クララ・ウェブスター
イギリスのバレエダンサー
クララ・ウェブスター(Clara Vestris Webster、1821年 - 1844年12月17日)は、イギリスのバレエダンサーである。
生涯
編集クララ・ウェブスターは、バースで生まれた[1][2]。父のベンジャミン・ウェブスター(Benjamin Webster)は、著名なバレエダンサーのガエタノ・ヴェストリスに指導を受けたバレエ教師で、彼女は1830年から舞台に出演し、兄のアーサーとともにパ・ド・ドゥを踊っていた[1][2]。
1836年にロンドンに出て、その後ダブリン、リヴァプール、マンチェスターなどでも踊った。スペイン舞踊カチューチャやチロル地方の舞踊チロリエンヌなどのダンスを、イギリスで初めて踊ったダンサーの1人とされる[1][2]。
1844年12月、ロンドンのドルリー・レーン劇場(Drury Lane Theatre)で『ハーレムの反乱(The Revolt of the Harem)』という作品に出演していたときに事故が起きた。水浴のシーンで、女奴隷の1人に扮していた彼女の衣装にガス灯の炎が燃え移り、大火傷を負ってしまったのである。クララは2日後に死去した[1][2][3]。
脚注
編集参考文献
編集- 薄井憲二『バレエ千一夜』 新書館、1993年。ISBN 4-403-23032-6
- デブラ・クレイン、ジュディス・マックレル 『オックスフォード バレエダンス事典』 鈴木晶監訳、赤尾雄人・海野敏・長野由紀訳、平凡社、2010年、73頁。ISBN 978-4-582-12522-1
関連項目
編集- ジュゼッピーナ・ボツァッキ - ウェブスターと同じく、夭折したバレエダンサー。
外部リンク
編集- Trials, Troubles and Temptations in a Dangerous Era - ballet dancers in the 19th century - Abstract Dance Magazine, Jan, 1999 by Judith Hatcher 2011年1月18日閲覧。
- This holocaust of ballet girls 2011年1月18日閲覧。