CAチャカリタ・ジュニアーズ
アルゼンチンのサッカークラブ
クルブ・アトレティコ・チャカリタ・ジュニアーズ(スペイン語: Club Atlético Chacarita Juniors)は、アルゼンチンのブエノスアイレス・ビジャ・クレスポをホームタウンとするサッカークラブである。
CAチャカリタ・ジュニアーズ | ||||
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原語表記 | Club Atlético Chacarita Juniors | |||
愛称 |
Funebreros (Undertakers) Tricolor (Three-color) | |||
クラブカラー | 赤・白・黒 | |||
創設年 | 1906年 | |||
所属リーグ | プリメーラ・ナシオナル | |||
所属ディビジョン | 2部 | |||
ホームタウン | ビジャ・クレスポ | |||
ホームスタジアム | エスタディオ・デ・チャカリタ・ジュニアーズ | |||
収容人数 | 19,000 | |||
代表者 | ネストル・ディ・ピエロ | |||
監督 | アニバル・ビジェリ | |||
公式サイト | 公式サイト | |||
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■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ |
ユニフォーム
編集チャカリタは社会主義者のアルバレス・トマスとテオドロ・ガルシアによって創設された。そして、このチームのメンバーの多くが葬儀屋で働いていた。そのため、チームカラーを社会主義の赤色と死を象徴する黒色にしようとした。しかし、これに対してキリスト教の司祭が反対した。それで、社会主義者のメンバー達は、この不和を収めるためにチームカラーに白色を加えることにした。
ニックネーム
編集愛称のFunebrerosは「葬儀屋」の意味である。これは、クラブの本部がチャカリタ墓地のそばに位置していて、創立メンバーの多くが葬儀屋に勤めていたからである。チームカラーが赤と白と黒の3色のため、Tricolor(トリコロール)と呼ばれることもある[1]。
ライバル
編集チャカリタの最大のライバルはCAアトランタである。この2チームの対戦はクラシコ・デ・ビジャ・クレスポ(ビジャ・クレスポ・ダービー)と呼ばれている。
タイトル
編集国内タイトル
編集- スーペルリーガ・アルヘンティーナ : 1回
- 1969M
- プリメーラB・ナシオナル : 4回
- 1924, 1941, 1959, 1993-94
歴代監督
編集- エルネスト・ドゥチーニ 1939-1943
- アルフィオ・バシーレ 1975-1976
- カルロス・カバニャーロ 1988
- エクトル・リボイラ 1997-2000
- レイナルド・メルロ 1998-1999
- オスバルド・ソサ 2000-2002
- ネストル・クラビオット 2003
- ネストル・クラウセン 2004-2005
- エクトル・リボイラ 2005-2007
- ダルシオ・ヒオバニョーリ 2008
- リカルド・シエリンスキ 2009
- フェルナンド・ガンボア 2009-2010
- マウロ・ナバス 2010
- エクトル・リボイラ 2011
- フェリペ・デ・ラ・リバ 2011-2012
- カルロス・モントーヤ 2013
- カルロス・レーブ 2013-2014
- フェルナンド・ガンボア 2015-2016
- ワルテル・コイエット 2016-2017
- ホルヘ・ビバルド 2018
- クラウディオ・ビアージョ 2020
歴代所属選手
編集→詳細は「Category:CAチャカリタ・ジュニアーズの選手」を参照
GK
編集- ルイス・イスラス 1982
- カルロス・モントーヤ 2001-2003
DF
編集- フアン・カルロス・ヴィジャマジョール 2000-2001
- ラウール・カルドーソ 2000-2001
- ハビエル・ピノラ 2000-2002
- マティアス・レキ 2009
- マティアス・マンリケ 2009
MF
編集- セルヒオ・エスクデロ 1984-1986
- グスタボ・サパタ 2000-2001
- マウリシオ・セルナ 2004
- ルシアーノ・ペルドモ 2019-
FW
編集- オスバルド・エスクデロ 1978-1979, 1980
- レオポルド・ルケ 1983-1984
- エドゥアルド・ブストス・モントージャ 2002
- パブロ・バスティアニーニ 2011
脚注
編集- ^ footballista 2009.7/29-8/5号
外部リンク
編集- 公式ウェブサイト
- Informe Tricolor - Twitter
- Gloriosa Tricolor