1959年アメリカグランプリ
1959年アメリカグランプリ (1959 United States Grand Prix) は、1959年のF1世界選手権第9戦(最終戦)として、1959年12月12日にセブリング・インターナショナル・レースウェイで開催された。
レース詳細 | |||
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1959年F1世界選手権全9戦の第9戦 | |||
セブリング・インターナショナル・レースウェイ(1952-1966) | |||
日程 | 1959年12月12日 | ||
正式名称 | II United States Grand Prix | ||
開催地 |
セブリング・インターナショナル・レースウェイ アメリカ合衆国 フロリダ州 セブリング | ||
コース | 恒久的レース施設 | ||
コース長 | 8.36 km (5.2 mi) | ||
レース距離 | 42周 351 km (218 mi) | ||
決勝日天候 | 晴(ドライ) | ||
ポールポジション | |||
ドライバー | クーパー-クライマックス | ||
タイム | 3:00.0 | ||
ファステストラップ | |||
ドライバー | モーリス・トランティニアン | クーパー-クライマックス | |
タイム | 3:05.0 (39周目) | ||
決勝順位 | |||
優勝 | クーパー-クライマックス | ||
2位 | クーパー-クライマックス | ||
3位 | フェラーリ |
2回目(1908年から1916年にかけて断続的に開催されたアメリカン・グランド・プライズ(American Grand Prize)を含めると9回目)のアメリカグランプリは42周、351kmで行われた。アメリカグランプリがF1世界選手権に組み込まれたのは当レースが最初[1]で、セブリングでは唯一のF1世界選手権レースの開催である。
レース概要
編集前戦イタリアGPから3ヶ月のインターバルを経て、最終戦の当レースを迎えた。ドライバーズチャンピオン争いはジャック・ブラバム、スターリング・モス、トニー・ブルックスの3人に絞られた。3人のチャンピオン獲得の条件は以下の通りである。
- ブラバム(31点)
- モス(25.5点)
- 優勝
- 2位でブラバムが3位以下、かつブルックスが優勝とファステストラップの両方を獲得しない
- 2位でファステストラップを獲得して、ブラバムが3位以下
- ブルックス(23点)
- 優勝とファステストラップを獲得して、ブラバムが3位以下
- 優勝して、モスが2位でファステストラップを獲得しないか3位以下、ブラバムが3位以下
ポールポジションはロブ・ウォーカー・レーシングチームのクーパー・T51をドライブするモスが獲得し、クーパー・ワークスのブラバムが2位、BRMの欠場によりプライベーターのクーパーをドライブするハリー・シェルが3位と、クーパー勢がフロントローを独占した[3]。フロントエンジンのフェラーリは2-3列目が精一杯で、ブルックスは2列目の4番手からスタートする[4]。
スタート直後にブルックスはチームメイトのヴォルフガング・フォン・トリップスに追突され、ピットインを強いられて早々に優勝争いから脱落した[4]。モスも6周目にリタイアして、この年もチャンピオン獲得には至らなかった[5]。これでブラバムは有利な立場で首位を走行し続けたが、最終ラップで燃料切れとなってしまう。ブラバムはマシンを押して4位でフィニッシュし、ブルックスが3位に終わったためブラバムのチャンピオンが決定した。レースを制したのはブラバムのチームメイトのブルース・マクラーレンで、22歳104日での優勝はF1最年少記録である[6][7]。2003年ハンガリーGPでフェルナンド・アロンソ(当時22歳26日)が塗り替えるまで、マクラーレンは44年間に渡って最年少記録を保持した。
チャンピオン争いが繰り広げられたレースだったが、観客はたった2万人にすぎなかった[7]。
当レースのみの出走となった珍しいマシンもあった。本年のインディ500を制したロジャー・ワードがカーティス・クラフトのダートコース用ミジェットカー(オッフェンハウザーの1.75L直列4気筒エンジンをフロントに搭載)で出走したが、予選で首位モスから43秒差の最下位と全く勝負にならなかった[8]。かつてマセラティでデザイナーを務めていたバレリオ・コロッティが創設したストゥディオ・テクニカ・メッカニカでマセラティ・250Fの発展型「テック=メック」を制作し、カモラーディ・インターナショナルからフリッツ・ドーリーが出走した[9]。1957年に撤退したコンノートで未完成のまま眠っていた「タイプC」(エンジンはタイプBと同じアルタ直列4気筒)も当レースのみの出走だった(ドライバーはボブ・セッド)[10]。
エントリーリスト
編集No. | ドライバー | エントラント | コンストラクター | シャシー | エンジン | タイヤ |
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1 | ロジャー・ワード | リーダー・カーズ・インク | カーティス・クラフト | ミジェット | オッフェンハウザー 1.75L L4 | ? |
