ビル・リーフリン[note 1]Bill Rieflin1960年9月30日[1] - 2020年3月24日)は、アメリカ合衆国出身のミュージシャンマルチ奏者[2]

ビル・リーフリン
Bill Rieflin
ロビン・ヒッチコック&ザ・ヴィーナス - USAコロンビア公演(2009年)
基本情報
出生名 William Frederick Rieflin
別名 ウィリアム・リーフリン
生誕 (1960-09-30) 1960年9月30日
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ワシントン州シアトル
死没 (2020-03-24) 2020年3月24日(59歳没)
ジャンル インダストリアル
エクスペリメンタル・ロック
オルタナティヴ・ロック
ハードロック / ヘヴィメタル
プログレッシブ・ロック
職業 ミュージシャンマルチ奏者音楽プロデューサー
担当楽器 ドラムキーボードギターベースボーカル
活動期間 1975年 - 2020年
レーベル First World Music
共同作業者 ミニストリー
R.E.M.
スウィート75
リヴォルティング・コックス
KMFDM
ピッグフェイス
ナイン・インチ・ネイルズ
ロビー・ウィリアムズ
スワンズ
キング・クリムゾン ほか

1990年代に、多くの著名グループ(特にインダストリアル・ロックおよびインダストリアル・メタル・シーン)のドラマーとして活躍。マルチプレイヤーとしての才能も発揮し、「R.E.M.」「キング・クリムゾン」などで定期的に活動した。

略歴

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青年期(1975年 - 1994年)

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リーフリンは、故郷のシアトルでプロとしてのキャリアをスタートした。1975年、The Screamersの前身バンド、The Tupperwaresによる2、3回のライブ・ギグをバックアップしたThe Telepathsに在籍した[3]1979年からは、The Blackoutsのためにドラムを演奏した。その時のバンド・メイトには、彼の兄弟であるレイモンド、ポール・バーカー、ローランド・バーカー、エリック・ヴェルナーがいた。やがて、そのバンドは解散し、ポール・バーカーは新生ミニストリーに加わった。アル・ジュールゲンセンとのリーフリンの最も初期のコラボレーションは、リヴォルティング・コックスによるセカンド・シングル「You Often Forget」だった。その後、ミニストリーの画期的なアルバム『ザ・ランド・オブ・レイプ・アンド・ハニー』の制作に参加した。ライブ・ビデオ『イン・ケース・ユー・ディドゥント・フィール・ライク・ショーイング・アップ (ライヴ)』では(同僚のドラマー、マーティン・アトキンスと共に)、そのパフォーマンスが注目された。ミニストリーやそのサイド・プロジェクトは、1990年代半ばまで続いたが、決してミニストリーのメンバーとしてクレジットされたことはなく「他のミュージシャン」とされていたと述べている。したがって『フィルス・ピッグ』セッション中に彼がバンドと決別したときも、公式メンバーではなかったので、実際にバンドを辞めたというわけではなかった[4]

リーフリンはアトキンスが、数百人のアーティストを取り入れて成長するであろうインダストリアルの集団、ピッグフェイスを結成するのを助けた。また、Wax Trax!のレーベル・メイトであったクリス・コネリーと友好関係を築きつつ、First World Musicというレーベルを設立した。コネリーのように、リーフリンの仕事もまたインダストリアルというルーツを超えて成長していった。彼らはいくつかのレコーディングでコラボレーションを行った。特にアルバム『The Ultimate Seaside Companion』(The Bells名義)とアルバム『Largo』のふたつは、見過ごされがちなリーフリンのキーボードの手腕を紹介するものとなっている。

マルチプレイヤーとして活動(1995年 - 2013年)

