1952年度の将棋界
1952年度の将棋界(1952ねんどのしょうぎかい)では、1952年(昭和27年)4月から1953年(昭和28年)3月の将棋界に関する出来事について記述する。
できごと
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記録
編集タイトル戦
編集棋戦 | 勝者 | 開催時期 | 番勝負 | 備考 | 注 | ||
---|---|---|---|---|---|---|---|
在位者 | 勝敗 | 挑戦者 | |||||
名人戦 | 第11期名人 大山康晴 | 1952年5-7月 | 木村義雄 名人 | 1-4 | 大山康晴 九段 | 初名人 | [1] |
九段戦 | 第3期九段 塚田正夫 | 1952年10-12月 | 大山康晴 九段 | 2-3 | 塚田正夫 八段 | 初九段 | [2] |
王将戦 | 第2期王将 大山康晴 | 1953年1-3月 | 大山康晴 王将 | 4-3 | 丸田祐三 八段 | 初王将 | [3] |
その他の棋戦
編集棋戦 | 類 | 回 | 優勝者 | 決勝開催日 | 準優勝者 | 備考 | 注 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
名人九段戦 | 5 | 塚田正夫九段 | 1953年 | 木村義雄名人 | 初優勝 | ||
NHK杯将棋トーナメント | 2 | 升田幸三八段 | 1953年2月15日 | 丸田祐三八段 | 初優勝 | [4] |
順位戦
編集次期クラス | 棋士 | 成績 |
---|---|---|
A級 | 灘蓮照 | 8勝4敗 |
南口繁一 | 8勝3敗(持将棋1) | |
大野源一 | 8勝3敗(持将棋1) | |
B級1組 | 本間爽悦 | 8勝3敗(持将棋1) |
廣津久雄 | 8勝4敗 | |
B級2組 | 二上達也 | 12勝0敗 |
熊谷達人 | 10勝2敗 | |
星田啓三 | 8勝4敗 | |
C級1組 | 角田三男 | 9勝3敗 |
木川貴一 | 9勝3敗 | |
橋本三治 | 9勝3敗 |
次期クラス | 棋士 | 成績 |
---|---|---|
B級1組 | 板谷四郎 | 2勝6敗 |
松下力 | 1勝7敗 | |
B級2組 | 金高清吉 | 5勝6敗(持将棋1) |
建部和歌夫 | 5勝6敗(持将棋1) | |
佐瀬勇次 | 5勝7敗 | |
山本武雄 | 5勝7敗 | |
北村秀治郎 | 2勝10敗 | |
C級1組 | 山川次彦 | 3勝9敗 |
C級2組 | 吉田六彦 | 3勝9敗 |
昇段・引退
編集昇段 | 棋士 | 昇段日 | 昇段理由 | 注 |
---|---|---|---|---|
五段 | 二上達也 | 1952年4月1日 | 順位戦C級1組昇級 | [6] |
八段 | 松下力 | 1952年4月1日 | 順位戦A級昇級 | [7] |
花村元司 | 1952年4月1日 | 順位戦A級昇級 | [8] | |
小堀清一 | 1952年4月1日 | 順位戦A級昇級 | [9] | |
十四世名人 | 木村義雄 | 1952年8月24日 | 引退に付き襲位 | [10] |
引退 | 棋士(最終段位) | 最終対局日 | 引退理由 | 注 |
引退 | 中井捨吉 七段 | 1952年4月1日 | 自主引退 | [11] |
木村義雄 八段 | 1952年8月24日 | 名人陥落のため | [10] | |
小泉雅信 八段 | 1952年 | 自主引退 | [12] |
出典
編集- ^ “名人戦・順位戦”. 日本将棋連盟. 2018年10月28日閲覧。
- ^ “九段戦(全日本選手権戦)・十段戦”. 日本将棋連盟. 2018年10月28日閲覧。
- ^ “王将戦”. 日本将棋連盟. 2018年10月28日閲覧。
- ^ “NHK杯将棋トーナメント”. 日本将棋連盟. 2018年6月10日閲覧。
- ^ “第7期順位戦成績表”. 将棋順位戦データベース. 2018年11月4日閲覧。
- ^ “棋士データベース 二上達也”. 日本将棋連盟. 2018年11月4日閲覧。
- ^ “棋士データベース 松下力”. 日本将棋連盟. 2018年11月4日閲覧。
- ^ “棋士データベース 花村元司”. 日本将棋連盟. 2018年11月4日閲覧。
- ^ “棋士データベース 小堀清一”. 日本将棋連盟. 2018年11月4日閲覧。
- ^ a b “棋士データベース 木村義雄”. 日本将棋連盟. 2018年11月4日閲覧。
- ^ “棋士データベース 中井捨吉”. 日本将棋連盟. 2018年11月7日閲覧。
- ^ “八段 小泉雅信”. 将棋順位戦データベース. 2018年11月8日閲覧。