1936年のグランプリ・シーズン
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1936年のグランプリ・シーズン は、AIACRヨーロッパ選手権の第4回大会が開催されたグランプリ・シーズンである。アウトウニオンのベルント・ローゼマイヤーがヨーロッパ選手権を制した。ローゼマイヤーは選手権の対象となる4つのグランプリのうち3つに勝利した。
シーズン概要
編集1936年シーズンに向け、アウトウニオンは520馬力の6リッターV16エンジンを搭載し、更に操縦性を向上させたアウトウニオン・タイプCを開発した[1]。他方、メルセデスは600馬力を発揮するV12エンジンを搭載したW25Kを開発したが、それに伴うエンジン重量の増加と、軽量化のための極端なホイールベースの短縮は操縦性を悪化させた。最終的に、メルセデスはV12エンジンを諦めて従来のL8エンジンの発展型を新車に搭載することとなった[1]。スクーデリア・フェラーリは前年にデビューした8気筒のアルファロメオ8C-35と、V12エンジンを搭載する新型アルファロメオ12C-36を併用した。 シーズンが開幕すると、アウトウニオン・タイプCがライバルのマシンを上回る性能を示し、6つのグランプリで勝利したベルント・ローゼマイヤーが1936年のヨーロッパチャンピオンとなった。ローゼマイヤーのチャンピオン獲得は、レーシングドライバーになってから僅か2年で達成されたものだった[2]。前年に圧勝したメルセデスは新車開発の失敗から一転して不振に陥り、モナコグランプリとチュニスグランプリでカラツィオラが挙げた2勝のみに終わった。スクーデリア・フェラーリのタツィオ・ヌヴォラーリは性能に劣るマシンで善戦し、ミラノグランプリではヴァルツィの、ハンガリーグランプリではローゼマイヤーのアウトウニオンをオーバーテイクして2グランプリ連続で優勝した[3]。
ヨーロッパ選手権グランプリ
編集Rd | 開催日 | レース | サーキット | PP(プラクティス最速) | ファステストラップ | 優勝者 | コンストラクター | レポート |
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1 | 4月13日 | モナコグランプリ | モンテカルロ市街地コース | ルイ・シロン | ハンス・シュトゥック | ルドルフ・カラツィオラ | メルセデス・ベンツ | 詳細 |
2 | 7月26日 | ドイツグランプリ | ニュルブルクリンク | 抽選でグリッド決定 | ベルント・ローゼマイヤー | ベルント・ローゼマイヤー | アウトウニオン | 詳細 |
3 | 8月23日 | スイスグランプリ | ブレムガルテン・サーキット | ルドルフ・カラツィオラ | ベルント・ローゼマイヤー | ベルント・ローゼマイヤー | アウトウニオン | 詳細 |
4 | 9月13日 | イタリアグランプリ | モンツァ・サーキット | ベルント・ローゼマイヤー | ベルント・ローゼマイヤー | ベルント・ローゼマイヤー | アウトウニオン | 詳細 |
非選手権グランプリ
編集黄色の背景はグラン・エプルーヴ
1936年のドライバーズランキング
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参考文献
編集Etzrodt, Hans. “Grand Prix Winners 1895–1949 : Part 3 (1934–1949)”. The Golden Era of Grand Prix Racing. 6 August 2007時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年8月5日閲覧。
Leif Snellman and Hans Etzrodt. “1936”. The Golden Era of Grand Prix Racing. 11 August 2007時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年8月5日閲覧。
Galpin, Darren. “1936 Grands Prix”. The GEL Motorsport Information Page. 2007年8月5日閲覧。
脚注
編集- ^ a b Etzrodt, Hans. “1936 GRAND PRIX SEASON”. The Golden Era of Grand Prix Racing. 2016年11月19日閲覧。
- ^ ノイバウア, アルフレッド 著、橋本茂春 訳『スピードこそ我が命』荒地出版社、1968年、84頁。
- ^ Etzrodt, Hans. “1936 GRAND PRIX SEASON 3”. The Golden Era of Grand Prix Racing. 2016年11月19日閲覧。