1968年のテレビ(1968ねんのテレビ)では、1968年昭和43年)の日本におけるテレビジョン放送全般の動向についてまとめる。

UHF親局の開局

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この年は、親局としてのUHFアナログ)放送(13 - 62ch)が本格的に始まった年であった[注 1]

まず2月20日NHK徳島教育テレビジョンが放送開始し[2]、そして8月12日には最初の独立民放局にして民放初のUHF親局となる岐阜放送がテレビジョン放送を開始[3]。以後、全国に順次UHF局が開局していくようになる。

特に、今迄1局しか民放テレビが視れなかった多くの地方においては、初めて2局の民放テレビが視れる様になり(この年は、新潟県新潟総合テレビ静岡県テレビ静岡の両開局がこれに該当する)、1969年はその地域が一気に増えることとなる

これらのUHFテレビ放送を視るには、新たにUHFアンテナを備え付けた上で、その受信機能を備えていなければいけない。この年に発売されたカラーテレビを始めとする多くのテレビには、元々UHF受信機能があったものの、それ以前のテレビはほとんどの機種がVHF(1〜12ch)しか受信できなかった為、それに於いては、専用のUHFコンバータを取り付ける必要があった

主なできごと

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NHK、4月から受信料体系がカラー契約、白黒の普通契約の二本立てに。ラジオ単独受信料は廃止される。
前年に続き、番組のカラー化が更に進む
視聴率

