SCコリンチャンス・パウリスタ

ブラジルのサッカークラブ

SCコリンチャンス・パウリスタ (ポルトガル語: Sport Club Corinthians Paulista) 、通称コリンチャンス (Corinthians) は、ブラジルサンパウロ州サンパウロを本拠地とする総合スポーツクラブである。この項ではサッカークラブを中心に記述する。

SCコリンチャンス・パウリスタ
原語表記 Sport Club Corinthians Paulista
愛称 Timão, Time do Povo,
Coringão, Todo Poderoso
クラブカラー   黒、 
創設年 1910年
所属リーグ カンピオナート・ブラジレイロ
カンピオナート・パウリスタ
所属ディビジョン セリエA
セリエA1
ホームタウン サンパウロ
ホームスタジアム
ネオ・キミカ・アレーナ
収容人数 47,605
代表者 ブラジルの旗 アウグスト・メーロ
監督 ブラジルの旗 マノ・メネーゼス
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
サードカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

概要

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1910年に創立した。ホームタウンはサンパウロである。コパ・リベルタドーレス優勝1回、カンピオナート・ブラジレイロ優勝7回、コパ・ド・ブラジル優勝3回、カンピオナート・パウリスタ優勝26回、(サンパウロ州では最多)FIFAクラブ世界選手権(現:FIFAクラブワールドカップ)優勝2回[1]等、数々のタイトルを獲得してきたクラブである。

世界最大の会計事務所である『デロイト』が2014年1月に公表した統計によると、2012年度のクラブ収入は1億1330万ユーロであり、世界のサッカークラブの中では23位、南米では1位である[2]。ホームスタジアムはワールドカップでも使用されたアレーナ・コリンチャンス。過去に、リベリーノソクラテスリバウドドゥンガリカルジーニョマルセリーニョ・カリオカ等が同チームでプレーしている。サンパウロパルメイラスとの試合は「サンパウロ・ダービー」として注目されている。

日本では1963年から1967年までの間、セルジオ越後が所属していたことがよく知られている。

歴史

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1910年9月1日、SCコリンチャンス・パウリスタは5人の若い労働者たちによってサンパウロ近郊のボン・レチーロで設立された。クラブ名は1910年の設立当時に、ブラジル遠征で圧倒的な強さを誇っていたイングランドのサッカークラブ、「コリンシアンズFC」に由来する。当初のチームカラーはクリーム色だったが、後に入手が容易な白に変わったという。なお、「コリンチャンス」は「コリント人」という意味で、ニックネームのチモンは「偉大なチーム」の意。

初期のマークは「C」と「P」の組み合わせであった。1919年より代わりにサンパウロ州旗をモチーフに使用するようになり、1939年以降は赤い錨・櫂(オール)と組み合わさって出来た。

1990年代にはカンピオナート・ブラジレイロ・セリエA199019981999年)とブラジルカップ(1995年)で4度の国内タイトルを獲得。2000年にヴァスコ・ダ・ガマをPK戦で下してFIFA世界クラブ選手権の初代王者となった。2004年にイラン人オーナーのキア・ジョーラブチアン率いる投資ファンド MSI (Media Sports Investment) と資本提携を結び、ヨーロッパのビッグクラブに匹敵する資金力を誇るクラブとなり、2005年に4回目のブラジル全国選手権優勝を手にした。しかし、MSIと経営陣との間では対立が続き、オーナーのキアの逮捕、及び投資に問題があるなど警察沙汰になり2007年に関係は解消された。そのため獲得していた殆どのレギュラー選手が売られ、補欠・ジュニアチームで挑んだ2007年のセリエAでは17位と低迷し、クラブの歴史上初めてのセリエB降格が決定した。2008年にはコパ・ド・ブラジルで決勝進出を果たし、セリエBでも優勝を果たして1年でセリエAへの復帰を決めた。2009年には元ブラジル代表のロナウドを獲得して話題を集め、カンピオナート・パウリスタコパ・ド・ブラジルの2冠を達成。2012年コパ・リベルタドーレスのタイトルを獲得し、同年のFIFAクラブワールドカップ2012では決勝でチェルシーFCを1-0で下して2回目の世界王者となった。

2022年には前項のFIFAワールドカップ2012の世界王者から10周年を記念した、日本語のユニフォームを作成した。シャツには 『Aqui é Corinthians.』を日本語に訳した「これがコリンチャンスです。」を縦書きで書き連ね、各選手の背ネームをカタカナで表示した。

