。
- ^ 再結成を果たしたミスフィッツ、アルバムを作る可能性を示唆 | NME Japan
- ^ “ジ・オリジナル・ミスフィッツ、熱狂のLA公演を観た! 2万人以上が目撃したハードコア/パンクのレジェンドの勇姿”. rockinon.com (2019年7月2日). 2021年5月28日閲覧。
- ^ “ミスフィッツのグレン・ダンジグ、オリジナル編成での公演は当面のもので最後になると語る”. NME JAPAN (2019年6月19日). 2020年6月5日閲覧。
- ^ “ミスフィッツの元ドラマーであるジョーイ・イメージが逝去。享年63歳”. NME JAPAN (2020年6月2日). 2021年5月28日閲覧。