番組関係のできごと

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1月
2月
  • 3日 - TBS系土曜19時30分枠で、ロート製薬一社提供大橋巨泉司会のクイズ番組お笑い頭の体操』放送開始( - 1975年12月27日)[5][6]
  • 6日18日(日本時間)
    • グルノーブル冬季オリンピックフランスグルノーブルで開催され、NHK総合と毎日放送[注 3]で連日放送。開会式・閉会式を始め、競技のほとんどがカラー放送となり、開会式は、カラーではオリンピック初の宇宙(衛星)生中継となった[8][9]。又開催中は連日、両局で競技の模様を(時差等の都合上)録画中継して放送したり、オリンピックハイライトをカラーで放送したりした[7]
    • 毎日放送がこのオリンピックの開会式の放送枠(2月6日)内の、グルノーブルからの生中継放送部分の前後に於いて、自社(千里丘スタジオ)のAスタジオから、大会の展望や日本選手の活躍ぶりの予想を放送[9]。これが、自社初のスタジオカラーカメラによる番組となった[7]。尚、同局の開会式の生中継放送は、NETにもネットされたものの、大会についての展望等は放送されなかった[8][注 4]
  • 14日 - フジテレビ系、この日放送のプロボクシング中継番組『ダイヤモンドグローブ』から、プロボクシング中継のカラー放送を開始[10]
  • 15日 - NHK総合、全国各地を巡る公開番組『ふるさとの歌まつり』が、この日放送のNHKホール(内幸町)からの公開放送から、不定期のカラー放送を開始[11]。翌月(3月)21日の横浜文化体育館での公開放送では、番組に於いて局外中継初のカラー放送を実施[12]。その後は、公開スタジオや中継場所の担当地域局に於いて、カラー中継設備が整備された地域からカラー化していった(毎回カラー化は1970年4月から[13])。
  • 16日 - 日本テレビ系『三菱ダイヤモンド・アワー』が、この日をもって1958年8月29日から続けてきた『ディズニーランド』と日本プロレス中継番組である『日本プロレス中継』との隔週放送が終了。23日からは『日本プロレス中継』が毎週金曜20時からの放送となり『三菱ダイヤモンド・アワー 日本プロレス中継』となった他、『ディズニーランド』は4月7日から日曜19時へ移動(『ディズニーランド』は1972年4月30日終了、『三菱ダイヤモンド・アワー』自体も1972年7月14日終了)[注 5]
  • 20日 - 金嬉老事件が発生。NHK総合『スタジオ102』等が、生放送を通じて犯人と対話を試みた[14]
  • 27日 - フジテレビ系、プロボクシング・世界バンタム級タイトルマッチ「ファイティング原田×ライオネル・ローズ」を、日本武道館からカラーで中継[15]。関東地区にて53.4%の視聴率を記録(ビデオリサーチ調べ)。
3月
4月
5月
6月
7月
  • 2日 - フジテレビ系、プロボクシング・世界バンタム級タイトルマッチ「ライオネル・ローズ×桜井孝雄」を、日本武道館からカラーで中継[31]。関東地区にて45.8%の視聴率を記録(ビデオリサーチ調べ)。
  • 6日 - フジテレビ系でコント55号によるカラー放送のバラエティ番組『コント55号の世界は笑う』放送開始( - 1970年3月)。
  • 11日 - 北海道放送が、当時開催中の「北海道大博覧会」の特別番組『道博への招待』を、北海道の民放で初のカラーによる自主制作番組として放送。[32][33]
8月
9月
  • 1日 - NHK、東京発(全国放送含む)のニュースが全時間帯に於いてカラー化される。[23]
  • 2日
    • 北海道のテレビ局全3局(NHK札幌放送局、北海道放送、札幌テレビ放送)がこの日、札幌市円山陸上競技場で、天皇・皇后両陛下をお迎えして約2万人の列席者を集めて挙行された「北海道百年記念祝典」の模様を、3局共にカラーで生中継(NHKは総合テレビで放送)。[36]
    • 北海道放送、この日の18時50分からの夕方のローカル・ニュースにて、同時間帯のみローカル・ニュースのカラー放送を開始[36]。これに伴い、道内のカラーフィルムによる報道取材を開始。北海道内のテレビ局及びJNN加盟局に於いて、カラーによる報道取材開始は初(TBS・ABCは同月30日から)。
  • 8日 - TBS系で1967年10月から放送していた特撮ヒーロードラマ『ウルトラセブン』がこの日放送の第49話「史上最大の侵略(後編)」をもって最終回。これで、円谷プロダクション制作のウルトラシリーズは一応の区切りを迎え、1971年4月の『帰ってきたウルトラマン』開始まで2年半の中断となる。翌週より同じ円谷プロ制作による怪獣もヒーローも一切登場しない特撮ドラマ『怪奇大作戦』を放送開始( - 1969年3月)。
  • 30日
    • TBS、この日から、自社のテレビニュース番組(『JNNニュースコープ』、『TBSニュース』)のカラー放送を開始[37]。これに伴い、カラーフィルムによるニュース取材を開始。これを受け、一部のJNN系列局でもカラーの報道取材やローカルニュースのカラー放送を開始した。
      • 当時JNNの準キー局の朝日放送は、同月20日にカラーフィルム現像室を運用開始[27]、30日のTBSのニュースカラー化に間に合わせて、カラーフィルムによる報道取材を開始[38]
      • 系列局のRSK山陽放送も、同日にカラー報道取材及びローカルニュースのカラー放送を開始した[39]
    • TBS系の秋の改編では、昼の番組の大改革などが行われた。
    • 日本テレビ系で平日昼の生番組『お昼のワイドショー』放送開始。初代司会は青島幸男(月・水・金)と横山ノック(火・木)が務めた[42][注 8]。以後、司会交代を繰り返しながら1987年10月2日まで19年にわたって続いた。
10月
11月
  • 4日 - フジテレビ系で生放送の歌謡番組『夜のヒットスタジオ』放送開始。初代司会は前田武彦と芳村真理。以後、司会交代や枠移動などを繰り返しながら、1990年10月まで22年にわたって続く長寿番組となった。
  • 23日 - 毎日放送・NET系、第23回文化庁芸術祭テレビジョン部門参加のカラードキュメンタリー番組『日本音楽の生と死』(構成・脚本・解説:黛敏郎)を放送[47]。同部門の奨励賞を受賞[48][注 9]
  • 30日 - 関西テレビ・フジテレビ系で、関西テレビ開局10周年記念ドラマ『青やからわたったんや』が、パートカラー番組として放送。カラーとモノクロの部分を混在させて、ドキュメンタリータッチで描く演出をした、オールロケーションによる制作[50]。第23回芸術祭奨励賞を受賞[48]
12月

その他テレビに関する話題

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開局・放送開始

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岐阜放送以外は、カラー放送も同時開始。
*はこの開局により、今まで民放テレビが1局しか視れなかったのが2局になった地域。

視聴率

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(※関東地区、ビデオリサーチ調べ)

