1936年の阪急軍では、1936年の阪急軍の動向をまとめる。
この年の阪急軍は、球団創設1年目のシーズンであり、日本職業野球リーグ創設1年目のシーズンである。
1916年、阪急電鉄社長の小林一三は、早慶戦を中心とした大学野球人気の高まる中、米国での職業野球の存在を知り、日本での職業野球の可能性を探った。しかし、早稲田大学のエースとして米国遠征を経験した河野安通志の意見を参考に「時期尚早」という結論を得たことから職業野球設立を断念した[3]。断念から18年後の1934年に東京で読売ジャイアンツの前身となる大日本東京野球倶楽部が発足し、米国遠征及び国内興行が成功したことを受け、全国で職業野球勃興の気運が高まった。この機運の高まりを好機と捉え、小林は再び職業野球球団設立の準備を進めた。大阪では学生野球誘致のライバルであった阪神電鉄も球団設立を進め[4]、阪神電鉄が1935年12月に大阪タイガースを創立したのに引き続き[5]、阪急電鉄が年明けの1936年1月23日に阪急軍を創立した[6]。
連盟結成記念全日本野球選手権(夏季)
球団 |
トーナメント戦
|
東京大会 |
大阪大会 |
名古屋大会
|
東京巨人軍 |
敗者復活戦敗退 |
1回戦敗退 |
敗者復活戦敗退
|
大阪タイガース |
準決勝敗退 |
1回戦敗退 |
首位
|
名古屋軍 |
首位 |
準決勝敗退(シード) |
敗者復活後敗退
|
東京セネタース |
決勝敗退 |
決勝敗退 |
準決勝敗退
|
阪急軍 |
準決勝敗退 |
首位 |
決勝敗退
|
大東京軍 |
敗者復活戦敗退 |
1回戦敗退 |
敗者復活戦敗退
|
名古屋金鯱軍 |
敗者復活後敗退 |
準決勝敗退 |
準決勝敗退
|
第2回全日本野球選手権(秋季)
球団 |
リーグ戦 |
トーナメント戦 |
リーグ戦 |
勝ち点
|
大阪大会 |
名古屋大会 |
大阪大会 |
東京大会 |
大阪大会 |
東京大会
|
勝(引)敗 |
成績 |
勝(引)敗 |
勝(引)敗 |
勝(引)敗
|
東京巨人軍 |
5(0)1 |
1回戦敗退 |
首位(シード) |
4(0)2 |
5(0)1 |
2(0)4 |
2.5
|
大阪タイガース |
4(0)2 |
首位 |
準決勝敗退 |
5(0)1 |
5(0)1 |
5(0)1 |
2.5
|
名古屋軍 |
3(0)3 |
1回戦敗退 |
1回戦敗退 |
5(0)1 |
2(0)4 |
2(0)4 |
0.5
|
東京セネタース |
2(0)4 |
決勝敗退 |
1回戦敗退 |
3(0)3 |
2(0)4 |
3(0)3 |
0
|
阪急軍 |
3(1)2 |
準決勝敗退 |
決勝敗退 |
2(0)4 |
3(0)3 |
5(0)1 |
0.5
|
大東京軍 |
2(1)3 |
準決勝敗退(シード) |
1回戦敗退 |
0(0)6 |
0(0)6 |
3(0)3 |
0
|
名古屋金鯱軍 |
1(0)5 |
1回戦敗退 |
準決勝敗退 |
2(0)4 |
4(0)2 |
1(0)5 |
0
|
秋季
リーグ・リーダー
|
選手名 |
タイトル |
成績 |
回数
|
山下実
|
最多本塁打 |
2本 |
初受賞
|