ジェイソン・テリー

アメリカのバスケットボール選手 (1977 - )

ジェイソン・ユージーン・テリーJason Eugene Terry1977年9月15日 - )は、アメリカ合衆国ワシントン州シアトル出身のバスケットボール選手。ポジションは主にシューティングガードだがポイントガードもできる。現在はNBAGリーググランドラピッズ・ゴールドでヘッドコーチを務めている。ひざの怪我を防ぐためにハイソックスを履いてプレーしていた[1]。NBAでのスリーポイントフィールドゴール成功数は歴代3位である(引退当時)[2]

ジェイソン・テリー
Jason Terry
グランドラピッズ・ゴールド HC
ポジション SG/PG
役職 ヘッドコーチ
基本情報
愛称 JET
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生年月日 (1977-09-15) 1977年9月15日(47歳)
出身地 ワシントン州の旗 ワシントン州シアトル
身長(現役時) 188cm (6 ft 2 in)
体重(現役時) 82kg (181 lb)
ウィングスパン(現役時) 196cm  (6 ft 5 in)
キャリア情報
出身 アリゾナ大学
ドラフト 1999年 10位
選手経歴
1999-2004
2004-2012
2012-2013
2013-2014
2014
2014-2016
2016-2018
アトランタ・ホークス
ダラス・マーベリックス
ボストン・セルティックス
ブルックリン・ネッツ
サクラメント・キングス
ヒューストン・ロケッツ
ミルウォーキー・バックス
指導者経歴
2020-2021
2021-
アリゾナ大学 (AC)
グランドラピッズ・ゴールド
受賞歴
Stats ウィキデータを編集 Basketball-Reference.com
Stats ウィキデータを編集 NBA.com 選手情報 NBA.Rakuten

経歴

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プロ入りまで

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少年時代はシアトル・スーパーソニックスに所属していたゲイリー・ペイトンにあこがれていた[3]

1994年、1995年と2年連続で高校を州のチャンピオンに導いた。この時の背番号31は、2007年に永久欠番となった[4]

アリゾナ大学時代の1997年にはマイク・ビビーマイケル・ディッカーソン英語版マイルズ・サイモン英語版らとチームメートで、NCAAトーナメントに優勝している[5]。1999年にはパシフィック・テン・カンファレンスの最優秀選手、及びオールアメリカンのファーストチームに選ばれた。

アトランタ・ホークス

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1999年のNBAドラフトで、アトランタ・ホークスから1巡目全体10位で指名を受けた。 1999-2000シーズンには平均19.7得点をあげ、チームトップのスティールアシスト、フリースロー成功数を残しオールルーキー・セカンドチームに選ばれた。ホークスからオールルーキーチームに選ばれたのはステイシー・オーグモン以来のことであった[3]

2001年にはオーストラリアブリスベーンで行われたグッドウィルゲームズアメリカ代表として出場した。

2002年1月15日の、ダラス・マーベリックス戦で自己最多の46得点を記録[6]

2003年のシカゴ・ブルズ戦で初のトリプルダブルを達成した[3]このシーズン、彼は600アシストを達成したが、これはホークスの選手としてはムーキー・ブレイロックドック・リバースに次いで史上3人目であった[3]

ホークスには5シーズン在籍し、オールスターレベルの成績を残した。しかしチームはドアマットに沈んでおり、オールスターゲーム出場もなくプレーオフ出場は叶わなかった。ホークスではシューティングガードとして出場することが多かった。