  1. 第19回NHK紅白歌合戦(NHK総合、12月31日)76.9%
  2. 連続テレビ小説 旅路(NHK総合、3月9日)56.9%
  3. 連続テレビ小説 あしたこそ(NHK総合、10月24日)54.7%
  4. 世界バンタム級タイトルマッチ「ファイティング原田×ライオネル・ローズ」(フジテレビ、2月27日)53.4%
  5. メキシコオリンピック・第13日(NHK総合、10月25日 7:20-8:20)51.8%
  6. ゆく年くる年(NHK総合、12月31日)51.3%
  7. 世界J・ウェルター級タイトルマッチ「藤猛×ニコリノ・ローチェ」(TBS、12月12日)47.3%
  8. 世界バンタム級タイトルマッチ「ライオネル・ローズ×桜井孝雄」(フジテレビ、7月2日)45.8%
  9. メキシコオリンピック・閉会式(NHK総合、10月27日)44.9%
  10. ニュース(NHK総合、9月25日 7:00-7:20)43.4%
  11. 冬季オリンピック1968(グルノーブル大会)(NHK総合、2月16日 8:00-8:12)42.2%
  12. スタジオ102(NHK総合、2月16日)41.4%
  13. ニュース(NHK総合、2月16日 8:30-8:45)40.7%
  14. ニュース(NHK総合、2月16日 7:20-7:35)40.0%
  15. カメラリポート(NHK総合、10月28日)39.8%
  16. ザ・ガードマン(TBS、2月9日)39.7%
  17. 参議院選挙と今後の政局(NHK総合、7月9日 7:30-8:12)38.5%
  18. 世界J・ライト級タイトルマッチ「小林弘×レネ・バリエントス」(日本テレビ、3月30日)37.9%

テレビ番組

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テレビドラマ

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NHK
日本テレビ
TBS
フジテレビ
NET
東京12チャンネル

子供向けドラマ

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日本テレビ
TBS
フジテレビ

特撮番組

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テレビアニメ

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バラエティ番組

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演芸番組

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クイズ番組

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音楽番組

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報道番組

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ワイドショー番組

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教養・ドキュメンタリー番組

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スポーツ番組

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映画番組

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その他

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特別番組

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  • 北海道大博覧会特別番組「道博への招待」(カラー)(北海道放送)- 北海道民放初のカラーによる自主制作番組[32]
  • 北海道百年記念祝典(NHK札幌総合テレビ、北海道放送、札幌テレビ放送。3局共にカラー生中継)[36]

既存番組のカラー化

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参考文献

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など

脚注

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注釈

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  1. ^ ちなみに中継局としては、1964年6月16日に、在京民放テレビ5社共同で、日本初のUHF帯の中継局である、日立UHFテレビ中継局を開局したのが最初である。[1]
  2. ^ この間は水前寺清子コント55号萩本欽一坂上二郎)出演の公開バラエティ番組『チータ55号』で埋めた。
  3. ^ 民放では毎日放送の独占放送だった[7]
  4. ^ 朝日新聞クロスサーチで放送当日の各版の番組表では、系列局の九州朝日放送(西部版閲覧)、名古屋テレビ放送(名古屋版閲覧 当時は日本テレビとのクロスネット)では放送されていない反面、TBS系列の北海道放送では同時ネット放送されている(北海道版)。
  5. ^ 『ディズニーランド』放送日は、『日本プロレス中継』は金曜22時台に放送していた。
  6. ^ NETはこの年の5月31日に、同社初のカラーテレビ中継車が完成。この日の放送は、同中継車を使用した初のカラー番組であり、その収録は同年8月6日に、江東公会堂で行われた。
  7. ^ ただしキー局の朝日放送側では双方とも放送枠は不変。
  8. ^ 青島・ノックの2人は共にこの年行われた第8回参議院議員通常選挙で初当選している。
  9. ^ 後に英語版も制作され、翌年(1969年)の3月20日に、エミー賞国際賞のドキュメンタリー部門で入賞する。[49]
  10. ^ 1967年2月20日から前日まではUHF帯による大電力実験局として運用。
  11. ^ 2019年10月1日付で社名変更。
  12. ^ 3月30日、郵政省がNHKの放送受信契約および放送受信料免除基準の変更を認可していた。
  13. ^ 向き合っているパラボラアンテナが少しでもずれると、電波のやり取りが出来なくなる。
  14. ^ 現・MBSメディアホールディングス
  15. ^ テレビ局としての本放送免許は、サービス試験放送開始当日直前の11月29日に取得している。
  16. ^ 日本テレビ最後のいすゞ自動車一社提供番組。
  17. ^ a b c 1969年開局。
  18. ^ ちなみにNHKでは、1966年から同大会のカラー放送を開始している。
  19. ^ この回は、ゲストがザ・ビーバーズ沢知美、司会が江美早苗だった。
  20. ^ ちなみにNHKでは、1965年から同大会のカラー放送を開始している。

