1969年南アフリカグランプリ
1969年南アフリカグランプリ (1969 South African Grand Prix, 正式名称: Third AA Grand Prix of South Africa, アフリカーンス語: Derde AA Suid-Afrikaanse Grand Prix[1]) は、1969年のF1世界選手権の開幕戦として、1969年3月1日にキャラミで開催された。
レース詳細 | |||
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1969年F1世界選手権全11戦の第1戦 | |||
キャラミ (1967-1985) | |||
日程 | 1969年3月1日 | ||
正式名称 | Third AA Grand Prix of South Africa | ||
開催地 |
キャラミ 南アフリカ共和国 トランスヴァール州 ミッドラント | ||
コース | 恒久的レース施設 | ||
コース長 | 4.104 km (2.550 mi) | ||
レース距離 | 80周 328.320 km (204.009 mi) | ||
決勝日天候 | 晴(ドライ) | ||
ポールポジション | |||
ドライバー | ブラバム-フォード | ||
タイム | 1:20.0 | ||
ファステストラップ | |||
ドライバー | ジャッキー・スチュワート | マトラ-フォード | |
タイム | 1:21.6 (50周目) | ||
決勝順位 | |||
優勝 | マトラ-フォード | ||
2位 | ロータス-フォード | ||
3位 | マクラーレン-フォード |
レースは80周で行われ、マトラのジャッキー・スチュワートが4番手スタートから優勝した。ロータスのグラハム・ヒルが2位、マクラーレンのデニス・ハルムが3位となった。
エントリー
編集主要チーム
編集1969年シーズンはこれまで通り南アフリカGPで開幕したが、前年までの1月から3月に変更された[2]。開幕までの数週間までに、各チームのエントリーが発表された。フェラーリを除く全チームは2台をエントリーすると予想されていた。フェラーリ創業者のエンツォ・フェラーリは1台のみエントリーすることを発表した。当初、フェラーリは説明もなく2台エントリーを行うとしていたので、ほとんどの人が驚いた。しかし、これは後に変更され、最終的にクリス・エイモンのみ参加した。ブラバム、BRM、マトラ・インターナショナル、マクラーレンは2台、ロータスは3台をエントリーした[3]。
この年の開幕当初、フェラーリはF1のみならずF2、スポーツカー、Can-Am、ヒルクライムといったあらゆるレースに参戦し、その費用が年々高騰していったため深刻な財政難に陥っていた。ジャッキー・イクスがブラバムへ去ったため、ドライバーは残留したエイモンのみとなり、開発責任者のマウロ・フォルギエリは、四輪駆動のF1マシン[注 1]や新型水平対向12気筒(厳密には180度V型12気筒)エンジンを搭載する新車312Bの開発に集中するため、一時的にその職を解かれた[4]。この年使用する312はノーズを平たくし、エンジンの排気管を外側に戻して印象は変わったが[5]、基本的には前年仕様のままであった[6]。ロータスは前年度王者のグラハム・ヒルが残留し、ヨッヘン・リントがブラバムから移籍した。彼らに加え、前年にF1デビューを果たしたマリオ・アンドレッティがアメリカでのスケジュールが許す範囲でスポット参戦を行う。マクラーレンはエースのデニス・ハルムとオーナーのブルース・マクラーレンのニュージーランドコンビを継続した[7]。マトラはワークスのマトラ・スポールがスポーツカーレースに専念したため、ケン・ティレル率いるセミワークスのマトラ・インターナショナルのみが参加し、ジャッキー・スチュワートに加え、ワークスからジャン=ピエール・ベルトワーズが移籍してきた。BRMはホンダからジョン・サーティース、ロータスからジャッキー・オリバーが移籍してラインナップを一新した[5]。前年はレプコエンジンの信頼性不足に泣かされ低迷したブラバムは、エンジンをフォード・コスワース・DFVに変更し、マシンも前年のBT26に小改変を加えたBT26Aを投入した。ドライバーはオーナーのジャック・ブラバムに加え、フェラーリからイクスを迎えた[8]。ホンダ、クーパー、イーグルが前年をもってF1から撤退した一方、この年新たに参入するワークスチームはなかった[9]。
プライベートチーム
