アンティポン
アンティポン(アンティポーン、アンティフォン、ギリシア語: Ἀντιφῶν, Antiphôn)と呼ばれる古代ギリシアの人物が2人いる。
- 弁論家のアンティポン
- ソフィストのアンティポン
この2人を同一人物とする説もあり、今なお議論が続いている。本項では別々の人物として記述する。
弁論家のアンティポン
編集ラムヌースのアンティポン(紀元前480年 - 紀元前411年)は、アッティカのラムヌース区出身のアテナイ人。アッティカ十大雄弁家の1人。修辞学者、政治家。紀元前411年、寡頭派を支持し、「四百人」寡頭派体制(The Four Hundred)の樹立に大きく貢献した(しかし、このすぐに民主制が復活した)。アンティポンは反逆罪で起訴され、死刑に処せられた。トゥキディデスは『戦史』の中でアンティポンの手腕、影響力、名声について書いている[1]。
アンティポンは政治的雄弁術の創設者と見なされることもあるが、裁判以外で、公衆に対して演説したことは一度もなかった。エジプトのパピルスに残っていたアンティポンの演説の断片は自身の政策を弁護するもので、1907年にJ. Nicoleによって校訂された。
アンティポンはロゴグラポスを主な仕事とした。これは、法廷で陳述を求められた訴訟当事者たちのために、その演説を代筆する仕事である。アンティポンの法廷弁論は15残っている。そのうち12は学校での演習に使う、架空の裁判のための法廷弁論である。それぞれの弁論は、原告側と被告側両方の演説(原告の起訴、被告の答弁、原告の反対訴答、被告の反対訴答)から成っている。残りの3つは実際の裁判に使われた法廷弁論で、いずれも殺人事件のものである。さらにアンティポンは修辞学技術(Τεχνη)を作ったとも言われている。
ソフィストのアンティポン
編集断片しか現存していないが、『真理について』という名前で知られる論文は、ソフィストのアンティポンの作とされている。この論文では自然権理論の先駆けとも思える理論が展開されている。ラムヌースのアンティポンと別人説が言い出されたのは、こうした見解からである。つまり、この人物は断固とした平等主義(Egalitarianism)、自由意志論者で、それは民主主義寄りで、その民主主義に対して寡頭派のクーデターを起こした人物とは相容れないからである[2]。
『真理について』において、習慣あるいは法の抑圧的な性質(ノモス)が、自然、とくに人間の性質(ピュシス)と並置されている。自然は自発性と自由を求めるのに対して、法はしばしばいわれのない制限を負わす。
法的に正しいもののほとんどは(それにもかかわらず)……自然に反している。法は、目に、何が見るべきで何は見るべきでないを命じる。耳には、何を聞くべきで何を聞くべきでないかを。舌には、何を言うべきで何を言うべきでないかを。手には、何をすべきで何をすべきでないかを……魂には、何を望み何を望んではならないかを。 — アンティポン『真理について』オクシュリュンコス・パピルスから見つかった断片[3]
抑制は痛みを意味する。一方で、その痛みを避けるのが自然である、というのがアンティポンの主張である。
アンティポンは、仲間のヘラクレアのブリュソン(Bryson of Heraclea)とともに、円の周りに多角形を内接させ、それから外接させ、最後に多角形の面積を計算することで、円周率の値の上限と下限を求めた最初の人物でもある。この方法は円積問題に適用された。
参考文献
編集- この記事にはアメリカ合衆国内で著作権が消滅した次の百科事典本文を含む: Chisholm, Hugh, ed. (1911). "Antiphon". Encyclopædia Britannica (英語). Vol. 2 (11th ed.). Cambridge University Press. p. 133.
- Edition, with commentary, by Eduard Maetzner (1838)
- text by Friedrich Blass (1881)
- R. C. Jebb, Attic Orators
- Ps.-Plutarch, Vitae X. Oratorum or Lives of the Ten Orators
- ピロストラトス『ソフィスト列伝』 i. 15
- van Cleef, Index Antiphonteus, Ithaca, N. Y. (1895)
- Antiphon - Swansea University
- Michael Gagarin, Antiphon the Athenian, 2002, U. of Texas Press. Argues for the identification of Antiphon the Sophist and Antiphon of Rhamnus.
- Gerard Pendrick, Antiphon the Sophist: The Fragments, 2002, Cambridge U. Press. Argues that Antiphon the Sophist and Antiphon of Rhamnus are two, and provides a new edition of and commentary on the fragments attributed to the Sophist.
- David Hoffman, "Antiphon the Athenian: Oratory, Law and Justice in the Age of the Sophists/Antiphon the Sophist: The Fragments", Rhetoric Society Quarterly, summer 2006. A review of Gagarin 2002 and Pendrick 2002.
- Kerferd, G.B. (1970). "Antiphon". Dictionary of Scientific Biography 1. New York: Charles Scribner's Sons. 170-172. ISBN 0684101149.
関連文献
編集- 高畠純夫訳『アンティポン/アンドキデス 弁論集』京都大学学術出版会〈西洋古典叢書〉、2002年。ISBN 4-87698-133-7
- 高畠純夫『アンティフォンとその時代 前5世紀アテナイの社会・思想・人間』東海大学出版会、2011年。ISBN 978-4-486-01894-0
- 納富信留「第18章 アンティフォン 弁論の挑発」-『ギリシア哲学史』 筑摩書房、2021年。ISBN 978-4-480-84752-2
脚注
編集- ^ トゥキディデス『戦史』viii.68
- ^ W. K C. Guthrie, The Sophists (Cambridge: Cambridge University Press, 1971
- ^ Antiphon, "On Truth," Oxyrhynchus Papyri, xi, no. 1364, fragment 1, quoted in Donald Kagan (ed.) Sources in Greek Political Thought from Homer to Polybius ("Sources in Western Political Thought, A. Hacker, gen. ed.; New York: Free Press, 2965)
外部リンク
編集- Xenophon's Memorabilia 1.6.1-.15 presents a dialogue between Antiphon the Sophist and Socrates.
- Speeches by Antiphon of Rhamnus on Perseus
- A bio on Antiphon of Rhamnus by Richard C. Jebb, The Attic Orators from Antiphon to Isaeos, 1876 on Perseus
- O'Connor, John J.; Robertson, Edmund F., "Antiphon (person)", MacTutor History of Mathematics archive
- スタンフォード哲学百科事典 "Callicles and Thrasymachus" discusses the views of Antiphon the Sophist.