21stセンチュリー・スキッツォイド・バンド
21stセンチュリー・スキッツォイド・バンド(21st Century Schizoid Band、トウェンティ・ファースト・センチュリー・スキッツォイド・バンド)は、イングランドのロック・バンドである。
21stセンチュリー・スキッツォイド・バンド 21st Century Schizoid Band | |
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出身地 | イングランド |
ジャンル |
プログレッシブ・ロック ジャズ・ロック シンフォニック・ロック |
活動期間 | 2002年 - 2004年 |
レーベル | Iceni Records |
共同作業者 | キング・クリムゾン |
旧メンバー |
イアン・マクドナルド メル・コリンズ ピーター・ジャイルズ ジャッコ・ジャクジク マイケル・ジャイルズ イアン・ウォーレス |
プログレッシブ・ロックバンド「キング・クリムゾン」の元メンバーが結成したトリビュートバンドで、1969年から1971年までの楽曲のカバー曲を中心にコンサート活動を行なった。
概要・略歴
編集2002年に結成[1]。バンド名はキング・クリムゾンのデビューアルバム『クリムゾン・キングの宮殿』の収録曲「21世紀のスキッツォイド・マン(21st Century Schizoid Man)」に由来している。名付け親はキング・クリムゾンを主宰するロバート・フリップ[2]。
メンバーはイアン・マクドナルド(フルート、キーボード、アルト・サクソフォーン)、マイケル・ジャイルズ(ドラムス)、メル・コリンズ(サクソフォーン、フルート、キーボード)、ピーター・ジャイルズ(ベース)、ジャッコ・ジャクジク(ギター、ボーカル)。マクドナルドとマイケル・ジャイルズはキング・クリムゾンのオリジナル・メンバーで、コリンズはマクドナルドと入れ替わって1970年にキング・クリムゾンに加入した。マイケルの弟ピーターは、キング・クリムゾンの前身に当たるジャイルズ・ジャイルズ&フリップに兄と共に在籍した[注釈 1]。
2002年11月の日本公演の後、マイケル・ジャイルズが脱退し[1]、1971年から1972年までキング・クリムゾンのメンバーだったイアン・ウォーレスが加入。2003年11月の2度目の日本公演を含めて、2004年までワールド・ツアーを行なった。
彼等はキング・クリムゾンが1969年から1971年までの間に発表した最初の4枚のアルバムの収録曲を中心に、マクドナルドとジャイルズ兄弟のアルバム『マクドナルド・アンド・ジャイルズ』(1970年)を初めとするメンバーのバック・カタログからの作品によって構成されたセットをライブ演奏し、4作のアルバムを発表した。マクドナルドのソロ・アルバム『ドライヴァーズ・アイズ』(1999年)から「Let There Be Light」[注釈 2]、ジャクジクのインストゥルメンタル「Catley's Ashes」[注釈 3]なども披露された。
様々な国に拠点を置くメンバーで一緒にツアーするのが困難だということもあり、彼等は2004年以来活動していない。2005年にフェスティバル公演での演奏依頼があり、おそらく別の仕事が入っていたウォーレスに代わってガイ・エヴァンス(ヴァン・ダー・グラフ・ジェネレーター)をドラマーに迎えた編成による再結成の可能性があったが実現しなかった。
2007年2月、ウォーレス病没。
2010年、ジャクジクとコリンズはフリップとの連名で『ア・キング・クリムゾン・プロジェクト』を開始し、2011年にトニー・レヴィン(ベース)とギャヴィン・ハリソン(ドラムス)を迎えてアルバム『ア・スケアシティ・オブ・ミラクルズ』を発表した[3]。2013年、この5人にパット・マステロット(ドラムス)とビル・リーフリン(ドラムス)を加えた7人で新しいキング・クリムゾンが編成された[4]。
2022年2月、マクドナルド病没。
歴代メンバー
編集- イアン・マクドナルド (Ian McDonald) - サクソフォーン、キーボード、フルート、ボーカル(2002年 - 2004年)※2022年没。
- メル・コリンズ (Mel Collins) - サクソフォーン、フルート、キーボード(2002年 - 2004年)
- ピーター・ジャイルズ (Peter Giles) - ベース(2002年 - 2004年)
- ジャッコ・ジャクジク (Jakko Jakszyk) - ギター、リードボーカル、フルート、キーボード(2002年 - 2004年)
- マイケル・ジャイルズ (Michael Giles) - ドラムス(2002年)
- イアン・ウォーレス (Ian Wallace) - ドラムス(2003年 - 2004年)※2007年没。
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イアン・マクドナルド
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メル・コリンズ
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ジャッコ・ジャクジク
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イアン・ウォーレス
ディスコグラフィ
編集ライブ・アルバム
編集- 『オフィシャル・ブートレグ Vol.1』 - Official Bootleg V.1 (2002年)
- 『ライヴ・イン・ジャパン 2002』 - Live in Japan (2003年) ※CD+DVD
- 『ライヴ・イン・イタリー』 - Live in Italy (2003年)
- 『ピクチャー・オブ・ア・シティー ライヴ・イン・ニュー・ヨーク』 - Pictures of a City – Live in New York[5] (2006年)
日本公演
編集出典[6]。
2002年
編集- 11月5日 東京・東京厚生年金会館
- 11月6日 東京・東京厚生年金会館
- 11月8日 大阪・松下IMPホール
2003年
編集- 11月14日 東京・東京厚生年金会館
脚注
編集注釈
編集- ^ キング・クリムゾンを脱退した兄と共に、アルバム『ポセイドンのめざめ』(1970年)にゲスト参加した。
- ^ 元キング・クリムゾンのピート・シンフィールドとの共作。
- ^ フリップも参加した彼のソロ・アルバム『ロマンティック・グリー・クラブ』(2006年)に収録された。
出典
編集- ^ a b Smith (2019), p. 313.
- ^ “キング・クリムゾン50周年記者会見で明らかになった15の事実”. Rolling Stone (2019年5月6日). 2019年7月8日閲覧。
- ^ Smith (2019), pp. 314–316.
- ^ “キング・クリムゾン来日中、ジャッコとメル・コリンズのインタビューが実現!”. rockin'on (2018年12月4日). 2019年7月8日閲覧。
- ^ “Discogs”. 2024年12月31日閲覧。
- ^ “www.setlist.fm”. 2024年12月31日閲覧。
引用文献
編集- Smith, Sid (2019). In the Court of King Crimson: An Observation over Fifty Years. Panegyric. ISBN 978-1916153004