海軍兵学校 (アメリカ合衆国)
座標: 北緯38度58分59秒 西経76度29分06秒 / 北緯38.983度 西経76.485度
アメリカ合衆国海軍兵学校(英語: United States Naval Academy、USNA)は、アメリカ海軍及びアメリカ海兵隊の士官学校。アメリカ海軍作戦部長直轄。1845年設立。所在地は、メリーランド州アナポリス。通称:アナポリス(Annapolis)。
モットー | Ex Scientia Tridens (ラテン語) |
---|---|
モットー (英語) | From Knowledge, Seapower |
種別 | 士官学校 |
設立年 | 1845年10月10日 |
学術的提携関係 | Space-grant |
教育長 | イベット・M・ダーヴィッツ(Yvette M. Davids)海軍中将 |
プロヴォスト | サマラ・L・ファイアバー(Samara L. Firebaugh) |
士官候補生司令官 | ジェームズ・J・P・マクドナウ三世(James “J.P. “McDonough III)大佐 |
教員数 | 600名 |
学生総数 | 4576名 |
所在地 |
アメリカ合衆国 メリーランド州アナポリス (メリーランド州) |
キャンパス | Urban – 338エーカー (1,370,000 m2) |
スクールカラー | 濃紺 及び 金 |
ニックネーム | ミッドシップマン |
マスコット | 山羊のビル(Bill the Goat) |
スポーツ関係の 提携関係・加盟団体 |
en:NCAA Division I – en:Patriot League AAC CSFL EARC EIGL EIWA |
公式サイト |
www |
概要
編集1845年設立。アナポリスには1850年に移転してきている。海軍兵学校が創設される以前はアメリカ陸軍の駐屯地であった。従来、海軍士官の養成は艦艇乗り組みの洋上勤務を通じて行われており、陸上に学校を設けて士官教育をするようになったのは、世界でも本校が最初である。南北戦争時には、一時ロードアイランド州のニューポートに移転したが、1865年にはアナポリスに戻っている(海軍大学校は今もニューポートに本拠を置く)。
入学可能年齢は17歳から23歳までで、未婚者であること等の条件がある。設立当初は男性のみの学校であったが、1976年以降は女性の入校も認めている。兵学校の生徒(学生)はMidshipman(ミジップマン、士官候補生の意)と呼ばれ、4年間の教育課程を経て卒業すると少尉に任官する。大半はアメリカ海軍または海兵隊で少なくとも5年間勤務するが、陸軍、空軍、沿岸警備隊に入隊することも可能。外国の留学生もおり、彼らは卒業後母国の国軍に入隊する。
海上自衛隊からは、1等海佐と3等海佐が1名ずつ連絡官として派遣されており、教官として勤務している。逆にアメリカ海軍からも大尉または少佐が1名、広島県江田島の海上自衛隊幹部候補生学校に派遣されており、同様に教官として勤務している。
主な卒業生
編集軍人
編集- フレデリック・アッシュワース - 海軍中将、長崎に原子爆弾を投下した爆撃機B-29ボックスカーの将校搭乗者
- マナート・L・エベール
- リチャード・オカーン
- エリック・オルソン
- アイザック・C・キッド
- アーネスト・キング
- トーマス・C・キンケイド
- ハズバンド・キンメル
- ロバート・クーンツ
- フランク・ケルソー2世
- ジョン・サッチ
- フォレスト・シャーマン
- ジェイ・L・ジョンソン
- ハロルド・スターク
- ジェームズ・ストックデール
- レイモンド・スプルーアンス
- クリフトン・スプレイグ
- エルモ・ズムウォルト・ジュニア
- リッチモンド・K・ターナー
- ジョージ・デューイ
- サミュエル・D・ディーレイ
- ルイス・デンフェルド
- カーライル・トロスト
- チェスター・ニミッツ
- チェスター・W・ニミッツ・ジュニア
- オリバー・ノース
- アーレイ・バーク
- ウィリアム・パイ