ダラス・マーベリックス

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2004年8月、アントワン・ウォーカートニー・デルク英語版との交換で、アラン・ヘンダーソン英語版と共にダラス・マーベリックスへ移籍した[7]。マーベリックスではそれまで先発ポイントガードとして活躍していたスティーブ・ナッシュの移籍が決定しており、後釜の選手を熱望していた。ポイントガードとして、テリーはチームにフィットするまで多少の時間が掛かったものの、徐々にチームの攻撃的なスタイルに慣れていった。シーズン途中に移籍してきたダレル・アームストロングが先発出場し、テリーは6thマンとして出場する機会もあったが、大半では先発として出場、シュート成功率50%以上、3ポイントシュート成功率40%以上、フリースロー成功率80%の活躍をした[3]。そしてこの年、プレーオフ初出場を果たし平均17.5得点、シュート成功率51%の数字をあげる活躍を見せたがチームはカンファレンスセミファイナルでスティーブ・ナッシュが移籍したフェニックス・サンズに2勝4敗で敗れた。

2005-06シーズンは出場した全試合で先発出場した。デビン・ハリスら若手の活躍もあり、ゲーム途中はシューティングガードを務めるなどの器用な起用法でチーム躍進の鍵になった。その分、ポイントガードに徹していた昨年よりも平均得点は上昇しアシストは減少するというホークス時代のスタイルがマーベリックスで発揮された。サンアントニオ・スパーズとのカンファレンスファイナル第6戦は出場停止となったがチームは4勝3敗でNBAファイナル出場を決めた。ファイナル第6戦で彼はシュート25本中7本、3ポイントシュート11本中2本しか成功できずチームは2勝4敗でマイアミ・ヒートに敗れた。この年のプレーオフではチームトップの得点をあげた[8]

2006年7月1日、フリーエージェント市場が解禁されてわずか12時間後に彼はマーベリックスと6年契約を結んだ。

2006-07シーズンからは完全にシューティングガードにコンバートされて、このシーズンは1試合平均16.7得点をあげた。チームはウェスタン・カンファレンストップの67勝15敗の成績をあげたがプレーオフ1回戦でゴールデンステート・ウォリアーズに敗れた。第1シードのチームがプレーオフ1回戦で敗れたのは7試合制になってから初めてのことであった。

その翌年の07-08シーズン以降は徐々にシックスマンとしての出場が増え、08-09シーズンは74試合中63試合をシックスマンとして登場し、一試合平均19.6得点を挙げて初のタイトルとなるシックスマン賞を獲得した。マーベリックスからの受賞はロイ・タープリーアントワン・ジェイミソンに次いで3人目であった[3]

2010年3月、ミネソタ・ティンバーウルブズ戦で相手ガードのコーリー・ブリューワーとの接触プレーで眼窩底を骨折、手術を行った[9]。手術後7日から10日程度で復帰すると当初予想されていたが怪我による欠場は長引いた[10]

2011年5月8日のロサンゼルス・レイカーズ戦ではプレーオフタイ記録となる9本の3ポイントシュートを決める(それまでにレックス・チャプマン英語版ヴィンス・カーターレイ・アレンが記録していた。)など32得点をあげた。その試合で彼が失敗した3ポイントシュートはわずか1本であった[11]。NBAファイナルでは5年前と同じ相手、マイアミ・ヒートと対戦した。第6戦の前半、不調だったダーク・ノヴィツキーに代わり活躍、チームはこの試合に勝利し、4勝2敗でファイナル初優勝を果たした[12]

ボストン・セルティックス

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2012年7月18日、3年契約でボストン・セルティックスへ移籍した。

ブルックリン・ネッツ

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2013年6月28日、ポール・ピアースケビン・ガーネットとともにブルックリン・ネッツに移籍した。

ヒューストン・ロケッツ

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2014年7月、ヒューストン・ロケッツに移籍した。12月22日のポートランド・トレイルブレイザーズ戦で史上3人目となる2000本目のスリーポイントを成功させた(レジー・ミラーレイ・アレンに次ぐ)[13]

ミルウォーキー・バックス

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2016年8月18日、ミルウォーキー・バックスと契約[14]。2017年9月15日にバックスと再契約した[15]