脚注

編集
  1. ^ 株式会社東京放送『TBS50年史 資料編』株式会社東京放送、2002年1月、335頁。 
  2. ^ a b c 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'68』日本放送出版協会、1968年、50, 377頁。 
  3. ^ a b c 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'69』日本放送出版協会、1969年、33頁。 
  4. ^ 『放送の五十年 資料編』, p. 634,807.
  5. ^ a b c 増補新版 現代世相風俗史年表 159頁 世相風俗観察会編 河出書房新社
  6. ^ a b 株式会社東京放送『TBS50年史 資料編』株式会社東京放送、2002年1月、339頁。 
  7. ^ a b c d 毎日放送50年史編纂委員会事務局『毎日放送50年史』株式会社 毎日放送、2001年9月1日、483頁。 
  8. ^ a b 朝日新聞 1968年2月6日 東京版朝刊 P.9 テレビ欄 番組表 及び オリンピック開会式中継の番組記事(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
  9. ^ a b 朝日新聞 1968年2月6日 大阪版朝刊 P.8 テレビ欄 番組表 及び きょうのテレビ「冬季五輪の開会式」(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
  10. ^ a b 朝日新聞 1968年2月14日 朝刊 P.9 テレビ欄(朝日新聞クロスサーチで閲覧)
  11. ^ a b 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'68』日本放送出版協会、1968年、158頁。 
  12. ^ 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'68』日本放送出版協会、1968年、158, 204~5頁。 
  13. ^ a b 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'71』日本放送出版協会、1971年、74, 157頁。 
  14. ^ 「NHKは何を伝えてきたか-NHKテレビ番組の50年」NHKテレビ番組年表より
  15. ^ 朝日新聞 1968年2月27日 朝刊 P.9 テレビ欄(朝日新聞クロスサーチで閲覧)
  16. ^ 『放送の五十年 資料編』, p. 631.
  17. ^ a b 『放送の五十年 資料編』, p. 806.
  18. ^ a b 1968年3月28日 朝日新聞大阪版 朝刊P.9 テレビ欄 (朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
  19. ^ 1968年3月28日 朝日新聞東京版 朝刊P.9 テレビ欄 (朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
  20. ^ 『テレビ東京20年史』テレビ東京、1984年4月12日、99頁。NDLJP:12275747/54 
  21. ^ 朝日新聞 1968年3月30日 朝刊 P.9 テレビ欄(朝日新聞クロスサーチで閲覧)
  22. ^ a b c d 『放送の五十年 資料編』, p. 807.
  23. ^ a b c d 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'69』日本放送出版協会、1969年、116頁。 
  24. ^ a b c d e f 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'69』日本放送出版協会、1969年、103頁。 
  25. ^ 『放送の五十年 資料編』, p. 634,806.
  26. ^ 朝日放送社史編修室『朝日放送の50年 Ⅰ 本史』朝日放送株式会社、2000年3月31日、163頁。 
  27. ^ a b 朝日放送社史編修室『朝日放送の50年 Ⅲ 資料集』朝日放送株式会社、2000年3月31日、302頁。 
  28. ^ 朝日新聞 1968年5月26日 東京版及び大阪版 共に朝刊 P.9 テレビ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
  29. ^ a b c d 全国朝日放送株式会社総務局社史編纂部 編『テレビ朝日社史 : ファミリー視聴の25年』全国朝日放送、1984年2月1日、137頁。NDLJP:12276014/219 
  30. ^ 朝日新聞 1963年6月3日朝刊 P.9 テレビ欄(朝日新聞クロスサーチで閲覧)
  31. ^ 朝日新聞 1968年7月2日 朝刊 P.9 テレビ欄(朝日新聞クロスサーチで閲覧)
  32. ^ a b 朝日新聞 1968年7月11日 北海道版 朝刊P.16 テレビ・ラジオ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
  33. ^ 北海道放送 沿革(北海道放送公式ホームページ)(2024年12月20日閲覧)
  34. ^ a b 朝日放送社史編修室『朝日放送の50年 Ⅰ 本史』朝日放送株式会社、2000年3月31日、164~5頁。 
  35. ^ a b 1968年8月9日 朝日新聞大阪版 朝刊P.9 テレビ欄 (朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
