ウォルポール=タウンゼンド内閣
ウォルポール=タウンゼンド内閣(英語: Walpole–Townshend ministry)は、グレートブリテン王国の内閣。1721年から1730年まで在任。
ウォルポール=タウンゼンド内閣 | |
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イギリス 第7代内閣 | |
成立年月日 | 1721年4月4日 |
終了年月日 | 1730年5月15日 |
組織 | |
元首 | ジョージ1世 ジョージ2世 |
首相 | ロバート・ウォルポール |
首相前職 | 陸軍支払長官 |
与党 | ホイッグ党 |
野党 | トーリー党 |
野党党首 | サー・ウィリアム・ウィンダム |
詳細 | |
前内閣 | 第2次スタンホープ=サンダーランド内閣 |
次内閣 | ウォルポール内閣 |
概要
編集南海泡沫事件を経てホイッグ党の最有力者となったロバート・ウォルポールが第一大蔵卿に就任し成立した。議会の支持を受けて政権を執ったため、イギリスでの議院内閣制が始まった内閣である。1721年から1722年、1722年から1727年、1727年から1730年の三次にわたって展開された。1730年にタウンゼンド子爵が辞任してウォルポール単独での組閣となった。
閣僚
編集役職 | 肖像 | 名前 | 在任 |
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第一大蔵卿 | ロバート・ウォルポール | 1721年 - 1730年 | |
財務大臣 | |||
庶民院院内総務 | |||
北部担当国務大臣 | タウンゼンド子爵 | 1721年 - 1730年 | |
南部担当国務大臣 | カートレット男爵 | 1721年 - 1724年 | |
ニューカッスル公爵 | 1724年 - 1730年 | ||
大法官 | マクルズフィールド伯爵 | 1721年 - 1725年 | |
キング男爵 | 1725年 - 1730年 | ||
王璽尚書 | キングストン=アポン=ハル公爵 | 1721年 - 1726年 | |
トレヴァー男爵 | 1726年 - 1730年 | ||
枢密院議長 | タウンゼンド子爵 | 1721年 | |
カールトン男爵 | 1721年 - 1725年 | ||
デヴォンシャー公爵 | 1725年 - 1730年 | ||
トレヴァー男爵 | 1730年 | ||
海軍卿 | バークレー伯爵 | 1721年 - 1727年 | |
トリントン子爵 | 1727年 - 1730年 | ||
兵站部総監 | マールバラ公爵 | 1721年 - 1722年 | |
カドガン伯爵 | 1722年 - 1725年 | ||
アーガイル公爵 | 1725年 - 1730年 | ||
陸軍支払長官 | コーンウォリス男爵 | 1721年 - 1722年 | |
スペンサー・コンプトン | 1722年 - 1730年 | ||
王室家政長官 | アーガイル公爵 | 1721年 - 1725年 | |
ドーセット公爵 | 1725年 - 1730年 | ||
宮内長官 | ニューカッスル公爵 | 1721年 - 1724年 | |
グラフトン公爵 | 1724年 - 1730年 | ||
主馬頭 | スカーブラ伯爵 | 1721年 - 1730年 |
先代 第2次スタンホープ=サンダーランド内閣 |
グレートブリテン王国の内閣 1721年 - 1730年 |
次代 ウォルポール内閣 |