ライバル

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同じサンパウロを本拠地とする、パルメイラスサンパウロサントスとはコリンチャンスを含め、サンパウロ州のBIG4と呼ばれ、これらのチームとの対戦は、クラシコと呼ばれる。パルメイラスとのクラシコは、オ・デルビー・パウリスタサンパウロ・ダービー)と呼ばれている。サンパウロとのクラシコはクラシコ・マジェストソ(壮麗なダービー)、サントスとのクラシコはクラシコ・アルビ・ネグロ(白と黒のダービー)とそれぞれ呼ばれている。この中でもコリンチャンスにとって最大のライバルはパルメイラスである。

サポーター

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コリンチアーノと呼ばれる熱狂的なサポーターを多く抱えることでも有名である。メインの応援団体は『Gaviões da Fiel』(ガビオェス・ダ・フィエル)と呼ばれている。 2012年12月にFIFAクラブワールドカップ2012出場の為にグアルーリョス国際空港まで約15000人が見送りに行き、コンコースを占拠した。

ブラジルでは日本(豊田・横浜)への応援ツアーが組まれ、日本在住ブラジル人だけでなく及びブラジル中からサポーターが駆け付けた。

著名人でもファンが多く、代表的なのはアイルトン・セナや、シルビオ・サントス(TV司会者・TV局オーナー)が挙げられた。2018年にはセナとコラボレーションしたユニフォームが制作・試合で着用された。

スタジアム

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ホームスタジアムのエスタジオ・アルフレード・シュリグポルトガル語版(通称:パルケ・サンジョルジ) は、「小さな農場」と呼ばれ、1万8千人しか収容することができなかった。そのため、コリンチャンスの試合で使用されることはほとんどなく(1年に3回程度)、しばしば新しいスタジアムの話題が挙がるものの、経営陣との間で話が中々決まらず、他のサポーターからからかわれていた。2013年まではサンパウロ市営のエスタジオ・ド・パカエンブーを中心に、一部をサンパウロFCの本拠地であるエスタジオ・ド・モルンビーでも開催した。

2014年、2014 FIFAワールドカップ開催用に建設された6万3千人収容のアレーナ・コリンチャンスに移転した。

2020年9月1日、ブラジルの大手製薬会社であるハイペラ・ファーマポルトガル語版がスタジアムの命名権を取得し、呼称がネオ・キミカ・アレーナ (Neo Química Arena)へと変更された[3]

タイトル

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国内タイトル

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国際タイトル

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成績

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セリエA優勝 セリエA準優勝 上位リーグ昇格 下位リーグ降格
年度 所属 順位 勝点 試合 得点 失点
1959 TB 不明
1960 不明
1961 不明
1962 不明
1963 不明
1964 不明
1965 不明
1966 不明
1967 RGP 3位 27 20 11 5 4 34 24
1968 5位 20 16 10 0 6 23 20
1969 3位 25 19 11 5 3 31 15
1970 9位 16 16 5 6 5 17 16
1971 セリエA 4位 31 25 12 7 6 33 21
1972 4位 36 29 12 12 5 31 26
1973 12位 41 37 13 15 9 37 30
1974 15位 26 24 8 10 6 29 21
1975 6位 38 27 13 9 5 29 17
1976 2位 38 23 13 6 4 31 17
1977 8位 31 19 10 6 3 24 7
1978 12位 36 26 12 9 5 29 16
1979 不明
1980 5位 27 18 12 3 3 43 19
1981 26位 11 15 4 3 8 14 26
1982 4位 14 12 6 2 4 19 15
1983 10位 26 20 10 6 4 42 23
1984 4位 28 24 9 10 5 31 19
1985 16位 27 26 9 8 8 27 22
1986 7位 38 30 13 12 5 42 20
1987 MV 16位 10 15 2 6 7 9 16
1988 セリエA 5位 32 23 6 9 8 21 22
1989 6位 21 18 8 5 5 15 13
1990 1位 32 25 12 8 5 23 20
1991 5位 24 19 8 8 3 23 17
1992 6位 27 25 10 7 8 32 29
1993 3位 31 20 12 7 1 38 18
1994 2位 33 31 12 9 10 43 44
1995 14位 31 23 9 4 10 32 33
1996 12位 32 23 7 11 5 20 19
1997 18位 29 25 8 5 12 23 27
1998 1位 61 32 18 7 7 57 38
1999 1位 59 29 18 5 6 61 38
2000 MA 28位 16 24 4 4 16 26 46
2001 セリエA 18位 34 27 9 7 11 46 45
2002 2位 52 31 15 7 9 50 46
2003 15位 59 46 15 12 19 61 63
2004 5位 74 46 20 14 12 53 53
2005 1位 81 42 24 9 9 87 59
2006 9位 53 38 15 8 15 41 46
2007 17位 44 38 10 14 14 40 50
2008 セリエB 1位 85 38 25 10 3 79 29
2009 セリエA 10位 52 38 14 10 14 50 54
2010 3位 68 38 19 11 8 65 41
2011 1位 71 38 21 8 9 53 36
2012 6位 57 38 15 12 11 51 39
2013 10位 50 38 11 17 10 27 22
2014 4位 69 38 19 12 7 49 31
2015 1位 81 38 24 9 5 71 31
2016 7位 55 38 15 10 13 48 42
2017 1位 72 38 21 9 8 50 30
2018 13位 44 38 11 11 16 34 35
2019 8位 56 38 14 14 10 42 34
2020 12位 51 38 13 12 13 45 45
2021 5位 57 38 15 12 11 40 36
2022 4位 65 38 18 11 9 44 36
2023 13位 50 38 12 14 12 47 48
2024 38

