ボビー・ライデル
ボビー・ライデル(Bobby Rydell、1942年4月26日 - 2022年4月5日[1])は、アメリカ合衆国の歌手。本名ロバート・ルイス・リダレリ(Robert Louis Ridarelli)。イタリア系アメリカ人。
ボビー・ライデル Bobby Rydell | |
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基本情報 | |
出生名 | Robert Louis Ridarelli |
生誕 |
1942年4月26日 アメリカ合衆国ペンシルベニア州 |
死没 | 2022年4月5日(79歳没) |
ジャンル | ポップ |
活動期間 | 1958年 - 2022年 |
レーベル |
Cameo キャピトル Reprise Perception |
公式サイト | Official website |
経歴
編集デビューまで
編集ボビー・ライデルはペンシルベニア州フィラデルフィアの出身。ボビーをショウ・ビジネスの世界に送りこんだのは彼の父親であり、働いた給料でボビーにドラム・セットを送ったり、コンサートで一流の芸を鑑賞させた。ボビーはジーン・クルーパなどに関心を持ち、もの真似などの芸を磨いた。ポール・ホワイトマンのティーン向けタレント番組で認められ、1951年から1954年の間、出演し活躍した。父親はボビーのマネージャーも務めRCA、キャピトル・レコードなどに売り込んだがうまくいかなかった。Rocco & the Saintsというグループはフランキ―・アヴァロンがリーダーであったが一時的にドラマーの代わりを務めたこともあった。1958年ヴェニス・レコードから"Fatty fatty"でデビューするが、成功を得られなかった。
ティーン・アイドル
編集フィラデルフィアを本拠地とするカメオ・レコードのカル・マンとバーニー・ロウがボビーの才能を認め契約にいたり、3枚目のシングル「キッシン・タイム」が全米11位を記録し一躍ティーン・アイドルとして注目され、フィラデルフィアから中継されたディック・クラークの「アメリカン・バンドスタンド」にレギュラーとして出演しフェビアン、フランキー・アヴァロンとともに人気を高めた。次の「ウィ―・ゴット・ラブ」は全米6位を記録。1960年代に入るとヒットを連発しする。ロックン・ロールとは異なるアメリカン・ポップスの担い手としてボビー・ダーリン、ボビー・ヴィ―、ボビー・ヴィントンを合わせ4人ボビーとして活躍する一方、ナイト・クラブにも出演しヴォーカリストとしても注目を集めた。「ワイルド・ワン」は1960年全米第2位を記録しゴールド・ディスクを獲得し人気を確立した。その後も「青春スウインギン・スクール」「星空の花売り娘」「フォーゲット・ヒム」「愛なき世界」などヒットを連発、1965年までに33曲のチャート・ヒットを残した。「ヴォラーレ」「スウェイ」などはスタンダードとして今日でもよく聞かれている。[2]。日本でもこの時期かなりの人気をえて1964年には来日公演をおこなった。
移籍
編集1964年にはキャピトル・レコードに移籍し期待されたが、「ダイアナ」などがマイナー・ヒットを記録したもののビートルズをはじめとするブリティッシュ・インベイジョンの始まりとともにチャートから遠のいていった。フランク・シナトラに認められ1968年リプリーズ・レコードに移籍するもヒットはだせなかった。その後もパーセプション・レコードなどからシングル・レコードを発売するがヒットは出せず、1976年にはディスコ・ブームのなかピップ・レコードからリリースした。「スウェイ」のディスコ・バージョンがイージー・リスニング・チャートで27位を記録したのが最後のヒット。その後はオールディーズのショウなどを中心活躍した。フランキ―・アヴァロン、フェビアンと組んでのショウ「ゴールデン・ボーイズ・ツアー」も好評だった[3]。
ヒット・レコード
編集- キッシン・タイム(Kissin' time)全米11位(1960)
- ウィー・ゴット・ラブ-(We got love)全米6位(1960)
- Little bitty girl 全米19位(1960)
- ワイルド・ワン(Wild one)全米2位(1960)
- 青春のスウィンギング・スクール(Swingin' school)全米5位(1960)
- ヴォラーレ(Volare)全米4位(1960)
- スウェイ(Sway)全米14位(1960)
- グッド・タイム・ベイビー(Good time baby)全米11位(1961)
- 恋は魔術師(That old black magic)全米21位(1961)
- 星空の花売り娘(Door to paradise)全米85位(1961)
- ファンキー・ルックのお嬢さん(Gee it's wonderful)全米109位(1962)
- I'll never dance again"全米14位(1962)
- アイブ・ゴット・ボニー(I've got Bonnie)全米18位(1962)
- Cha cha cha 全米10位(1962)
- バタフライ・ベイビー(Butterfly baby)全米23位(1963)
- 燃えるバカンス(Wildwood days) 全米17位(1963)
- フォーゲット・ヒム(Forget him)全米4位(1964)
- 愛なき世界(World without love)全米80位(1964)
- ダイアナ(Diana)全米98位(1965)[4]
- ジョーカー(The Joker)全米131位(1965)
主要なアルバム
編集- We got love (1959年)
- Bobby sings (1960年)
- Bobby's biggest hits (1960年)
- Bobby Rydell salutes the great ones (1961年)
- Rydell at the Copa (1961年)
- All the hits (1962年)
- Bobby Rydell's biggest hits, volume 2 (1962年)
- All the hits, volume 2 (1963年)
- Bye bye Birdie (1963年)
- Wildwood days (1963年)
- Top hits of 1963 (1963年)
- Forget him (1964年)
- Somebody loves me (1965年)
出演
編集テレビ
編集- The Ed Sullivan Show「エド・サリバン・ショウ」(1960-1971)2回出演 (CBS)[6]。
- American bandstand (ABC) Host: Dick Clark(ディック・クラーク)
- 「コンバット」(1964)ゲスト出演
映画
編集日本公演
編集- 1962年2月5日-7日 赤坂ニュー・ラテン・クオーター
- 1964年9月20日 - 新宿厚生年金会館
脚注
編集- ^ “Bobby Rydell, 1960s pop idol and star of 'Bye Bye Birdie,' dies at 79” (英語). torontosun. 2022年4月6日閲覧。
- ^ Billboard book of nuumber two singles, by Christopher G. Feldman, Billboard Books, c2000, p.47. ISBNː 0-8230-7695-4
- ^ Faber companion to 20th century popular music, by Phil Hardy & Dave Lang, Faber & Faber, c1990, p. 696, ISBNː 0-571-16865-5
- ^ Top Pop singles;1955-2012, by Joel Whitburn, Record Research, c2013, p. 733 , ISBNː 978-0-8982020-5-2-
- ^ Goldmine records & prices, ed. by Tim Neely, Krause Publications, c2002, p.476, ISBNː 0-87349-414-8
- ^ Really big show; a visual history of the Ed Sullivan Show, ed. by Claudia Falkenburg & Andrew Solt, Sarah Lazin Books, c1992. p.255, ISBNː 0-670-84246-X
- ^ バイ・バイ・バーディー allcinema
- ^ https://www.imdb.com/title/tt0181053/?ref_=nm_flmg_act_4