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シアトルに住むことで、リーフリンは、キング・クリムゾンロバート・フリップトレイ・ガンKMFDMのサシャ・コニエツコ、R.E.M.のピーター・バックを含む、さまざまな著名ミュージシャンとの関係を築く機会を得た。フリップはリーフリンのソロ・デビュー作『Birth of a Giant』に貢献した。そして、この作品はリーフリンがバック・グラウンドの役割以外に、歌を歌っていたことも特徴となっている。この時のセッションからの即興演奏が、後にCD『The Repercussions of Angelic Behavior』で使用された。

リーフリンは、1995年から2003年にリリースされたすべてのKMFDMのレコードに、ドラマー、プログラマー、ボーカリスト、およびキーボード奏者として登場した。2002年には、バンドのベーシストとしてカムバック・アルバム『Attak』をサポートし、2011年のアルバム『WTF?!』でも演奏している[5]

 
R.E.M. でプレイ (2008年)

彼はまたスコット・マッコーイのバンド、ザ・マイナス5でドラムを叩くようになり、そこにはギタリストのピーター・バックが参加することもあった。その流れから、バックはリーフリンに、1997年のビル・ベリーの脱退以来、パーマネントなドラマーを欠いていたR.E.M.と一緒に演奏すべくドラムに座る機会を提供した。2003年のツアーで、彼はライブ・ドラマーの位置をリーフリンに与えた[6]。彼らはやがてリーフリンが無期限にR.E.M.のドラマーの役割を果たすと発表したが、これもまた公式メンバーとしてではなく雇われミュージシャンとしてだった。レコーディングでは、リーフリンはブズーキ、キーボード、そしてギターでもグループに貢献し、R.E.M.が2011年に解散するまで補助的なメンバーとして活躍した。

リーフリンは2005年に「Slow Music」という名前で実験的なアンサンブルをつくり(フリップとバックを含む)、ドラムではなくシンセサイザーを演奏した。その名前が示すように、彼らのアプローチはミュージシャン同士がお互いのためにスペースを空けながら、まばらな音をたくさん重ねることに向けられていた。すべての公演が即興演奏だった。グループは2005年2006年にわずかな一握りのライブ・スケジュールで演奏し、数年で活動を停止した。

リーフリンは、クリス・ウォン、ロバート・フリップ、およびトーヤ・ウィルコックスからなるTHE HUMANSという音楽コラボレーション・プロジェクトに参加している。バンドは、2007年秋と2009年にエストニアで一連のライブを行い、彼らのデビュー・アルバム『We are the Humans』を2009年5月1日にリリースした。また別のアルバムを2013年に発表し、2014年の春に「Slow Music」とのダブル・ビルの小さなライブ・シリーズが続いた。

ヘクトール・ザズーの2010年アルバム『Corps Electriques』には、リーフリン、ケイティ・ジェーン・ガーサイド、Lone Kent、および、ニュージャズのトランペッター、ニルス・ペッター・モルヴェルがフィーチャーされた。

1995年のアルバム 『The Great Annihilator』以来、リーフリンはスワンズにレギュラーで協力するメンバーであり、2010年の再結成以来、すべてのスタジオ・レコーディングでさまざまな楽器を演奏し、『My Father Will Guide Me up a Rope to the Sky』をリリースしている(彼はアルバム『The Seer』で「名誉のスワン」としてリストされている)。

2012年、リーフリンはロビー・ウィリアムズのアルバム『テイク・ザ・クラウン』のドラムを演奏した。その年の後半、彼はAtomic Brideのシングル「Crush Vaccine」を制作した。同年12月15日、リーフリンはシアトルのダウンタウンにあるクロコダイル・カフェで、ソールドアウトのショーのためにAtomic Brideとライブを行った。

キング・クリムゾン加入から死去まで(2013年 - 2020年)

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2013年9月6日付けのオンライン日記で、ロバート・フリップは、リーフリンをバンドの3人のドラマーのうちのひとりとして含めた、キング・クリムゾンの新しいラインナップを発表した[7]。リーフリンが加入したバンドによる最初の本格的なライブ・リリース(Live in Toronto 2015)から数日後、フリップはリーフリンがバンドを離れ、職務外の長期休暇を取ることに決めたと発表した。これは他のクリムゾン・メンバー全員同意したものであると2016年3月6日に発表された[8]

