1966年の近鉄バファローズ
1966年の近鉄バファローズでは、1966年の近鉄バファローズの動向をまとめる。
1966年の近鉄バファローズ | |
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成績 | |
パシフィック・リーグ6位 | |
48勝82敗3分 勝率.369[1] | |
本拠地 | |
都市 | 大阪府大阪市 |
球場 | 日本生命球場 |
球団組織 | |
オーナー | 佐伯勇 |
経営母体 | 近畿日本鉄道 |
監督 | 岩本義行 |
« 1965 1967 » |
この年の近鉄バファローズは、岩本義行監督の2年目のシーズンである。
概要
編集パールス時代の1954年以来Aクラスから遠ざかるチームはこの年からユニフォームをロサンゼルス・ドジャース風のデザインに一新。ホーム用は「Buffaloes」の字体が変更され、ビジター用は「KINTETSU」ロゴがゴシック体になった(この年採用の新ロゴは藤井寺球場最終年の1996年まで使用)。また画家の岡本太郎がデザインした猛牛マークが5年ぶりにユニフォームに戻るなど、イメージチェンジが図られたが評価が二分され、特にビジター用は「高校野球みたいだ」と揶揄されることもあった。ドラフト会議が前年から導入されたことを受け、チームは後の300勝投手・鈴木啓示を2位で指名。鈴木は5月末に初勝利をあげると、1年目から10勝をあげる活躍を見せた。チームは4月を最下位で終えると、同じく開幕ダッシュに失敗した阪急との最下位争いがしばらく続いた。しかし8月以降は大きく負け越して最終的に3年連続の最下位。結局優勝の南海に31ゲーム、4位東京に13ゲームもの大差をつけられた。打撃陣は4番の土井正博を除いてふるわずチーム打率はリーグ5位で、安打・得点もリーグ最下位。ユニフォーム変更もチームのカンフル剤にはならず3年連続の最下位で終わり岩本監督はわずか2年で辞任。後任にはチーム生え抜きの小玉明利が選手兼任ながら監督に就任した。
チーム成績
編集レギュラーシーズン
編集1 | 遊 | 飯田幸夫 |
---|---|---|
2 | 中 | 山本八郎 |
3 | 二 | 小玉明利 |
4 | 左 | 土井正博 |
5 | 一 | 高木喬 |
6 | 三 | クレス |
7 | 右 | ボレス |
8 | 捕 | 児玉弘義 |
9 | 投 | 徳久利明 |
順位 | 4月終了時 | 5月終了時 | 6月終了時 | 7月終了時 | 8月終了時 | 最終成績 | ||||||
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1位 | 西鉄 | -- | 南海 | -- | 南海 | -- | 南海 | -- | 南海 | -- | 南海 | -- |
2位 | 東映 | 1.0 | 東映 | 4.5 | 西鉄 | 1.0 | 西鉄 | 1.5 | 西鉄 | 3.5 | 西鉄 | 4.0 |
3位 | 南海 | 1.0 | 西鉄 | 5.0 | 東映 | 2.0 | 東映 | 3.5 | 東映 | 5.5 | 東映 | 9.0 |
4位 | 阪急 | 3.5 | 東京 | 8.0 | 東京 | 8.5 | 東京 | 10.5 | 東京 | 12.0 | 東京 | 18.0 |
5位 | 東京 | 4.5 | 近鉄 | 10.5 | 阪急 | 10.5 | 阪急 | 13.0 | 阪急 | 14.5 | 阪急 | 22.0 |
6位 | 近鉄 | 5.0 | 阪急 | 11.0 | 近鉄 | 11.0 | 近鉄 | 13.5 | 近鉄 | 21.5 | 近鉄 | 31.0 |
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 南海ホークス | 79 | 51 | 3 | .608 | 優勝 |
2位 | 西鉄ライオンズ | 75 | 55 | 8 | .577 | 4.0 |
3位 | 東映フライヤーズ | 70 | 60 | 6 | .538 | 9.0 |
4位 | 東京オリオンズ | 61 | 69 | 4 | .469 | 18.0 |
5位 | 阪急ブレーブス | 57 | 73 | 4 | .438 | 22.0 |
6位 | 近鉄バファローズ | 48 | 82 | 3 | .369 | 31.0 |
オールスターゲーム1966
編集→詳細は「1966年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
ファン投票 | 土井正博 | |
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監督推薦 | 鈴木啓示 | ボレス |
できごと
編集この節の加筆が望まれています。 |
選手・スタッフ
編集表彰選手
編集リーグ・リーダー |
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受賞者なし |
ベストナイン |
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選出なし |
ドラフト
編集→詳細は「1966年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)」を参照
順位 | 選手名 | 守備 | 所属 | 結果 |
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第1次ドラフト | ||||
1位 | 加藤英治 | 投手 | PL学園高 | 入団 |
2位 | 高垣義広 | 投手 | 鳥取西高 | 拒否 |
3位 | 外山博 | 投手 | 名古屋電気工業高 | 拒否 |
4位 | 勝部敬一 | 内野手 | 米子東高 | 拒否・早稲田大学進学 |
5位 | 伊達義城 | 投手 | 電電九州 | 拒否 |
6位 | 中原勝利 | 内野手 | 電電九州 | 拒否 |
7位 | 高田勇 | 外野手 | 浪商高 | 拒否・明治大学進学 |
8位 | 中田勇 | 投手 | 育英高 | 拒否 |
9位 | 山田恵一 | 内野手 | 浜田高 | 拒否 |
10位 | 内田平三郎 | 捕手 | 京都商業高 | 拒否・日本新薬入社 |
11位 | 苅谷精一 | 投手 | 高知商業高 | 拒否・四国銀行入行 |
第2次ドラフト | ||||
1位 | 門野利治 | 投手 | 平安高 | 入団 |
2位 | 加藤英夫 | 投手 | 中京商業高 | 入団 |
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b “年度別成績 1966年 パシフィック・リーグ”. 日本野球機構. 2017年7月30日閲覧。
- ^ ベースボールマガジン2002夏季号, ベースボールマガジン社, (2002), p. 139
- ^ 『日本プロ野球80年史 1934-2014』 【記録編】、ベースボール・マガジン社、2014年12月24日。ISBN 978-4-583-10668-7。