現所属メンバー

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2022年9月2日現在

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
2 DF   ラファエル・ラモス
3 DF   ロブソン・バンブ
4 DF   ジウ
5 MF   マイコン
6 DF   ルーカス・ピトン ( )
8 MF   レナト・アウグスト
9 FW   ユーリ・アルベルト
10 FW   ホジェル・ゲデス
11 MF   ジュリアーノ
12 GK   カッシオ
15 MF   パウリーニョ
17 MF   ラミーロ ( )
18 FW   ジュニオール・モラエス ( )
19 FW   グスタボ・モスキート
21 MF   マテウス・ヴィタウ ( )
22 GK   カルロス・ミゲル
No. Pos. 選手名
23 DF   ファグネル
24 MF   ビクトル・カンティージョ
25 DF   ブルーノ・メンデス
26 DF   ファビオ・サントス
27 DF   ブルーノ・メロ ( )
28 MF   アドソン
29 MF   ホニ
30 DF   ホベルト・ヘナン
31 DF   ファビアン・バルブエナ
32 GK   マテウス・ドネーリ ( )
33 MF   ファウスト・ベラ
34 DF   ラウル・グスタヴォ
37 MF   ドゥ・ケイロス
39 MF   シャビエル
45 FW   ジオヴァネ
監督

ローン移籍

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in

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
3 DF   ロブソン・バンブ (ニース)
5 MF   マイコン (シャフタール・ドネツク)
No. Pos. 選手名
9 FW   ユーリ・アルベルト (ゼニト)
out

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
-- GK   イヴァン (ゼニト)
-- MF   ルアン (サントス)
-- FW   ロドリゴ・バランダ (アクリタス・チロラカス)
No. Pos. 選手名
-- FW   レオ・ナテル (カーザ・ピア)
-- FW   グスタヴォ・マントゥアン (ゼニト)

歴代監督

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歴代所属選手

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・🇧🇷マルキーニョス



その他のスポーツ部門

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サッカー部門の他にバスケットボールアメリカンフットボールフットサルハンドボール自転車競技柔道水泳アーティスティックスイミングテコンドーテニスバレーボールなどの部門を持つ。

脚注

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  1. ^ 現在のFIFAクラブワールドカップが毎年開催されるようになったのは2005年以後であるが、2007年に2000年の「世界クラブ選手権大会」を第1回とみなすことが決定され、コリンチャンスが初代優勝チームと認定された
  2. ^ Deloitte Football Money League 2014(2014年1月に国際監査法人『デロイト』が公表した2012-13シーズンの欧州サッカーのクラブ収入ランキング)
  3. ^ 《ブラジル》コリンチャンス創立110周年=スタジアムの命名権売却=「ネオ・キミカ・アレーナ」に”. ニッケイ新聞 (2020年9月3日). 2020年9月3日閲覧。

外部リンク

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