E・H・エリック
E・H・エリック(E. H. Erick、本名:岡田 泰美(おかだ たいび)、1929年8月1日 - 2000年8月17日)は、日本で活躍した男性タレント、俳優、司会者。日本人の父とデンマーク人の母をもつ、ハーフタレント。弟は俳優・タレントの岡田眞澄。次女はタレントの岡田美里、長女・三女はいずれも一般人。
E・H・エリック | |
---|---|
本名 | 岡田 泰美(おかだ たいび) |
生年月日 | 1929年8月1日 |
没年月日 | 2000年8月17日(71歳没) |
出生地 | フランス・ニース |
死没地 | アメリカ合衆国・ハワイ州マウイ島 |
職業 | タレント・俳優・司会 |
著名な家族 |
岡田眞澄(弟) 岡田美里(次女) |
芸風
編集日劇でコメディアンとしてデビューし、コントから芝居まで何でもこなすマルチタレント、ハーフタレントの草分けでもある。日本語、英語、フランス語が堪能なことから、ビートルズ来日公演の司会やインタビューを始め海外タレントの来日公演にも多く携わり、芸能史に名を残した司会者として知られる。劇場公演、映画、番組、コマーシャル出演など、ハーフタレントとして成功を極めた。
外国出身の日本のタレントとして著名なロイ・ジェームスも芸能界に紹介したのはエリックであり、外国人タレントとして知られたイーデス・ハンソンとも頻繁に共演をしていた。
来歴
編集父親は日本人の画家の岡田穀(おかだ・みのる)、母親はデンマーク人のインゲボルグ・シーヴァルセン。フランスのニースにて誕生。1941年に帰国し、終戦(1945年8月15日)は台湾で迎える。
その後、青山学院高等部からインターナショナルスクールの横浜セント・ジョセフ・カレッジを卒業。卒業後、外資系の舞台音響設備会社に入社、音響機器の仕事に従事し、日劇ミュージックホールの楽屋に出入りした際、日劇の関係者に誘われ、トニー谷と泉和助と組んで1953年に24歳で日劇ミュージックホールでデビューする。トニー谷に「外人の顔をしているくせに、べらんめえの日本語が喋れて面白い。舞台でやってみないか」と気に入られ、日劇ミュージックホールの座長格だった泉和助の弟子を師匠と仰いで芸を学んだ。戦後の一時期には南道郎と漫才コンビも組むほどであった。日劇や大阪ミュージックホール、新宿コマ劇場などで芸能活動をしながら、映画やテレビ出演をこなし、NHKの看板番組であった「夢で逢いましょう」へのレギュラー出演をきっかけに、日本人離れした外見と日本のことに詳しい”へんな外人”として、E・H・エリックの名は日本中に知られることとなった。(NHKアーカイブス参照)
タレントとしてはCMや番組、ラジオ、映画への出演多数、特に小野薬品のタフマックEDのCMで耳を動かす芸を行い、以降、耳を動かす芸がトレードマークとなる。
また、英語とフランス語に堪能なことから、音楽関係のコンサートや番組での司会として活躍し、日本テレビの看板番組であった歌のグランプリショーの初代司会、1966年のビートルズ来日公演(日本武道館)では司会とインタビューを担当、赤坂の伝説のナイトクラブ「ニューラテン・クォーター」では11年間司会を務め、ナット・キング・コール、ナンシー・ウィルソン、パット・ブーン、ダイアナ・ロスなど、名だたる海外のエンターテイナーを迎えた。
晩年はタレント業を控え、日本アムウェイ社の最高位販売員「クラウン・アンバサダー・ダイレクト・ディストリビューター」として活動、高額年収を得ていたことでも知られている。
2000年、パーキンソン病のためアメリカ合衆国ハワイ州マウイ島で死去。71歳没。弟の眞澄は自身に兄弟姉妹は兄一人しかいないことから「まるで片足を失ったような気分だ」と述懐していた。
家族・親戚関係
編集主な出演作
編集劇場・舞台・コンサート
編集- フランク・シナトラコンサート、アーサ・キットコンサート、アンディ・ウィリアムズコンサート(日比谷野音、司会)
- ニューラテン・クォーター(司会)
- ビートルズ日本公演(日本武道館、司会)
- ミス・インターナショナル世界大会(初代司会)
映画
編集- 七変化狸御殿(1954年、松竹京都) - ロマノフの用心棒 役
- 続二等兵物語 南方孤島の巻(1956年、松竹京都) - ロバート 役
- 東京よいとこ(1957年、主演、東京映画) - ウィリアム・ラドン 役、フリスコ・デイリー 役
- 東京のテキサス人(1957年、主演、東京映画) - ウェスタンデーン 役
- ますらを派出夫会 粉骨砕身す(1957年) - ウィリアム・マスラー 役
- ますらを派出夫会 男なりゃこそ(1957年) - マスラー派出夫 役