選手としての特徴

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人物

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  • 10人兄弟の1人として生まれた。妻との間に4人娘がいる[3]ワシントン・ウィザーズに所属しているマーテル・ウェブスターとは従兄弟同士である。
  • 1995年にアリゾナ大学に入学したが、単位不足で卒業できないままプロ入りした。その後もオフには大学に通い、19年かけて卒業を果たした[16]
  • ニックネームは"JET"である[17]。その愛称に因んで、クラッチタイムでの3Pシュートを決めた時、両腕を翼のように広げ前傾姿勢で走りながらジェット機の真似をするパフォーマンスを行う[18]
  • ホークス時代からハイソックス(長靴下)を愛用している。
  • 背番号は長く「31」を着用し(ホークス、マーベリックス、ネッツ、ロケッツに所属していた合計16シーズン)、公式SNSアカウントにもこの番号を使用している。

個人成績

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略称説明
  GP 出場試合数   GS  先発出場試合数  MPG  平均出場時間
 FG%  フィールドゴール成功率  3P%  スリーポイント成功率  FT%  フリースロー成功率
 RPG  平均リバウンド  APG  平均アシスト  SPG  平均スティール
 BPG  平均ブロック   TO  平均ターンオーバー  PPG  平均得点
 太字  キャリアハイ  *  リーグリーダー  †  優勝シーズン

レギュラーシーズン

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シーズン チーム GP GS MPG FG% 3P% FT% RPG APG SPG BPG TO PPG
1999–2000 ATL 81 27 23.3 .415 .293 .807 2.0 4.3 1.1 .1 1.9 8.1
2000–01 82 77 37.7 .436 .395 .846 3.3 4.9 1.3 .1 2.9 19.7
2001–02 78 78 38.0 .430 .387 .835 3.5 5.7 1.8 .2 2.3 19.3
2002–03 81 81 38.0 .428 .371 .887 3.4 7.4 1.6 .2 3.1 17.2
2003–04 81 78 37.3 .417 .347 .827 4.1 5.4 1.5 .2 2.8 16.8
2004–05 DAL 80 57 30.0 .501 .420 .844 2.4 5.4 1.4 .2 1.8 12.4
2005–06 80 80 35.0 .470 .411 .800 2.0 3.8 1.3 .3 1.7 17.1
2006–07 81 80 35.1 .484 .438 .804 2.9 5.2 1.0 .2 1.9 16.7
2007–08 82 34 31.5 .467 .375 .857 2.5 3.2 1.1 .2 1.1 15.5
2008–09 74 11 33.7 .463 .366 .880 2.4 3.4 1.3 .3 1.6 19.6
2009–10 77 12 33.0 .438 .365 .866 1.8 3.8 1.2 .2 1.4 16.6
2010–11 82 10 31.3 .451 .362 .850 1.9 4.1 1.1 .2 2.0 15.8
2011–12 63 1 31.7 .430 .378 .883 2.4 3.6 1.2 .2 2.0 15.1
2012–13 BOS 79 24 26.9 .434 .372 .870 2.0 2.5 .8 .1 1.3 10.1
2013–14 BKN 35 0 16.3 .362 .379 .667 1.1 1.6 .4 .0 .8 4.5
2014–15 HOU 77 18 21.3 .422 .390 .813 1.6 1.9 .9 .2 1.0 7.0
2015–16 72 7 17.5 .402 .356 .818 1.1 1.4 .7 .1 .7 5.9
2016–17 MIL 74 0 18.4 .432 .427 .828 1.4 1.3 .6 .3 .5 4.1
2017–18 51 4 16.0 .383 .348 .889 .9 1.2 .8 .3 .5 3.3
通算:19年 1410 679 29.8 .444 .380 .845 2.3 3.8 1.1 .2 1.7 13.4

