イラクリ・ラバーゼ
イラクリ・ラバーゼ(Irakli Labadze、グルジア語: ირაკლი ლაბაძე、1981年6月9日 - )は、ジョージア・トビリシ出身の男子プロテニス選手。ジョージア国籍の選手として初めてATPランキングトップ100位に到達した選手である。ツアー優勝の経験はないが、ダブルスで3度の準優勝がある。自己最高位はシングルス42位、ダブルス100位。身長188cm、体重85kg。左利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。
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基本情報 | ||||
国籍 | ジョージア | |||
出身地 | ジョージア・トビリシ | |||
生年月日 | 1981年6月9日(43歳) | |||
身長 | 188cm | |||
体重 | 85kg | |||
利き手 | 左 | |||
バックハンド | 両手打ち | |||
ツアー経歴 | ||||
デビュー年 | 1998年 | |||
引退年 | 2011年 | |||
ツアー通算 | 0勝 | |||
シングルス | 0勝 | |||
ダブルス | 0勝 | |||
生涯通算成績 | 77勝117敗 | |||
シングルス | 50勝83敗 | |||
ダブルス | 27勝34敗 | |||
生涯獲得賞金 | $1,234,668 | |||
4大大会最高成績・シングルス | ||||
全豪 | 1回戦(2002-05) | |||
全仏 | 2回戦(2002・04) | |||
全英 | 4回戦(2006) | |||
全米 | 1回戦(2002・04) | |||
4大大会最高成績・ダブルス | ||||
全豪 | 2回戦(2005) | |||
全仏 | 1回戦(2004) | |||
全英 | 3回戦(2006) | |||
全米 | 1回戦(2004) | |||
キャリア自己最高ランキング | ||||
シングルス | 42位(2004年7月5日) | |||
ダブルス | 100位(2001年10月19日) | |||
来歴
編集ラバーゼはサッカー選手であった父の指導の下、6歳からテニスを始めた。1998年ウィンブルドン選手権ジュニア男子シングルスで、ロジャー・フェデラーに敗れて準優勝になったことがある。同年にプロ入り。下部大会でしばらく下積み生活を送った後、2001年頃からランクも上昇し、ツアー大会にも出場できるようになる。9月の上海オープン1回戦で、当時ランキング2位のアンドレ・アガシをストレートで下す番狂わせを演じた。この年はダブルスでツアー2大会で準優勝を遂げ、シングルスより一足先にトップ100に食い込んでいる。
ラバーゼは2004年にランキングの更なる飛躍をみせた。年初のネクストジェネレーション・アデレード国際からシングルス5連敗という不調の中出場した3月のインディアンウェルズ・マスターズにおいて同年シングルス初勝利を挙げ、続く2回戦では当時世界ランク7位のカルロス・モヤを下し勢いに乗ったラバーゼはティム・ヘンマンとの準決勝まで進出する。また4月のエストリル・オープンにおいても準決勝に進出。上記の活躍から同年6月にはシングルスランキングを自己最高位の42位まで上昇させた。
2005年以降はトップ100から転落しているものの、ラッキールーザーとして出場した2006年ウィンブルドン選手権で久々の好成績を出した。この大会ではシングルスでラファエル・ナダルとの4回戦まで進み、ダブルスでも3回戦に進出した。これは単複ともに彼の4大大会自己最高成績である。
ラバーゼは2011年8月のサマルカンド・チャレンジャーのダブルスに出場したのを最後に公式戦から遠ざかっている。
ソビエト連邦の解体によるジョージアの独立以降、WTAツアーで単複10勝を挙げ、バルセロナ五輪でEUN選手団として出場し、ダブルス銅メダルを獲得したレイラ・メスヒや若手のアンナ・タチシビリが台頭しているが、国際的な活躍を果たした男子選手はラバーゼとラバーゼ以来のトップ100入りを果たしたニコロズ・バシラシビリのみである。
ATPツアー決勝進出結果
編集ダブルス: 3回 (0勝3敗)
編集結果 | No. | 決勝日 | 大会 | サーフェス | パートナー | 対戦相手 | スコア |
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準優勝 | 1. | 2001年7月23日 | ソポト | クレー | アッティラ・シャーヴォルト | ポール・ハンリー ネイサン・ヒーリー |
6–7(8-10), 2–6 |
準優勝 | 2. | 2001年10月22日 | サンクトペテルブルク | カーペット (室内) | マラト・サフィン | デニス・ゴロバノフ エフゲニー・カフェルニコフ |
5–7, 4–6 |
準優勝 | 3. | 2002年10月21日 | サンクトペテルブルク | カーペット (室内) | マラト・サフィン | デビッド・アダムズ ジャレッド・パーマー |
6–7(8-10), 3–6 |
4大大会シングルス成績
編集- 略語の説明
W | F | SF | QF | #R | RR | Q# | LQ | A | Z# | PO | G | S | B | NMS | P | NH |
W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, P=開催延期, NH=開催なし.
大会 | 1999 | 2000 | 2001 | 2002 | 2003 | 2004 | 2005 | 2006 | 2007 | 2008 | 通算成績 |
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全豪オープン | A | A | LQ | 1R | 1R | 1R | 1R | A | A | A | 0-4 |
全仏オープン | A | A | LQ | 2R | 1R | 2R | LQ | LQ | A | A | 2-3 |
ウィンブルドン | LQ | LQ | LQ | 2R | 1R | 2R | LQ | 4R | A | LQ | 5-4 |
全米オープン | A | LQ | A | 1R | A | 1R | A | A | A | A | 0-2 |