柳田 利夫(やなぎだ としお、1936年8月18日 - )は、福島県出身の元プロ野球選手外野手内野手)。

柳田 利夫
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 福島県
生年月日 (1936-08-18) 1936年8月18日(88歳)
身長
体重
178 cm
78 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手遊撃手二塁手三塁手
プロ入り 1958年
初出場 1959年
最終出場 1970年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

経歴

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内郷高校(現:いわき総合高校)から常磐炭鉱を経て、1958年大毎オリオンズに入団。

1959年には一軍に定着、二塁手として14試合に先発出場した。

1960年は開幕直後に遊撃手八田正が故障欠場、新監督西本幸雄に抜擢され、一番打者、遊撃手として起用される。この年の5月下旬に打撃練習をしようとグラウンドを通っていると、気づかぬまま素振りを続けていた榎本喜八バットが柳田のを直撃。柳田はその場に流血しながら倒れこみ、その姿を見た榎本は自身の責任を感じ試合数分前まで顔面蒼白だったという。しかし6月下旬には復活し、7月からは二塁手も兼ねる。同年は大毎ミサイル打線のチャンスメーカーとして活躍、初の規定打席に達し打率.249(リーグ26位)を記録して、10年振り2回目のリーグ優勝に貢献した。大洋ホエールズとの日本シリーズでは11打数2安打2打点にとどまるが、第3戦で鈴木隆から2点本塁打を放った。その後も二塁・三塁・遊撃を守れるユーティリティプレイヤーとして常時出場。

1962年には打率.268、13本塁打、48打点を記録した。

1963年堀本律雄との交換トレードで読売ジャイアンツに移籍。トレードに出されるなら野球を辞めて故郷に戻ろうと決心するが、山内一弘から激励を受けて思いとどまったという[1]。巨人では主に外野手として起用され、その年の西鉄との日本シリーズ第7戦では稲尾和久から先頭打者本塁打を打ち、チームの日本一に貢献。翌年以降も外野手の準レギュラーとして起用されるが、毎年打率は2割前後と打撃面では低迷が続いた。

1967年に巨人は西鉄から高倉照幸広島から森永勝也を補強して外野手に余裕ができたことから、柳田はシーズン途中に南海ホークスに移籍となる[2]

1968年には五番打者に定着し、131試合に出場。打率.275(リーグ11位)、15本塁打、68打点のキャリアハイを記録、同年のオールスターゲームにも選ばれた。また強肩を活かし11補殺と守備面でも大きく貢献している。

1970年限りで現役引退。引退後は横浜市在住。

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1959 大毎 33 59 50 11 13 3 0 0 16 4 3 1 0 0 8 0 1 11 1 .260 .373 .320 .693
1960 101 420 386 58 96 17 2 12 153 34 13 3 4 1 28 0 1 65 3 .249 .300 .396 .697
1961 114 405 367 56 92 27 2 6 141 36 10 2 2 2 32 0 2 58 6 .251 .313 .384 .697
1962 119 390 355 57 95 17 5 13 161 48 12 4 1 3 28 0 3 63 8 .268 .324 .454 .777
1963 巨人 75 119 106 11 19 1 0 1 23 6 7 4 0 0 12 0 1 28 0 .179 .269 .217 .486
1964 94 239 223 25 42 7 0 8 73 28 9 4 1 1 13 0 1 34 6 .188 .235 .327 .563
1965 67 132 112 15 21 3 0 2 30 6 3 5 2 0 15 0 3 15 3 .188 .300 .268 .568
1966 96 207 180 22 37 6 0 5 58 18 3 7 3 0 21 2 3 40 1 .206 .299 .322 .621
1967 8 8 6 1 1 0 0 0 1 0 1 0 0 0 2 0 0 2 1 .167 .375 .167 .542
南海 65 209 186 19 39 6 0 5 60 13 10 4 0 1 16 0 6 49 4 .210 .292 .323 .614
'67計 73 217 192 20 40 6 0 5 61 13 11 4 0 1 18 0 6 51 5 .208 .295 .318 .613
1968 131 502 454 58 125 14 1 15 186 68 11 10 3 6 31 2 8 67 13 .275 .329 .410 .728
1969 72 183 162 8 23 5 2 1 35 12 0 1 0 3 14 1 4 35 4 .142 .224 .216 .440
1970 56 122 109 14 27 5 2 0 36 14 1 1 0 2 10 0 1 11 4 .248 .311 .330 .642
通算:12年 1031 2995 2696 355 630 111 14 68 973 287 83 46 16 19 230 5 34 478 54 .234 .300 .361 .661

記録

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節目の記録
  • 1000試合出場:1970年5月31日 ※史上146人目
その他の記録

背番号

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  • 56 (1958年 - 1959年)
  • 4 (1960年 - 1962年)
  • 5 (1963年 - 1967年途中)
  • 51 (1967年途中 - 1968年途中)
  • 8 (1968年途中 - 1970年)

参考文献

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脚注

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  1. ^ 『日本プロ野球トレード大鑑』90頁
  2. ^ 『日本プロ野球トレード大鑑』94頁

関連項目

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