2 | トニー・ブルックス | スクーデリア・フェラーリ | フェラーリ | 246 | フェラーリ Tipo155 2.4L V6 | D |
3 | クリフ・アリソン | |||||
4 | ヴォルフガング・フォン・トリップス | |||||
5 | フィル・ヒル | |||||
6 | モーリス・トランティニアン | RRC ウォーカー・レーシングチーム | クーパー | T51 | クライマックス FPF 2.5L L4 | D |
7 | スターリング・モス | |||||
8 | ジャック・ブラバム | クーパー・カー・カンパニー | クーパー | T51 | クライマックス FPF 2.5L L4 | D |
9 | ブルース・マクラーレン | |||||
10 | イネス・アイルランド | チーム・ロータス | ロータス | 16 | クライマックス FPF 2.5L L4 | D |
11 | アラン・ステイシー | |||||
12 | ロイ・サルヴァドーリ | ハイ・エフィシエンシー・モータース | クーパー | T45 | マセラティ 250S 2.5L L4 | D |
14 | アレハンドロ・デ・トマソ | オスカ・オートモビリ | クーパー | T43 | オスカ Tipo372 2.0L L4[11] | D |
15 | フリッツ・ドーリー | カモラーディ・インターナショナル | テック=メック | F415 | マセラティ 250F1 2.5L L6 | D |
16 | ジョージ・コンスタンチン | マイク・テイラー | クーパー | T51 | クライマックス FPF 2.5L L4 | D |
17 | ハリー・ブランチャード | ブランチャード・オートモビル・コーポレーション | ポルシェ | RSK | ポルシェ 547/3 1.5L F4 | ? |
18 | ボブ・セッド | ポール・エメリー・コンノート・カーズ | コンノート | C | アルタ GP 2.5L L4 | D |
19 | ハリー・シェル | エキュリー・ブルー | クーパー | T51 | クライマックス FPF 2.5L L4 | D |
21 | エットーレ・チメリ 1 | エットーレ・チメリ | マセラティ | 250F | マセラティ 250F1 2.5L L6 | D |
22 | フィル・ケード | フィル・ケード | マセラティ | 250F | マセラティ 250F1 2.5L L6 | D |
ソース:[12] |
- 追記
- ^1 - エントリーしたが出場せず
結果
編集予選
編集順位 | No. | ドライバー | コンストラクター | タイム | 差 |
---|---|---|---|---|---|
1 | 7 | スターリング・モス | クーパー-クライマックス | 3:00.0 | - |
2 | 8 | ジャック・ブラバム | クーパー-クライマックス | 3:03.0 | + 3.0 |
3 | 19 | ハリー・シェル | クーパー-クライマックス | 3:05.2 | + 5.2 |
4 | 2 | トニー・ブルックス | フェラーリ | 3:05.9 | + 5.9 |
5 | 6 | モーリス・トランティニアン | クーパー-クライマックス | 3:06.0 | + 6.0 |
6 | 4 | ヴォルフガング・フォン・トリップス | フェラーリ | 3:06.2 | + 6.2 |
7 | 3 | クリフ・アリソン | フェラーリ | 3:06.9 | + 6.9 |
8 | 5 | フィル・ヒル | フェラーリ | 3:07.2 | + 7.2 |
9 | 10 | イネス・アイルランド | ロータス-クライマックス | 3:08.2 | + 8.2 |
10 | 9 | ブルース・マクラーレン | クーパー-クライマックス | 3:08.6 | + 8.6 |
11 | 12 | ロイ・サルヴァドーリ | クーパー-マセラティ | 3:12.0 | + 12.0 |
12 | 11 | アラン・ステイシー | ロータス-クライマックス | 3:13.8 | + 13.8 |
13 | 18 | ボブ・セッド | コンノート-アルタ | 3:27.3 | + 27.3 |
14 | 14 | アレハンドロ・デ・トマソ | クーパー-オスカ | 3:28.0 | + 28.0 |
15 | 16 | ジョージ・コンスタンチン | クーパー-クライマックス | 3:30.6 | + 30.6 |
16 | 17 | ハリー・ブランチャード | ポルシェ | 3:32.7 | + 32.7 |
17 | 15 | フリッツ・ドーリー | テック=メック-マセラティ | 3:33.4 | + 33.4 |
18 | 22 | フィル・ケード | マセラティ | 3:39.0 | + 39.0 |
19 | 1 | ロジャー・ワード | カーティス・クラフト-オッフェンハウザー | 3:43.8 | + 43.8 |