編集ロブ・ウォーカー/ジャック・ダーラッシャー・レーシングチームは前年同様、ジョー・シフェールがロータス・49Bを走らせる[7]。前年BRMのエースであったペドロ・ロドリゲスは、レグ・パーネル・レーシングに移籍してBRM・P126を走らせる[5]。この他、地元南アフリカ共和国と隣国のローデシアから参戦したプライベートチーム及びドライバーについては、下記のエントリーリストを参照されたい。なお、サム・ティングルとバシル・ヴァン・ルーヤンは最後のF1出走となった。
エントリーリスト
編集チーム | No. | ドライバー | コンストラクター | シャシー | エンジン | タイヤ |
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ゴールドリーフ・チーム・ロータス | 1 | グラハム・ヒル | ロータス | 49B | フォード・コスワース DFV 3.0L V8 | F |
2 | ヨッヘン・リント | |||||
3 | マリオ・アンドレッティ | |||||
ロブ・ウォーカー/ジャック・ダーラッシャー・レーシングチーム | 4 | ジョー・シフェール | ロータス | 49B | フォード・コスワース DFV 3.0L V8 | F |
ブルース・マクラーレン・モーターレーシング | 5 | デニス・ハルム | マクラーレン | M7A | フォード・コスワース DFV 3.0L V8 | G |
6 | ブルース・マクラーレン | |||||
マトラ・インターナショナル | 7 | ジャッキー・スチュワート | マトラ | MS10 | フォード・コスワース DFV 3.0L V8 | D |
20 | MS80 1 | |||||
8 | ジャン=ピエール・ベルトワーズ | MS10 | ||||
スクーデリア・フェラーリ SpA SEFAC | 9 | クリス・エイモン | フェラーリ | 312/69 | フェラーリ 255C 3.0L V12 | F |
オーウェン・レーシング・オーガニゼーション | 10 | ジョン・サーティース | BRM | P138 | BRM P142 3.0L V12 | D |
21 | P138 1 | |||||
11 | ジャッキー・オリバー | P133 | ||||
レグ・パーネル・レーシング | 12 | ペドロ・ロドリゲス | BRM | P126 | BRM P142 3.0L V12 | G |
モーターレーシング・ディベロップメンツ・リミテッド | 14 | ジャック・ブラバム | ブラバム | BT26A | フォード・コスワース DFV 3.0L V8 | G |
15 | ジャッキー・イクス | |||||
[注 2] チーム・ガンストン | 16 | [注 2] ジョン・ラブ | ロータス | 49 | フォード・コスワース DFV 3.0L V8 | D |
17 | [注 2] サム・ティングル | ブラバム | BT24 | レプコ 620 3.0L V8 | F | |
チーム・ローソン | 18 | バシル・ヴァン・ルーヤン | マクラーレン | M7A | フォード・コスワース DFV 3.0L V8 | D |
ジャック・ホルム | 19 | ピーター・デ・クラーク | ブラバム | BT20 | レプコ 620 3.0L V8 | D |
ソース:[10] |
- 追記
予選
編集新しいDFVエンジンに大喜びしたジャック・ブラバムがポールポジションを獲得し、ヨッヘン・リント(ロータス)とデニス・ハルム(マクラーレン)とともにフロントローを分け合った[注 3]。2列目にはジャッキー・スチュワート(マトラ)とクリス・エイモン(フェラーリ)が並び、マリオ・アンドレッティ(ロータス)、グラハム・ヒル(同)、ブルース・マクラーレン(マクラーレン)が3列目に並んだ。南アフリカ及びローデシア出身のローカルドライバーで最速だったのはマクラーレン・M7Aを駆るバシル・ヴァン・ルーヤンの9番手で、ロータス・49を駆るジョン・ラブが彼に続く10番手で4列目を分け合った[2]。
予選結果
編集順位 | No. | ドライバー | コンストラクター | タイム | 差 | グリッド |
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1 | 14 | ジャック・ブラバム | ブラバム-フォード | 1:20.0 | - | 1 |
2 | 2 | ヨッヘン・リント | ロータス-フォード | 1:20.2 | +0.2 | 2 |
3 | 5 | デニス・ハルム | マクラーレン-フォード | 1:20.3 | +0.3 | 3 |
4 | 7 | ジャッキー・スチュワート | マトラ-フォード | 1:20.4 | +0.4 | 4 |