2017年初頭、フリップはリーフリンが彼の交代者であったジェレミー・ステーシーと一緒にバンドへ戻ってくることを発表した。数年間、ツアーをしてきてフリップが感じた、満足感を得ることなく前進したいという欲求のために、リーフリンは新しいダブル・カルテット構成の中で「メインの楽器としてドラムを使うよりも、メロトロン、キーボード、フェアリー・ダスティング(天使がたてる埃のような音楽への色付け)に焦点を当てる」役割とされた[9]。そして、キング・クリムゾン史上初である専任のキーボード奏者となった。同年10月から11月にかけてのアメリカ・秋ツアーでは、クリス・ギブソンが代役を務めたのち[10]。翌2018年に再合流した。

2019年、再度の長期休養。そして同年8月、現代画家イラストレーターである妻フランチェスカ・サンドステン(Francesca Sundsten)が病死。妻は近年、キング・クリムゾンのライブアルバム『ラディカル・アクション〜ライブ・イン・ジャパン+モア』(2016年)や、ボックスセット『Audio Diary 2014-2018』(2019年)のカバーアートを手掛けていた[11]

妻が亡くなった約半年後の2020年3月24日、59歳で死去。死因は癌であったことが示唆されている[12]

ディスコグラフィ

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ソロ・アルバム

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  • Birth of a Giant (1999年)
  • The Repercussions of Angelic Behavior (1999年) ※Bill Rieflin、Robert Fripp、Trey Gunn名義
  • Largo (2000年) ※Bill Rieflin & Chris Connelly名義

ミニストリー

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  • 『ザ・ランド・オブ・レイプ・アンド・ハニー』 - The Land of Rape and Honey (1988年)
  • 『ザ・マインド・イズ・ア・テリブル・シング・トゥ・テイスト』 - The Mind Is a Terrible Thing to Taste (1989年)
  • 『イン・ケース・ユー・ディドゥント・フィール・ライク・ショーイング・アップ (ライヴ)』 - In Case You Didn't Feel Like Showing Up (1990年)
  • 『ΚΕΦΑΛΗΞΘ -詩篇69-』 - Psalm 69: The Way to Succeed and the Way to Suck Eggs (1992年)
  • 『フィルス・ピッグ』 - Filth Pig (1996年)

リヴォルティング・コックス

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  • Live! You Goddamned Son of a Bitch (1988年)
  • Beers, Steers, and Queers (1990年)
  • Big Sexy Land (1992年)
  • 『憤逆のリヴコ』 - Linger Ficken' Good (1993年)

ラード

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  • 『ラスト・テンプテーション・オブ・リード』 - The Last Temptation of Reid (1990年)
  • 『ピュア・チューイング・サティスファクション』 - Pure Chewing Satisfaction (1997年)
  • 70's Rock Must Die (2000年)
  • Naïve (1990年)
  • 『ニヒル』 - Nihil (1995年)
  • 『エクストート』 - Xtort (1996年)
  • 『F×S×C×S×P』 - Symbols (1997年)
  • Adios (1999年)
  • Attak (2002年)
  • Sturm & Drang Tour 2002 (2003年)
  • WWIII (2003年)
  • WTF?! (2011年)

ピッグフェイス

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  • Gub (1991年)
  • Lean Juicy Pork (1991年) ※インタビューのみ
  • Welcome to Mexico... Asshole (1992年)

スワンズ

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  • The Great Annihilator (1995年)
  • Soundtracks for the Blind (1996年)
  • My Father Will Guide Me up a Rope to the Sky (2010年)
  • The Seer (2012年)
  • 『トゥ・ビー・カインド』 - To Be Kind (2014年)
  • 『ザ・グローイング・マン』 - The Glowing Man (2016年)

Angels of Light

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  • New Mother (1999年)
  • We Are Him (2007年)

R.E.M.