- ウィリアム・ハルゼー
- フランク・F・フレッチャー
- フランク・J・フレッチャー
- ウィリス・A・リー
- ピーター・ペース
- トーマス・ヘイワード
- オリバー・ハザード・ペリー
- ウィリアム・シェパード・ベンソン
- ジェームズ・ホロウェイ3世
- デヴィッド・マクドナルド
- チャールズ・B・マクベイ3世
- クラレンス・マクラスキー
- ジョン・S・マケイン・シニア
- ジョン・S・マケイン・ジュニア
- マーク・ミッチャー
- マイケル・マレン
- ヘンリー・T・メイヨー
- ハリー・B・ハリス・ジュニア
- ダドリー・W・モートン
- トーマス・モーラー
- アーサー・W・ラドフォード
- ゲイリー・ラフヘッド
- ウィリアム・リーヒ
- ハイマン・G・リッコーヴァー
政治家
編集- リチャード・アーミテージ - アメリカ合衆国 第13代国務副長官、ジャパンハンドラー
- ジョン・ウィンゲイト・ウィークス
- チャールズ・ネスビット・ウィルソン
- カーティス・ウィルバー
- ジミー・カーター - 第39代アメリカ合衆国大統領
- ジェイムズ・アンドリュー・ケリー
- アンソニー・プリンシピ
- ロス・ペロー
- ジェームズ・ワトキンス
- ジム・ウェッブ
宇宙飛行士
編集学界
編集- ウィリアム・A・ウィリアムズ - 歴史家
- アラン・ヘール - 天文学者
- アルバート・マイケルソン - 物理学者
その他
編集- ジョセフ・ウェーバー - メリーランド大学カレッジパーク校物理学名誉教授
- ロジャー・ストーバック - アメリカンフットボール選手
- フランク・スプレイグ - 発明家
- アルフレッド・セイヤー・マハン - 海洋戦略の古典的理論家、『海上権力史論』の著者
- リチャード・バード - 探検家
- ロバート・A・ハインライン - SF作家
- バックミンスター・フラー - 思想家、デザイナー、発明家
- デビッド・ロビンソン - バスケットボール選手
日本人
編集日本人学生の受け入れは、1868年に日本人6人までの入学を許可する法案が米国議会の下院・上院を通過し、翌1869年より開始した。以下、中途退学者を含む入学者。
- 横井佐平太(横井太平の兄) - 1869年入学、1871年中途退学
- 松村淳蔵 - 1869年入学、1873年卒業
- 華頂宮博経親王 - 1872年入学、同年帰国
- 国友次郎(のち海軍大佐) - 1872年入学
- 有馬幹太郎(有馬新七の子) - 1874年入学
- 南部英麿 - 1874年入学
- 瓜生外吉 - 1877年入学、1881年卒業
- 世良田亮(のち海軍少将) - 1877年入学
- 井上良智 - 1877年入学
- 湯地定監 - 1878年入学
- 仁礼景一(仁礼景範長男) - 1887年入学[1][2]
- 高崎元彦(高崎正風長男) - 1891年入学
- 田村丕顕 - 1896年入学、1900年卒業(日本人7人目の卒業生)
- 北垣旭(北垣国道三男) - 1905年入学
- 松方金次郎(松方正義十一男) - 1906年入学、同年没
- 北川敬三(海上自衛隊幹部学校防衛戦略教育研究部長 1等海佐) - 1993年卒業(日本人8人目の卒業生)[3]
脚注
編集- ^ Annual register of the United States Naval Academy. Annapolis, MdU.S. Government Printing Office. 1889
- ^ Annual register of the United States Naval Academy. Annapolis, MdU.S. Government Printing Office.1891
- ^ アメリカ社会と戦争の歴史彩流社、訳者プロフィール
関連項目
編集- 海軍兵学校
- 陸軍士官学校 (アメリカ合衆国)
- 空軍士官学校 (アメリカ合衆国)
- 沿岸警備隊士官学校 (アメリカ合衆国)
- ジェームズ・ポーク - 海軍士官学校開設を監督。