シネマ5
シネマ5・シネマ5bis(シネマファイブ・シネマファイブビス)は、大分県大分市府内町2丁目4-8の若竹ビル2階にある映画館(ミニシアター)。
シネマ5・シネマ5bis | |
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シネマ5bisの入口 | |
情報 | |
正式名称 | シネマ5 |
開館 | 1989年1月7日 |
開館公演 | 『ベルリン・天使の詩』(シネマ5) |
客席数 |
74席(シネマ5) 168席(シネマ5bis) |
設備 | ドルビーサラウンド |
用途 | 映画上映 |
所在地 |
〒870-0021 大分県大分市府内町2丁目4-8 若竹ビル2階(シネマ5・北緯33度14分13.8秒 東経131度36分33.6秒) 大分県大分市府内町3丁目7-7 セントラルプラザ地下1階(シネマ5bis・北緯33度14分15.4秒 東経131度36分36.8秒) |
アクセス | JR大分駅から徒歩 |
外部リンク | http://www.cinema5.gr.jp/ |
沿革
編集- 1989年(平成元年)1月7日 - シネマ5が開館。
- 2011年(平成23年) - シネマ5bisが開館。
データ
編集- シネマ5
- 所在地:大分県大分市府内町2丁目4-8 若竹ビル2階
- アクセス : JR日豊本線・豊肥本線・久大本線大分駅から北に徒歩10分
- 座席数:74席
- 機材 : 35mm映写機、DLPプロジェクター
- 音響 : ドルビー、ドルビーSRD
- 支配人 : 田井 肇
- シネマ5bis
- 所在地:大分県大分市府内町3丁目7-7 セントラルプラザ地下1階
- アクセス : JR日豊本線・豊肥本線・久大本線大分駅から北に徒歩10分
- 座席数:168席
- 機材 : 35mm映写機、DLPプロジェクター
- 音響 : ドルビー、ドルビーSRD
- 支配人 : 田井 肇
歴史
編集大分県の映画
編集昭和30年代には大分県に140もの映画館があり、大分市中心部の府内町だけで大小20もの映画館や劇場があった[1]。府内町の映画館は次第に減っていき、1980年代後半(昭和60年代)にはシネマ1・2・3・4・5とセントラル劇場(4スクリーン)のみとなった[1]。当時の大分市にはミニシアターが存在せず、単館系作品は映画サークルなどが映画館のスクリーンを借りて自主上映を行っていた[1]。
シネマ5開館
編集シネマ5支配人の田井肇(たいはじめ)は1976年に第1回湯布院映画祭が初開催された際のメンバーであり[2]、第13回まで中心メンバーを務めた[3]。1980年代末、二番館のシネマ5が閉館を検討した際に、府内五番街商店街のビルにある上映設備を田井が施設を譲り受け、1989年1月7日に名称を受け継いだミニシアターのシネマ5が開館。初回上映作品は『ベルリン・天使の詩』だった[1]。
開館初日の1月7日朝には昭和天皇が崩御したため、シネマ5は休憩中の音楽もなくひっそりと営業した[1]。開館時の資金は390万円であり、年間130万円ずつ赤字を出しても3年間は持つという試算だった[3]。館名を変更しなかったのは、将来的な見通しがわからなかったためだという[2]。
開館から5年が過ぎた頃には会員数が1000人を突破し[3]、継続的に続けていく目途が立った。シネマ5開館から数年でシネマ1・2・3・4の4館が閉館し、2010年にはシネマ5から徒歩1分ほどの距離にあるセントラル劇場も閉館[1]。大分市中心部の映画館はシネマ5のみとなった[1]。
シネマ5bis開館
編集閉館予定だったセントラル劇場跡地の1館を田井が引き継ぎ、2011年3月12日、シネマ5の2号館であるシネマ5bisを開館させた[1]。開館前日には東日本大震災が起こっている[1]。2000年にはシネコンのシネフレックス(現・TOHOシネマズ大分わさだ)が、2002年にはT・ジョイパークプレイス大分がそれぞれ大分市南部郊外に開館した。田井はシネマ5の支配人を務める傍らで、別府大学芸術文化学科の講師を務め、朝日新聞大分県版でコラムを連載している[3]。
その後
編集2010年には学生を対象として鑑賞料金を500円とする「ムービー・スカラー」制度を開始した[4]。2010年2月13日には豊後高田市出身の瀬々敬久が監督した5時間14分の超大作『ドキュメンタリー頭脳警察』の公開を機に、瀬々監督が舞台挨拶を行った[5]。なお瀬々監督は2011年に大分合同新聞文化賞・芸術文化賞を受賞。同年11月3日の『ヘヴンズ ストーリー』上映会では、山崎ハコ、村上淳と共にトークショーを行っている[6]。
