1962年の毎日大映オリオンズ
1962年の毎日大映オリオンズでは、1962年シーズンの毎日大映オリオンズの動向についてまとめる。
1962年の毎日大映オリオンズ | |
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成績 | |
パシフィック・リーグ4位 | |
60勝70敗2分 勝率.462[1] | |
本拠地 | |
都市 | 東京都 |
球場 | 東京スタジアム |
球団組織 | |
オーナー | 永田雅一 |
経営母体 | 大映・毎日新聞社 |
監督 | 宇野光雄 |
« 1961 1963 » |
この年の毎日大映オリオンズは、宇野光雄監督の2年目のシーズンである。
概要
編集前年から着工されていた新球場が5月31日に竣工、「東京スタジアム」と命名され、オリオンズの新たな球場が誕生した。永田雅一オーナーは「これでリーグ優勝どころか日本一」と張り切っていたが、葛城隆雄・山内一弘・田宮謙次郎のいわゆる「ミサイル打線」は打ちまくっていたものの、頼れる投手がエース・小野正一だけではどうしようもなく、4位に甘んじた。この状態が、やがて翌年オフの山内と小山正明(阪神タイガース)の交換トレード、いわゆる「世紀のトレード」に発展することになる。
チーム成績
編集レギュラーシーズン
編集1 | 二 | 柳田利夫 |
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2 | 右 | 葛城隆雄 |
3 | 一 | 榎本喜八 |
4 | 左 | 山内和弘 |
5 | 左 | 田宮謙次郎 |
6 | 捕 | 谷本稔 |
7 | 三 | 矢頭高雄 |
8 | 遊 | 上条皇裕 |
9 | 投 | 坂井勝二 |
順位 | 4月終了時 | 5月終了時 | 6月終了時 | 7月終了時 | 8月終了時 | 最終成績 | ||||||
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1位 | 東映 | -- | 東映 | -- | 東映 | -- | 東映 | -- | 東映 | -- | 東映 | -- |
2位 | 西鉄 | 4.5 | 大毎 | 6.0 | 大毎 | 9.5 | 阪急 | 15.0 | 南海 | 10.5 | 南海 | 5.0 |
3位 | 阪急 | 6.5 | 阪急 | 6.0 | 阪急 | 12.5 | 大毎 | 16.0 | 阪急 | 13.0 | 西鉄 | 16.0 |
4位 | 大毎 | 6.5 | 西鉄 | 9.0 | 近鉄 | 14.0 | 南海 | 17.0 | 西鉄 | 14.0 | 阪急 | 18.0 |
5位 | 近鉄 | 8.5 | 近鉄 | 11.5 | 西鉄 | 14.5 | 近鉄 | 19.5 | 大毎 | 17.5 | 大毎 | |
6位 | 南海 | 10.0 | 南海 | 15.5 | 南海 | 18.5 | 西鉄 | 19.5 | 近鉄 | 20.0 | 近鉄 | 21.0 |
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 東映フライヤーズ | 78 | 52 | 3 | .600 | 優勝 |
2位 | 南海ホークス | 73 | 57 | 3 | .562 | 5.0 |
3位 | 西鉄ライオンズ | 62 | 68 | 6 | .477 | 16.0 |
4位 | 毎日大映オリオンズ | 60 | 70 | 2 | .462 | 18.0 |
4位 | 阪急ブレーブス | 60 | 70 | 1 | .462 | 18.0 |
6位 | 近鉄バファローズ | 57 | 73 | 1 | .438 | 21.0 |
オールスターゲーム1962
編集→詳細は「1962年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
コーチ | 宇野光雄 | ||
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ファン投票 | 山内和弘 | 榎本喜八 | 田宮謙次郎 |
監督推薦 | 葛城隆雄 |
できごと
編集選手・スタッフ
編集表彰選手
編集リーグ・リーダー | |||
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選手名 | タイトル | 成績 | 回数 |
榎本喜八 | 最多安打 | 160本 | 3年連続3度目 |
ベストナイン | ||
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選手名 | ポジション | 回数 |
榎本喜八 | 一塁手 | 4年連続5度目 |
山内一弘 | 外野手 | 4年連続8度目 |
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ “年度別成績 1962年 パシフィック・リーグ”. 日本野球機構. 2017年5月19日閲覧。
- ^ “千葉ロッテマリーンズ公式HP 歴代所属選手”. 千葉ロッテマリーンズ. 2017年5月19日閲覧。