トマス・トレヴァー (初代トレヴァー男爵)
初代トレヴァー男爵トマス・トレヴァー(英語: Thomas Trevor, 1st Baron Trevor PC、1658年3月8日 - 1730年6月19日)はイギリスの裁判官、政治家。民訴裁判所主席裁判官、王璽尚書、枢密院議長を歴任した。
The Right Honourable トマス・トレヴァー PC | |
---|---|
枢密院議長 | |
任期 1730年5月8日 – 1730年6月19日 | |
君主 | ジョージ2世 |
首相 | ロバート・ウォルポール |
前任者 | デヴォンシャー公爵 |
後任者 | ウィルミントン伯爵 |
生涯
編集サー・ジョン・トレヴァー(1672年5月28日没)と妻ルース(Ruth、1687年12月3日埋葬、旧姓ハムデン(Hampden)、ジョン・ハムデンの娘)の次男として生まれ、1658年3月8日にセント・バーソロミュー・ザ・レスで洗礼を受けた[1]。オックスフォードシャーのシルトンにある私立学校で教育を受けた後、1672年5月1日にインナー・テンプルに入学、1673年7月7日にオックスフォード大学クライスト・チャーチに進学した。1680年11月28日に弁護士資格免許を得た[1]。
1683年5月16日にランカスター公領の勅選弁護士(KC)に任命され、1689年3月20日にメアリー2世の勅選弁護士に任命された[1]。1692年5月2日に法務次官に任命され、同年10月21日に騎士爵に叙された[1]。1695年6月8日には法務長官に昇進した[1]。1701年7月5日に民訴裁判所主席裁判官に任命され、ほかにも枢密顧問官(1702年6月18日 - 1714年9月)、国璽尚書(1710年9月26日から10月19日まで)の職を得た[1]。1712年1月1日、ブロムハムのトレヴァー男爵に叙された[2]。
1714年にジョージ1世が即位すると、ジャコバイト支持の疑いをかけられて職を解かれたが[2]、1726年3月11日より王璽尚書および枢密顧問官に復帰した[1]。このほか、チャーターハウス院長にも復帰した[3]。1730年5月8日に王璽尚書から枢密院議長に転じた[1]。
家族
編集1690年6月5日、エリザベス・シアール(Elizabeth Searle、1672年ごろ – 1702年5月29日埋葬、ジョン・シアールの娘)と結婚した[1]。
1704年9月25日、アン・バーナード(Anne Bernard、1670年ごろ – 1746年12月5日、ロバート・ウェルドンの娘、第3代準男爵サー・ロバート・バーナードの未亡人)と再婚した[1]。
脚注
編集- ^ a b c d e f g h i j k l m n o Cokayne, George Edward; White, Geoffrey H., eds. (1959). The Complete Peerage, or a history of the House of Lords and all its members from the earliest times (Tracton to Zouche). Vol. 12 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. pp. 30–32.
- ^ a b c d Chisholm 1911, p. 257.
- ^ a b "Trevor; Thomas (1658 - 1730); 1st Baron Trevor of Bromham". Record (英語). The Royal Society. 2023年1月30日閲覧。
参考文献
編集- Chisholm, Hugh, ed. (1911). . Encyclopædia Britannica (英語). Vol. 27 (11th ed.). Cambridge University Press. pp. 256–257.
関連図書
編集- Rigg, James McMullen (1899). Lee, Sidney (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 57. London: Smith, Elder & Co. pp. 228–230. . In
イングランド議会 (en) | ||
---|---|---|
先代 ジョージ・トレビー ジョン・ポレックスフェン |
庶民院議員(プリンプトン・アール選挙区選出) 1692年 - 1698年 同職:ジョン・ポレックスフェン 1692年 - 1695年 コートネー・クルッカー 1695年 - 1698年 |
次代 マーティン・ライダー コートネー・クルッカー |
先代 ヘンリー・ペラム トマス・ペラム |
庶民院議員(ルイス選挙区選出) 1701年 同職:トマス・ペラム |
次代 ヘンリー・ペラム トマス・ペラム |
司法職 | ||
先代 ジョン・サマーズ |
法務次官 1692年 - 1695年 |
次代 ジョン・ホールズ |
先代 エドワード・ウォード |
法務長官 1695年 - 1701年 |
次代 エドワード・ノーシー |
先代 ジョージ・トレビー |
民訴裁判所主席裁判官 1701年 - 1714年 |
次代 ピーター・キング |
公職 | ||
先代 キングストン=アポン=ハル公爵 |
王璽尚書 1726年 - 1730年 |
次代 ウィルミントン伯爵 |
先代 デヴォンシャー公爵 |
枢密院議長 1730年 | |
グレートブリテンの爵位 | ||
爵位創設 | トレヴァー男爵 第2次創設 1712年 - 1730年 |
次代 トマス・トレヴァー |