USフェスティバル
USフェスティバル(アス・フェスティバル)は、1980年代前半に2回行なわれた、音楽と文化のフェスティバル。日本語では「アース・フェスティバル」と表記されることもある[1]。
背景
編集Apple IIの生みの親であるスティーブ・ウォズニアックは、1980年のAppleの株式公開によって、30歳にして1億ドル超の莫大な資産を手にした[1]。1970年代は「ミー・ジェネレーション (en:Me generation)」の時代だったと考えていたウォズニアックは、1980年代が、よりコミュニティ指向になるよう促し、テクノロジーとロック音楽が強く結び付けようと、プロモーター(興行師)のビル・グレアムの参加を得て、「我々を」を意味する「アス (us)」を冠したUSフェスティバル(アス・フェスティバル)を企画した[2]。その1回目は1982年9月のレイバー・デーの週末に、2回目は1983年5月の戦没将兵追悼記念日(メモリアル・デー)の週末に開催された。会場の設営にかかる経費はウォズニアックが負担したため[3]、スポンサー企業の広告なども一切ない[1]、新しい屋外会場と、ほとんど芸術品と言えるほどの仮設ステージが、カリフォルニア州サンバーナーディーノ郡デボア近郊のグレン・ヘレン地方公園に新設された。
会場の跡地にはその後、ブロックバスター・パビリオン (Blockbuster Pavilion)、後のサン・マニュエル・アンフィシアターが建設された。これは2007年現在、アメリカ合衆国最大のアンフィテアトルム(アンフィシアター)である。フェスティバルに使われたステージは、1985年以降はアナハイムのディズニーランドに置かれ、様々な名称で、様々な用途のために使用されてきており、ビデオポリス・ダンス・クラブ (the Videopolis dance club)、ビデオポリス・シアター (the Videopolis Theater) とも呼ばれたが、その後はファンタジーランド・シアターと称されている。
1982年のレイバー・デーの週末
編集気温が華氏110度(摂氏42.5度)に達する中、3日間にわたって開催され、50万人を動員したものの1,200万ドルの損失を出したとされる[1][4]。(以下、バンド名は出演順)
1983年のメモリアル・デーの週末
編集3日間にわたって開催され、さらに一週間後に4日目として「カントリー・デー (Country Day)」が開催され、67万人が集まったが、再び1,200万ドルの損失を出したとされ[1][5]、また、報道によれば開催中に死者2名が出たとされる[6][7]。
5月28日、土曜日:ニュー・ウェーブ・デー編集
5月29日、日曜日:ヘヴィメタル・デー編集
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5月30日、月曜日:ロック・デー編集
6月4日、土曜日:カントリー・デー編集
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脚注
編集- ^ a b c d e 中野充浩 (2015年5月28日). “あのIT起業家が約50億円を自腹で投じて開催した夢のロックフェス”. 2015年11月29日閲覧。
- ^ Devlin, Hugh (June 1983). “Experiencing Us”. Electronic Games: pp. 23,121 6 January 2015閲覧。
- ^ Us Festival Took A Year Of Planning (AP) - The Telegraph - Sep 1, 1982
- ^ iWoz - Computer Geek to Cult Icon: Getting to the Core of Apple's Inventor; Steve Wozniak with Gina Smith; Headline Review, London, 2006; p. 255
- ^ iWoz - Computer Geek to Cult Icon: Getting to the Core of Apple's Inventor; Steve Wozniak with Gina Smith; Headline Review, London, 2006; p. 256
- ^ “Man Beaten to Death at Second US Festival”. The New York Times. (1983年5月30日) 2015年11月29日閲覧。
- ^ “Second Person Found Dead at US Festival”. The New York Times. (1983年6月1日) 2015年11月29日閲覧。
関連項目
編集外部リンク
編集- 幻のロックコンサート“USフェスティバル”が遂にDVD化!! - ウェイバックマシン(2020年2月18日アーカイブ分)