- 強情親爺とピンボケ息子(1957年、宝塚映画) - ジミー・カーチス 役
- オンボロ人生(1958年) - ジャム 役
- やりくりアパート(1959年、宝塚映画) - 東谷 役
- やりくりアパート びっくり大放送(1959年、宝塚映画) - 東谷 役
- 俺の故郷は大西部(1960年、日活) - クライトン 役
- 恋とのれん(1961年) - チャールス・ミルトン 役
- 学生重役(1961年) - ウィルソン 役
- 東京さのさ娘(1962年) - ジミー・スコット 役
- サラリーマン物語 大器晩成(1963年) - バルブ 役
- 夜の配当(1963年)
- 温泉女中(1963年) - へんな外人 役
- ニッポン珍商売(1963年) - チャールス・マーカット 役
- 続・てなもんや三度笠(1963年、東映) - フラッシュ船長役
- やぶにらみニッポン(1963年) - 東宝、ラフカディオ・イヤーン 役
- こんにちは赤ちゃん(1964年、日活) - ケニイ役
- 我が青春(1965年) - テレビ司会者 役
- 調子のいい奴 いたずらの天才(1965年) - マナセプロ、レッド社長 役
- 大日本殺し屋伝(1965年、日活) - 006 役
- 陸軍中野学校(1966年、大映) - オスカー・ダビドソン 役
- 九ちゃんのでっかい夢(1967年、松竹大船) - 殺し屋カルダン 役
- クレージー黄金作戦(1967年、東宝・渡辺プロ) - 神父 役
- 関東刑務所帰り(1967年、日活) - シカゴのジョー 役
- 温泉ゲリラ 大笑撃(1968年) - 安西社長役
- 青春の風(1968年、日活) - クーパー氏役
- コント55号と水前寺清子の神様の恋人(1968年)
- 性犯罪法入門(1969年) - ガシオラ役
- 喜劇 新宿広場(1969年) - ジョージ二等衛生兵役
- 高校生番長 深夜放送(1970年) - ディスクジョッキー役
- 新・ハレンチ学園(1971年、日活) - シルクハット役
- カポネの舎弟 やまと魂(1971年、東映京都) - ジム役
- 走れ!コウタロー 喜劇・男だから泣くサ(1971年) - 亜太郎 役
- 喜劇 男の顔は人生よ(1971年) - 空軍将校 役
- 夜のならず者(1972年) - 外人パーサー役
- ルパン三世 念力珍作戦(1974年、東宝) - モッキンパット師役
- 人間の証明(1977年、角川春樹事務所) - 司会者役
テレビ
編集- 午後のおしゃべり(NHK総合)
- 夢で逢いましょう(1961年〜1966年、NHK総合、黒柳徹子・渥美清と共演)
- 歌のグランプリショー(1962年〜、日本テレビ、初代司会者)
- お昼のゴールデンショー(1969年、フジテレビ、月曜放送分の司会を倍賞美津子と担当)
- おばかさん(主演、日本テレビ、遠藤周作原作)
- 第11回NHK紅白歌合戦(1960年、NHK総合・ラジオ第1、白組応援団)
- ダイエットのすすめ(フジテレビ)
- エリックのらくらく大工
- 霊感ヤマカン第六感(朝日放送)
- スチャラカ社員(朝日放送)
- 快獣ブースカ 第7話「スパイをやっつけろ!」(1966年、日本テレビ / 東宝 / 円谷プロ) - 000ゴネリー
- 青春とはなんだ(1966年、日本テレビ)第24話
- 高校三年(1966年)
- 木曜スペシャル・異色歌手紅白歌合戦(1970年2月19日、フジテレビ) - 白組・司会
- 銀河テレビ小説 / 何処へ(1973年、NHK総合)
- 花神(1977年、NHK総合 大河ドラマ) - ガール 役
- スター(秘)どっきりテレビ(1982年、テレビ東京)※(秘)は丸の中に秘。ロイ・ジェームスの体調不良に伴い司会を務めた。
- アルザスの青い空(1985年、フジテレビ) - シャルル神父役
- 花の降る午後(1989年、NHK総合) - リード・ブラウン役
ラジオ
編集- エリックのダイアモンド・ジョッキー(ラジオ関東)
CM
編集- トヨタ・パブリカ
- ヤマハ・メイト
- ブラック・アンド・デッカー
- イエローハット
- エリックジャー味
- グリーンスタンプ
- コンタック600
- 小野薬品・タフマックED(エーデー)
- ハウス食品・ハウスシチュー
- ナショナル・電子レンジ
- どさん子ラーメン
その他
編集- ウエスタンリバー鉄道(東京ディズニーランドのアトラクション) 1983年のオープン時から1999年まで走行中の列車のアナウンスを担当。
演じた俳優
編集- パトリック・ハーラン - 2016年NHK総合「トットてれび」