2013年6月には松本清張原作・野村芳太郎監督作品を一挙に6作品上映する特集上映を行い、『砂の器』(1974年)、『張込み』(1958年)、『鬼畜』(1978年)、『影の車』(1970年)、『疑惑』(1982年)、『ゼロの焦点』(1961年)をすべて35mmフィルムで上映した[7]。9月21日には『日本の悲劇』(小林政広監督)に主演した仲代達矢がシネマ5bisでの上映時にトークショーを行った[8][9]。2013年には年間180本を上映した[4]。
2014年1月19日には目の不自由な人を対象として映画の生ガイドを行う上映会が開催された[10]。2015年8月5日には『野火』の監督と主演を務めた塚本晋也が舞台挨拶を行った[11]。
2017年1月14日にはアニメ映画『この世界の片隅に』の監督を務めた片渕須直が舞台挨拶で来館[12]。また片渕監督の『マイマイ新子と千年の魔法』(2009年)が同年4月1日から7日までアンコール上映された[13]。
コミュニティシネマセンター
編集シネマ5支配人の田井肇は、全国のミニシアターの結束を目的として2003年に活動を開始した「コミュニティシネマセンター」で代表理事を務めている[14]。発足当初は珍しい外国映画などの地方巡回を目的とするミニシアターの連絡会だったが、2000年頃からNPO法人などがミニシアターの運営にかかわるケースが増え、現在のコミュニティシネマセンターという形態に変化した[14]。
2008年には各地のミニシアターが「シネマ・シンジケート」を設立し、田井は副代表に就任[15]。単館では配給が難しい良作をシンジケート加盟館で上映してきた。2013年には、静岡県浜松市のシネマイーラの呼びかけで製作された『楽隊のうさぎ』をコミュニティシネマセンター加盟館が上映した[14]。
脚注
編集- ^ a b c d e f g h i シネマ5 シネマ5bis 港町キネマ通り
- ^ a b 「(映画館をたどって2 : 2)かくも多き不在」朝日新聞 2014年5月20日
- ^ a b c d プロとして常にチャレンジしたいですね vol.5 田井肇 ISM
- ^ a b 「学生に500円で映画を シネマ5、応援会員募る」朝日新聞 2014年5月20日
- ^ 「伝説のバンド追う 瀬々監督「頭脳警察」上映スタート 大分で舞台あいさつ」朝日新聞 2010年2月15日
- ^ “大分シネマ5、11月3日に一回限定上映!!”. 映画「ヘヴンズ ストーリー」公式ブログ. CyberAgent (2011年10月27日). 2018年9月8日閲覧。
- ^ 「清張原作・野村監督の6作を上映 8日から、大分のシネマ5bis」朝日新聞 2013年6月4日
- ^ 「仲代さんが来県、主演の感想語る 映画『日本の悲劇』公開前」朝日新聞 2013年9月24日
- ^ 「映画史に残る4作品上映 31日からシネマ5bis 仲代さんトークショーも」朝日新聞 2013年8月29日
- ^ 「映画、聴いて楽しむ 視覚障害者へ大分の団体活動5年、『生ガイド』も」朝日新聞 2014年4月11日
- ^ 「『戦争への危機感から制作』『野火』塚本監督、大分で舞台あいさつ」朝日新聞 2015年8月7日
- ^ “大ヒット御礼!大分&長崎&佐賀 舞台挨拶!!”. 映画「この世界の片隅に」公式サイト (2016年12月28日). 2018年9月8日閲覧。
- ^ “アンコール上映 劇場追加(東京・東銀座)4/1は片渕監督舞台挨拶も!”. 映画「マイマイ新子と千年の魔法」公式サイト (2017年3月17日). 2018年9月8日閲覧。
- ^ a b c 「ミニシアター発、映画製作 街再生ねらい、地方館の連携深化」朝日新聞 2013年12月17日
- ^ 「『いい映画、地方にも』 ミニシアターが上映網『シネマ・シンジケート』発足」朝日新聞 2008年7月2日
参考文献
編集- 『映画年鑑 別冊 映画館名簿』時事映画通信社、各年度版
- 田井肇「ケーススタディ2 映画館の運営」映画芸術編集部『映画館のつくり方』AC Books、2010年
関連項目
編集- 日田シネマテーク・リベルテ(大分県日田市)
- 別府ブルーバード劇場(大分県別府市)
- 宮崎キネマ館(宮崎県宮崎市)
- KBCシネマ(福岡県福岡市)
- Denkikan(熊本県熊本市)
- シアター・シエマ(佐賀県佐賀市)
- 長崎セントラル劇場(長崎県長崎市)
- ガーデンズシネマ(鹿児島県鹿児島市)
- リナシアター(鹿児島県鹿屋市)
- 桜坂劇場(沖縄県那覇市)
外部リンク
編集- 公式サイト
- シネマ5 (シネマ5-402732933145783) - Facebook
- シネマ5 (@cinema5oita) - X(旧Twitter)
- シネマ5 シネマ5bis 港町キネマ通り