プレーオフ

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シーズン チーム GP GS MPG FG% 3P% FT% RPG APG SPG BPG TO PPG
2005 DAL 13 13 38.5 .506 .491 .884 4.2 4.6 1.3 .5 2.3 17.5
2006 22 22 38.4 .442 .307 .831 2.9 3.8 1.2 .0 2.0 18.9
2007 6 6 38.2 .424 .281 .833 2.3 3.7 .8 .3 2.8 17.0
2008 5 3 36.0 .433 .438 .867 1.6 4.8 .4 .2 1.0 15.8
2009 10 1 32.5 .389 .373 .767 2.8 1.9 .6 .3 1.6 14.3
2010 6 0 29.0 .377 .400 .750 2.5 2.0 .7 .2 1.0 12.7
2011 21 0 32.6 .478 .442 .843 1.9 3.2 1.2 .1 1.5 17.5
2012 4 1 34.8 .455 .500 .625 2.3 3.8 .3 .0 2.0 13.8
2013 BOS 6 1 31.5 .444 .441 .818 2.2 2.0 .7 .3 .8 12.0
2015 HOU 17 17 28.6 .425 .354 .813 2.2 2.8 .9 .1 1.2 9.2
2016 5 0 24.8 .342 .316 1.000 2.2 1.2 .4 .2 .6 7.0
2017 MIL 6 0 11.3 .333 .200 1.000 1.3 .8 .5 .2 .3 2.5
2018 3 0 14.7 .400 .400 --- .7 .7 .3 .0 .3 2.0
出場:13回 124 64 32.2 .441 .385 .829 2.5 3.0 .9 .2 1.5 14.1
 
シュートを放つジェイソン・テリー(中央)

脚注

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  1. ^ Jason Terry Interview”. sports.ign.com (2003年11月24日). 2011年6月13日閲覧。
  2. ^ NBA & ABA Career Leaders and Records for 3-Pt Field Goals”. basketball-reference.com. 2015年7月8日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g Jason Terry Fact”. JackBio. 2011年6月13日閲覧。
  4. ^ KingCo 4A Boys Roundup”. シアトル・タイムズ (2007年2月3日). 2011年6月13日閲覧。
  5. ^ NCAA Tournament Recap (Arizona-Kentucky)”. スポーツ・イラストレイテッド (1997年4月1日). 2011年6月13日閲覧。
  6. ^ Dallas Mavericks at Atlanta Hawks Box Score, January 15, 2002”. Basketball-Reference.com. 2020年7月27日閲覧。
  7. ^ Hawks to send Terry, Henderson to Dallas”. ESPN (2004年8月3日). 2011年6月13日閲覧。
  8. ^ With Jason Terry”. ニューヨーク・タイムズ (2006年10月29日). 2011年6月13日閲覧。
  9. ^ Terry suffers broken orbital bone”. ESPN (2010年3月5日). 2011年6月13日閲覧。
  10. ^ Mavs bank on Terry's history of healing”. ESPN (2010年4月8日). 2011年6月13日閲覧。
  11. ^ Sekou Smith (2011年5月9日). “Mavs Shooting Stars Go Off On Lakers”. hangtime.blogs.nba.com. 2011年6月13日閲覧。
  12. ^ マーベリックス31季目で初優勝”. 日刊スポーツ (2011年6月13日). 2011年6月13日閲覧。
  13. ^ Jason Terry becomes 3rd player to 2,000 career made threes”. en:Score Media and Gaming Inc. (2014年12月22日). 2020年7月27日閲覧。
  14. ^ Jason Terry to sign with Bucks
  15. ^ Bucks To Sign Jason Terry
  16. ^ Mio Kiyoshi (2014年6月24日). “【NBA】ジェイソン・テリーが19年かけてアリゾナ大を卒業”. 2014年6月24日閲覧。
  17. ^ Jason Terry Bio Page”. nba.com. 2011年6月13日閲覧。
  18. ^ The Jet is ready for Takeoff: Terry leads Mavs to 86-83 Win, Series Tied”. starberryicecream.com (2011年6月8日). 2011年6月14日閲覧。

外部リンク

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