5 | 9 | クリス・エイモン | フェラーリ | 1:20.5 | +0.5 | 5 |
6 | 3 | マリオ・アンドレッティ | ロータス-フォード | 1:20.8 | +0.8 | 6 |
7 | 1 | グラハム・ヒル | ロータス-フォード | 1:21.1 | +1.1 | 7 |
8 | 6 | ブルース・マクラーレン | マクラーレン-フォード | 1:21.1 | +1.1 | 8 |
9 | 18 | バシル・ヴァン・ルーヤン | マクラーレン-フォード | 1:21.8 | +1.8 | 9 |
10 | 16 | [注 2] ジョン・ラブ | ロータス-フォード | 1:22.1 | +2.1 | 10 |
11 | 8 | ジャン=ピエール・ベルトワーズ | マトラ-フォード | 1:22.2 | +2.2 | 11 |
12 | 4 | ジョー・シフェール | ロータス-フォード | 1:22.2 | +2.2 | 12 |
13 | 15 | ジャッキー・イクス | ブラバム-フォード | 1:23.1 | +3.1 | 13 |
14 | 11 | ジャッキー・オリバー | BRM | 1:24.1 | +4.1 | 14 |
15 | 12 | ペドロ・ロドリゲス | BRM | 1:25.2 | +5.2 | 15 |
16 | 19 | ピーター・デ・クラーク | ブラバム-レプコ | 1:27.2 | +7.2 | 16 |
17 | 17 | [注 2] サム・ティングル | ブラバム-レプコ | 1:50.4 | +30.4 | 17 |
EX | 10 | ジョン・サーティース | BRM | No Time 1 | - | 18 1 |
- 追記
決勝
編集レースがスタートすると、ジャック・ブラバムはジャッキー・スチュワートとともに先頭に立ち、ヨッヘン・リント、グラハム・ヒル、デニス・ハルム、ブルース・マクラーレンが続いた。1周目の終わりにスチュワートがリードを奪い、以後首位を独走していく。ブラバムは7周目にリアウィングが破損し、ピットインを余儀なくされるまで2位にとどまった。これでリントが2位となったが、すぐにヒルに追い越された。リントはハルムに遅れを取り、ハルムもジョー・シフェールとマリオ・アンドレッティに抜かれたが、アンドレッティは32周目にトランスミッションのトラブルでリタイアした。ハルムはその後、シフェールを抜き返して3位に浮上した。レース後半はスチュワート、ヒル、ハルム、シフェール、マクラーレンの上位5台は順位が変わらないまま、スチュワートはヒルに18秒の差を付けて優勝した[2]。
レース結果
編集順位 | No. | ドライバー | コンストラクター | 周回数 | タイム/リタイア原因 | グリッド | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 7 | ジャッキー・スチュワート | マトラ-フォード | 80 | 1:50:39.1 | 4 | 9 |
2 | 1 | グラハム・ヒル | ロータス-フォード | 80 | +18.8 | 7 | 6 |
3 | 5 | デニス・ハルム | マクラーレン-フォード | 80 | +31.8 | 3 | 4 |
4 | 4 | ジョー・シフェール | ロータス-フォード | 80 | +49.2 | 12 | 3 |
5 | 6 | ブルース・マクラーレン | マクラーレン-フォード | 79 | +1 Lap | 8 | 2 |
6 | 8 | ジャン=ピエール・ベルトワーズ | マトラ-フォード | 78 | +2 Laps | 11 | 1 |
7 | 11 | ジャッキー・オリバー | BRM | 77 | +3 Laps | 14 | |
8 | 17 | [注 2] サム・ティングル | ブラバム-レプコ | 73 | +7 Laps | 17 | |
NC | 19 | ピーター・デ・クラーク | ブラバム-レプコ | 67 | 規定周回数不足 | 16 | |
Ret | 2 | ヨッヘン・リント | ロータス-フォード | 44 | 燃料ポンプ | 2 | |
Ret | 10 | ジョン・サーティース | BRM | 40 | エンジン | 18 | |
Ret | 12 | ペドロ・ロドリゲス | BRM | 38 | 水漏れ | 15 | |
Ret | 9 | クリス・エイモン | フェラーリ | 34 | エンジン | 5 | |
Ret | 14 | ジャック・ブラバム | ブラバム-フォード | 32 | ハンドリング | 1 | |