  36. ^ a b c d 朝日新聞 1968年9月2日 北海道版 朝刊P.16 テレビ・ラジオ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
  37. ^ a b 株式会社東京放送『TBS50年史 資料編』株式会社東京放送、2002年1月、339頁。 
  38. ^ 朝日放送社史編修室『朝日放送の50年 Ⅰ 本史』朝日放送株式会社、2000年3月31日、155頁。 
  39. ^ a b RSK山陽放送 沿革(RSK山陽放送ホームページ)(2024年12月31日閲覧)
  40. ^ 現在のYKK株式会社
  41. ^ 『放送の五十年 資料編』, p. 809.
  42. ^ 『放送の五十年 資料編』, p. 808、809.
  43. ^ TBS50年史 339頁年表「社外」 TBS編
  44. ^ 増補新版 現代世相風俗史年表 167頁 世相風俗観察会編 河出書房新社
  45. ^ 『放送の五十年 資料編』, p. 808.
  46. ^ 『放送の五十年 資料編』, p. 810.
  47. ^ a b 1968年11月23日、朝日新聞大阪版 朝刊P.9 テレビ欄 (朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
  48. ^ a b c d 文化庁芸術祭賞受賞一覧(第21~30回,PDF)(文化庁のサイト)(2024年7月16日閲覧)
  49. ^ 毎日放送50年史編纂委員会事務局『毎日放送50年史』株式会社 毎日放送、2001年9月1日、484頁。 
  50. ^ a b 朝日新聞 1968年11月30日 大阪版朝刊 P.9 テレビ欄 及び番組記事「強い大人への不信 青やからわたったんや」及び 同日東京版朝刊 P.9 テレビ欄 及び番組記事「青やからわたったんや 妹の死に悲痛な叫び」(共に朝日新聞クロスサーチで閲覧)
  51. ^ 朝日新聞 1968年12月12日 朝刊 P.9 テレビ欄(朝日新聞クロスサーチで閲覧)
  52. ^ 『放送の五十年 資料編』, p. 597.
  53. ^ a b 朝日新聞 1968年12月31日 朝刊10ページ テレビ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
  54. ^ 『放送の五十年 資料編』, p. 806,807.
  55. ^ NTT東日本の災害対策 過去の主な大規模災害等事例 「十勝沖地震(昭和43年5月)」(NTT東日本公式サイト内)(2024年4月4日閲覧)
  56. ^ 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'69』日本放送出版協会、1969年、401頁。 
  57. ^ a b c d e f 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'69』日本放送出版協会、1969年、47頁。 
  58. ^ 『放送の五十年 資料編』, p. 807、811頁.
  59. ^ 同日付毎日新聞東京本社版夕刊 広告 6頁
  60. ^ a b HTB社史編集委員会 編『この10年』北海道テレビ放送、1978年11月3日、31頁。NDLJP:12275341/22 
  61. ^ a b 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'69』日本放送出版協会、1969年、41頁。 
  62. ^ a b NST新潟総合テレビ 会社概要 沿革(NST新潟総合テレビのサイト。2024年7月8日閲覧)
  63. ^ a b 『放送の五十年 資料編』, p. 623、811.
  64. ^ HTB社史編集委員会 編『この10年』北海道テレビ放送、1978年11月3日、34頁。NDLJP:12275341/24 
  65. ^ 朝日放送社史編修室『朝日放送の50年 Ⅰ 本史』朝日放送株式会社、2000年3月31日、160~1頁。 
  66. ^ a b 朝日放送社史編修室『朝日放送の50年 Ⅰ 本史』朝日放送株式会社、2000年3月31日、160頁。 
  67. ^ 朝日新聞 1968年10月12日 大阪版朝刊 P.9 テレビ欄 及び 同日東京版朝刊 P.9 テレビ欄(共に朝日新聞クロスサーチで閲覧)
  68. ^ 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'69』日本放送出版協会、1969年、114~5頁。 
  69. ^ 朝日新聞東京版 1968年10月2日 朝刊 P.9 テレビ欄(朝日新聞クロスサーチで閲覧)
  70. ^ 朝日新聞東京版 1968年10月7日 朝刊 P.9 テレビ欄(朝日新聞クロスサーチで閲覧)
  71. ^ 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'69』日本放送出版協会、1969年、158頁。 
  72. ^ 朝日新聞 1968年9月30日 朝刊9ページ テレビ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
  73. ^ 朝日新聞 1968年1月14日 朝刊 P.9 テレビ欄(朝日新聞クロスサーチで閲覧)
  74. ^ 朝日新聞 1968年6月9日 朝刊 P.9 テレビ欄(朝日新聞クロスサーチで閲覧)
  75. ^ 朝日新聞 1968年6月16日 朝刊 P.9 テレビ欄(朝日新聞クロスサーチで閲覧)
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