ソース:[13] |
決勝
編集順位 | No. | ドライバー | コンストラクター | 周回数 | タイム/リタイア原因 | グリッド | ポイント |
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1 | 9 | ブルース・マクラーレン | クーパー-クライマックス | 42 | 2:12:35.7 | 10 | 8 |
2 | 6 | モーリス・トランティニアン | クーパー-クライマックス | 42 | + 0.6 | 5 | 7 1 |
3 | 2 | トニー・ブルックス | フェラーリ | 42 | + 3:00.9 | 4 | 4 |
4 | 8 | ジャック・ブラバム | クーパー-クライマックス | 42 | + 4:57.3 | 2 | 3 |
5 | 10 | イネス・アイルランド | ロータス-クライマックス | 39 | + 3 Laps | 9 | 2 |
6 | 4 | ヴォルフガング・フォン・トリップス | フェラーリ | 38 | + 4 Laps | 6 | |
7 | 17 | ハリー・ブランチャード | ポルシェ | 38 | + 4 Laps | 16 | |
Ret | 3 | クリフ・アリソン | フェラーリ | 23 | クラッチ | 7 | |
Ret | 12 | ロイ・サルヴァドーリ | クーパー-マセラティ | 23 | トランスミッション | 11 | |
Ret | 1 | ロジャー・ワード | カーティス・クラフト-オッフェンハウザー | 20 | クラッチ | 19 | |
Ret | 14 | アレハンドロ・デ・トマソ | クーパー-オスカ | 13 | ブレーキ | 14 | |
Ret | 5 | フィル・ヒル | フェラーリ | 8 | クラッチ | 8 | |
Ret | 15 | フリッツ・ドーリー | テック=メック-マセラティ | 6 | オイル漏れ | 17 | |
Ret | 7 | スターリング・モス | クーパー-クライマックス | 5 | トランスミッション | 1 | |
Ret | 19 | ハリー・シェル | クーパー-クライマックス | 5 | クラッチ | 3 | |
Ret | 16 | ジョージ・コンスタンチン | クーパー-クライマックス | 5 | オーバーヒート | 15 | |
Ret | 11 | アラン・ステイシー | ロータス-クライマックス | 2 | クラッチ | 12 | |
Ret | 18 | ボブ・セッド | コンノート-アルタ | 0 | アクシデント | 13 | |
DNS | 22 | フィル・ケード | マセラティ | エンジン | 18 | ||
ソース:[14]
|
- 追記
ランキング
編集
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- 注: トップ5のみ表示。ベスト5戦のみがカウントされる。ポイントは有効ポイント、括弧内は総獲得ポイント。
脚注
編集- ^ アメリカでのF1世界選手権レースとして初年度の1950年からインディ500が組み込まれていたが、これはFIAが北米大陸の一戦も選手権に含めようとしたためで、実際にはF1とインディの交流はほとんどなく形式的なものとなっていた。本年からアメリカGPが開催されるようになり、翌1960年をもってインディ500は選手権から除外された。 (林信次 1999, p. 83)
- ^ 当時はファステストラップ獲得者に1点が与えられていた。
- ^ 当レースのグリッドは3-2-3。
- ^ a b (林信次 1999, p. 74-75)
- ^ (林信次 1999, p. 78)
- ^ ただし、インディ500を含めると1952年にトロイ・ラットマンが22歳80日で最年少となる。
- ^ a b (林信次 1999, p. 83)
- ^ (林信次 1999, p. 83,89)
- ^ (林信次 1999, p. 88)
- ^ (林信次 1999, p. 89)
- ^ “Engine OSCA”. statsf1.com. 2018年3月11日閲覧。
- ^ “USA 1959 - Race entrants”. statsf1.com. 2018年3月11日閲覧。
- ^ “USA 1959 - Qualifications”. statsf1.com. 2018年3月11日閲覧。
- ^ “1959 United States Grand Prix”. formula1.com. 18 February 2014時点のオリジナルよりアーカイブ。16 August 2015閲覧。
参照文献
編集- 林信次『F1全史 1956-1960』ニューズ出版、1999年。ISBN 4-938495-27-9。
外部リンク
編集前戦 1959年イタリアグランプリ |
FIA F1世界選手権 1959年シーズン |
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アメリカグランプリ | 次回開催 1960年アメリカグランプリ |