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  • 『アラウンド・ザ・サン』 - Around the Sun (2004年)
  • 『R.E.M. ライヴ』 - R.E.M. Live (2007年)
  • 『アクセラレイト』 - Accelerate (2008年)
  • 『ライヴ・アット・ジ・オリンピア』 - Live at the Olympia (2009年)
  • 『コラプス・イントゥ・ナウ』 - Collapse into Now (2011年)

ロビン・ヒッチコック&ザ・ヴィーナス・3

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  • 『オーレイ!タランチュラ』 - Olé! Tarantula (2006年)
  • Goodnight Oslo (2009年)
  • Propellor Time (2010年)

THE HUMANS

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  • We Are the Humans (2009年)
  • Sugar Rush (2011年)
  • Strange Tales (2014年)

キング・クリムゾン

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  • 『ライヴ・アット・オルフェウム』 - Live at the Orpheum (2015年)
  • 『ライヴ・イン・トロント』 - Live in Toronto (2016年)
  • 『ラディカル・アクション〜ライブ・イン・ジャパン+モア』 - Radical Action to Unseat the Hold of Monkey Mind (2016年)
  • 『ライブ・イン・シカゴ 2017』 - Live in Chicago (2017年)
  • 『メルトダウン〜ライブ・イン・メキシコ』 - Meltdown: Live in Mexico City (2018年)

参加アルバム

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  • 1000 Homo DJs: "Supernaut" (1990年)
  • マイケル・ジラ: Drainland (1995年)
  • ナイン・インチ・ネイルズ: 『ザ・フラジャイル』 - The Fragile (1999年)
  • Land: Road Movies (2001年)
  • Lead into Gold: The Sun Behind the Sun (2018年)

脚注

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  1. ^ ウィリアム・リーフリン」(William Rieflin)の表記もある。とりわけ活動初期はこちらの表記の方が多く見られた。

出典

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  1. ^ Bill Rieflin AllMusic(英語)2022年10月1日閲覧。
  2. ^ Tortorici, Frank (1998年9月29日). “Revolting Cocks' Bill Rieflin”. MTV.com. 2017年6月16日閲覧。
  3. ^ Reighley, Kurt (2002-05-08), “The Screamers”, Seattle Weekly, http://www.seattleweekly.com/2002-05-08/music/the-screamers/ 2010年2月19日閲覧。 
  4. ^ Worley, Gail (1999年11月4日). “What a Long, Strange Trip It's Been: The Definitive Bill Rieflin Interview”. Ink19.com. 2018年2月26日閲覧。
  5. ^ Metropolis Mail Order // WTF?!” (January 21, 2011). January 21, 2011閲覧。
  6. ^ R.E.M. Begins Rehearsals With New Drummer”. Billboard (2003年5月12日). 2017年6月16日閲覧。
  7. ^ Robert Fripp's Diary for Friday, September 6, 2013”. Discipline Global Mobile (6 September 2013). 28 March 2014時点のオリジナルよりアーカイブ。24 September 2013閲覧。
  8. ^ Robert Fripp (2013年3月7日). “Sunday So What to say?”. Discipline Global Mobile. 24 February 2017閲覧。
  9. ^ DGM HQ.”. Discipline Global Mobile (13 February 2017). 2017年2月24日閲覧。
  10. ^ https://www.dgmlive.com/news/Chris%20Gibson%20joins%20Crim
  11. ^ FRANCESCA SUNDSTEN RIP”. DGM Live.com (2019年8月7日). 2020年5月9日閲覧。
  12. ^ “キング・クリムゾンのドラマー、ビル・リーフリンが死去”. BARKS. (2020年3月25日). https://www.barks.jp/news/?id=1000180366 2020年3月26日閲覧。 

外部リンク

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