ゼヴェリン・フロイント
ゼヴェリン・フロイント(Severin Freund、1988年5月11日 - )は、ドイツ、バイエルン州フライウング=グラーフェナウ郡フライウング出身の元スキージャンプ選手である。
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基本情報 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
フルネーム | Severin Freund | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
誕生日 | 1988年5月11日(36歳) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
出身地 |
ドイツ ドイツ、バイエルン州フライウング=グラーフェナウ郡フライウング | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
身長 | 185 cm | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
選手情報 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
クラブ | WSV DJK Rastbüchl | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
使用メーカー | フィッシャー | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
最高記録 | 245.0 m (ヴィケルスン 2015年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ワールドカップ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
シーズン | 2007年– | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
優勝回数 | 22回 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
他の表彰台 | 31回 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
表彰台獲得数 | 53回 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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最終更新日:2021年4月8日 |
プロフィール
編集フロイントは1993年からノルディック複合を始め、1995年に純ジャンプに転向した[1]。2002年からアルペンカップやジュニア国際大会に出場した。
2003年2月にソレフティアで行われたノルディックスキージュニア世界選手権に初出場、個人戦30位、団体戦11位となった。
2004/05シーズンに初めてスキージャンプ・コンチネンタルカップに昇格したが2本目に進めたのは2005年1月14日の札幌(兼札幌オリンピック記念国際スキージャンプ競技大会)のみであった。
2007年12月22日にエンゲルベルクのラージヒルでスキージャンプ・ワールドカップにデビュー、 2008年1月6日のビショフスホーフェンで初ポイントを獲得し2月のノルディックスキージュニア世界選手権では団体で金メダルを獲得した。
2011年1月16日に札幌でワールドカップ初勝利、翌日も2位となると1月30日にヴィケルスンで2勝目、2011年ノルディックスキー世界選手権ではノーマルヒル個人7位、ノーマルヒル団体ではマルティン・シュミット、ミヒャエル・ウアマン、ミヒャエル・ノイマイアーとともに銅メダルを獲得、ラージヒル個人12位、ラージヒル団体4位となった。2010/11シーズンのワールドカップ総合は自己最高の7位となった。2011/12シーズンは優勝こそなかったものの2位に3回入るなどして総合8位となった。
2012/13シーズンは開幕戦で2シーズンぶりの優勝をするなど序盤は好調だったが中盤に入り2本目に進めない(1本目で31位以下)試合もあるなど調子を落としたが2013年ノルディックスキー世界選手権ではノーマルヒル個人4位、ラージヒル個人9位、混合団体ではウルリケ・グレッスラー、リヒャルト・フライターク、カリーナ・フォークトとともに銅メダル、ラージヒル団体ではアンドレアス・ヴァンク、ミヒャエル・ノイマイアー、リヒャルト・フライタークとともに銀メダルを獲得した。シーズン総合は自己最高の4位となった。
2013/14シーズンは開幕から好調だったが、エンゲルベルクでは2本目に進めず、スキージャンプ週間は総合16位など調子を落とした。その後、ヴィリンゲンで2戦連続2位となって調子をあげてオリンピックに臨んだ。
2014年ソチオリンピックでは個人ノーマルヒルの1本目に転倒し31位に終わった。個人ラージヒルではメダルに一歩及ばない4位。アンドレアス・ヴァンク、マリヌス・クラウス、アンドレアス・ウェリンガーと組んだ団体では4番手を飛び、チーム合計1041.1ポイントで金メダルを獲得した。オリンピック後のスキーフライング選手権で金メダルを獲得。ワールドカップシーズン総合でも3位に入った。
2014/15シーズンは2月に入るとパフォーマンスは全開となり、2015年ノルディックスキー世界選手権では個人ラージヒルと混合団体で金メダル、個人ノーマルヒルで銀メダルを獲得、更に3月にはワールドカップ4連勝するなどしてワールドカップ総合首位を走った。最終戦の結果でスロベニアのペテル・プレヴツと同点となったが勝利数の差(9対3)でワールドカップ総合のタイトルを獲得した。ドイツ勢のワールドカップ総合優勝は1999/2000シーズンのマルティン・シュミット以来である。
2017年に十字靭帯断裂により[2]ワールドカップを離脱。2018年に復帰するが今度は半月板の手術で[3]再度離脱した。2020年にワールドカップに復帰し、2021年ノルディックスキー世界選手権では男子団体金メダルのメンバーとなった。 2021/22年シーズンはワールドカップ開幕時のドイツ代表メンバーから外れ、ジャンプ週間からワールドカップに復帰したが北京オリンピック代表メンバーからは落選した。オリンピック後のワールドカップにフル出場し総合30位でシーズンを終えて、2021/22年シーズン限りで引退したことを表明した。[4]
外部リンク
編集- FREUND Severin - 国際スキー連盟のプロフィール
- Kombiundspezinachwuchs.de: Severin Freund
- ゼヴェリン・フロイント - Olympedia
脚注
編集- ^ Sportlicher Werdegang von Severin Freund Archived 2011年1月8日, at the Wayback Machine.
- ^ “Severin Freund sustains ACL tear”. FIS. 2021年4月8日閲覧。
- ^ “Another setback for Severin Freund”. FIS. 2021年4月8日閲覧。
- ^ Severin Freund announces his retirement