Ret | 3 | マリオ・アンドレッティ | ロータス-フォード | 31 | ギアボックス | 6 | |
Ret | 16 | [注 2] ジョン・ラブ | ロータス-フォード | 31 | イグニッション | 10 | |
Ret | 15 | ジャッキー・イクス | ブラバム-フォード | 20 | イグニッション | 13 | |
Ret | 18 | バシル・ヴァン・ルーヤン | マクラーレン-フォード | 12 | ブレーキ | 9 | |
ソース:[15]
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- ジャッキー・スチュワート - 1:21.6(50周目)
- ラップリーダー[17]
- ジャッキー・スチュワート - 80周(全周回トップ) (Lap 1-80)
第1戦終了時点のランキング
編集
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- 注: トップ5のみ表示。前半6戦のうちベスト5戦及び後半5戦のうちベスト4戦がカウントされる。
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ “Motor Racing Programme Covers: 1969”. The Programme Covers Project. 7 July 2017閲覧。
- ^ a b c “South African GP, 1969”. grandprix.com. 2019年10月20日閲覧。
- ^ Hilton, Christopher (November 2006). Michael Schumacher: The Whole Story. Haynes Publishing. p. 15. ISBN 1-84425-008-3
- ^ (アラン・ヘンリー 1989, p. 245-246)
- ^ a b c (林信次 1995, p. 91)
- ^ (アラン・ヘンリー 1989, p. 246)
- ^ a b (林信次 1995, p. 90)
- ^ (林信次 1995, p. 92)
- ^ (林信次 1995, p. 79)
- ^ “South Africa 1969 - Race entrants”. STATS F1. 2019年10月20日閲覧。
- ^ “South Africa 1969 - Result”. STATS F1. 2019年10月20日閲覧。
- ^ “South Africa 1969 - Qualifications”. STATS F1. 2019年10月20日閲覧。
- ^ “South Africa 1969 - Starting grid”. STATS F1. 2019年10月20日閲覧。
- ^ (林信次 1995, p. 127)
- ^ “1969 South African Grand Prix”. formula1.com. 9 January 2015時点のオリジナルよりアーカイブ。22 December 2015閲覧。
- ^ “South Africa 1969 - Best laps”. STATS F1. 2019年10月20日閲覧。
- ^ “South Africa 1969 - Laps led”. STATS F1. 2019年10月20日閲覧。
- ^ a b “South Africa 1969 - Championship”. STATS F1. 20 March 2019閲覧。
参照文献
編集- Wikipedia英語版 - en:1969 South African Grand Prix(2019年6月24日 13:40:37(UTC))
- Lang, Mike (1982). Grand Prix! Vol 2. Haynes Publishing Group. pp. 88–89. ISBN 0-85429-321-3
- 林信次『F1全史 1966-1970 [3リッターF1の開幕/ホンダ挑戦期の終わり]』ニューズ出版、1995年。ISBN 4-938495-06-6。
- アラン・ヘンリー『チーム・フェラーリの全て』早川麻百合+島江政弘(訳)、CBS・ソニー出版、1989年12月。ISBN 4-7897-0491-2。
外部リンク
編集FIA F1世界選手権 1969年シーズン |
次戦 1969年スペイングランプリ | |
前回開催 1968年南アフリカグランプリ |
南アフリカグランプリ | 次回開催 1970年南アフリカグランプリ |