クリストフ・ドミニシ

フランスのラグビーユニオン選手

クリストフ・ドミニシ (Christophe Dominici, 1972年5月20日 - 2020年11月24日[1])はフランストゥーロンヴァール県)出身の元ラグビー選手。ウィング (WTB)あるいはフルバック (FB)として、フランス代表スタッド・フランセ・パリでプレーしていた。

クリストフ・ドミニシ
フルネーム クリストフ・ドミニシ
生年月日 (1972-05-20) 1972年5月20日
出身地 フランスの旗 フランス トゥーロン
没年月日 (2020-11-24) 2020年11月24日(48歳没)
死去地 フランスの旗 フランス サン=クルー
身長 1.72 m (5 ft 7+12 in)
体重 82 kg (181 lb)
ラグビーユニオンでの経歴
ポジション ウィング(WTB)
アマチュア経歴
チーム 出場 (得点)
1989–1991 ソリエス=ポン ()
シニア経歴
チーム 出場 (得点)
1991–1993
1993–1997

1997–2008
ラ・ヴァレット
トゥーロン
スタッド・フランセ
()
代表
チーム 出場 (得点)
1998–2007  フランス 65 (125)
更新日:  2008年7月28日
コーチ歴
チーム
2008 – スタッド・フランセ

サッカー選手としてキャリアをスタートしたが、後にラグビーに転向。まず、スタンドオフとしてプレーをし、次いでセンターとなり、最終的にウィングのポジションに落ち着いた。

2007年5月、自伝『心はブルー (Bleu à l'âme)』を発表した。

2020年11月24日、ドミニシはパリ近郊の公園で死亡しているのが発見された[1]

経歴

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サッカーからラグビーへ

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クリストフ・ドミニシはスポーツ選手としてのキャリアをサッカーから始めた。父親がコルマールやイエール (Hyères)のチームでゴールキーパーをしていた関係からで、ドミニシは自宅のあったヴァール県のソリエス=ポンで非常に若い時にサッカー連盟への登録をしている。この頃、18歳以下の全国大会であるガンバルデラ杯でリリアン・テュラムが所属するASモナコと戦って敗れている。

ラ・ボーケールとの試合の際に乱闘が起こり、気づくともう1人のチームメイトとたった2人で敵チームの選手11人を相手に乱闘をしていた。他のチームメイトたちは逃げ出していたのである。このことが原因でサッカーをやめ、よりチームプレーが重要とされるスポーツ、ラグビーへと転向した。

17歳のとき、ソリエス=ポンのラグビーチームに入る。地方大会でまずスタンドオフとしてプレーし、チームは3部リーグに昇格。ドミニシは1軍とジュニアの部の両方で試合に出ていた(特にジュニアの部では地方大会で数々のタイトルを獲得した)。

二年後、2部に昇格したラ・ヴァレットに移籍。ここではセンターにポジションを移してプレーしていたが、チームは一試合差で1部昇格をのがす。ラ・ヴァレットで2年間過ごした後、ドミニシは移籍シーズンの最終日にトゥーロンの会長ヴィクトール・アゴスティーニを介してRCトゥーロンからコンタクトを受けた。

トゥーロンでのキャリア

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このようにして、クリストフ・ドミニシはコート・ダジュールのメジャーチームであるRCトゥーロンでプレーすることになり、ウィングのポジションに移った。何度かスタメンに選ばれることもあったが、ほとんどは控えだった。トゥーロンでの初試合の相手はペルピニャン、初スタメンの相手はボルドーだった。その当時のボルドーの監督は前フランス代表監督であるベルナール・ラポルトだった。

ドミニシはトゥーロンに4年間在籍していたが、ちょうどこのときフランスラグビーはプロ化への転換期にさしかかっていた。RCトゥーロンはこれにうまく対応できず、その結果が後のチームの凋落に繋がるわけであるが、ドミニシは監督ジャン=クロード・バラトールに会いに行き、自身の給料および選手全員の給料を上げるよう要求するが、受け入れられなかった。

そこで同僚のフランク・コンバと共にマックス・ガッジーニにコンタクトをとった。ガッジーニは1部に昇格したばかりのチーム、スタッド・フランセ・パリの会長であり、クラブをフランスで有数の強豪チームに育てようとしていた。

キャリア

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クラブ

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フランス代表

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1998年2月7日、ファイブネイションズ(現シックスネイションズ)のイングランド戦で初キャップ。この試合でドミニシは1トライをあげ、1トライ防がれたもののフランスは24-17で勝利した。

ドミニシはラグビーワールドカップ1999の準決勝でニュージーランドを相手に決めたトライで名を成した。

ラグビーワールドカップ2007後、2008年1月6日に代表引退を表明。これからは自分のクラブであるスタッド・フランセ・パリに100%貢献したい、2011年のワールドカップに向けて若手選手を中心にチーム作りを進めていって欲しいと語った。

タイトル

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クラブ

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  • Top14
    • 優勝: 1998, 2000, 2003, 2004, 2007
    • 準優勝: 2005
  • ハイネケンカップ
    • 準優勝: 2001, 2005
  • フランス・カップ
    • 優勝: 1999
    • 準優勝: 1998
  • ジュニアの部、ヴァール県大会優勝。

フランス代表

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ワールドカップ

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3大会で15試合に出場。ワールドカップでのトライ数は8であり、フランス代表では最多記録である。

個人受賞歴

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  • オスカー・ミディ・オランピック
    • 金賞: 2000
    • 銀賞: 1999, 2005

関連作品

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  • Dominici, Christophe; Dominique Bonnot (2007-04-30) (フランス語). Bleu à l'âme. Paris: Le Cherche Midi. ISBN 978-2-7491-0858-2 

脚注

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  1. ^ a b 元フランス代表のドミニシが48歳で死去 99年W杯のNZ撃破で脚光浴びたレジェンド ラグビーリパブリック、2020年11月25日

外部リンク

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