1897年の相撲
できごと
編集本場所など
編集誕生
編集- 1月2日 - 桐ノ花光之助(最高位:十両2枚目、所属:春日山部屋→立浪部屋、+ 1993年【平成5年】)
- 1月3日 - 朝響信親(最高位:前頭2枚目、所属:佐ノ山部屋→高砂部屋、+ 1960年【昭和35年】)[5]
- 2月18日 - 鹿嶌嵜健太郎(最高位:十両5枚目(大阪関脇)、所属:小野川部屋、+ 1947年【昭和22年】)
- 3月11日 - 常陸嶌朝次郎(最高位:前頭5枚目、所属:出羽海部屋、+ 1946年【昭和21年】)[6]
- 4月20日 - 一ノ濱善之助(最高位:前頭4枚目、所属:井筒部屋、+ 1962年【昭和37年】)[7]
- 5月14日 - 小金山幸一郎(最高位:十両8枚目、所属:出羽海部屋、+ 没年不明)
- 5月15日 - 太刀光電右エ門(最高位:大関、所属:友綱部屋→東関部屋→高砂部屋、+ 1952年【昭和27年】)[8]
- 5月20日 - 乙女川定吉(最高位:十両6枚目、所属:浦風部屋、+ 没年不明)
- 7月9日 - 陸奥錦建市(最高位:十両9枚目、所属:振分部屋、+ 1982年【昭和57年】)
- 8月5日 - 大嶌佐太郎(最高位:前頭11枚目(大阪大関)、所属:出羽海部屋、+ 1936年【昭和11年】)[9]
- 8月27日 - 外ヶ濱弥太郎(最高位:前頭筆頭、所属:入間川部屋→出羽海部屋→千賀ノ浦部屋→出羽海部屋、+ 1966年【昭和41年】)[10]
- 9月30日 - 阿久津川高一郎(最高位:前頭筆頭、所属:錣山部屋→高砂部屋、+ 1972年【昭和47年】)[11]
- 12月8日 - 潮ヶ濱義夫(最高位:前頭11枚目、所属:高砂部屋、+ 1937年【昭和12年】)[12]
- 12月14日 - 真砂石三郎(最高位:前頭5枚目、所属:尾車部屋→峰崎部屋→片男波部屋→伊勢ノ海部屋、+ 1944年【昭和19年】)[5]
- 12月18日 - 23代木村庄之助(元・立行司、所属:朝日山部屋、+ 1994年【平成6年】)[13]
- 12月26日 - 大蛇山酉之助(最高位:前頭筆頭、所属:錦嶋部屋、+ 1956年【昭和31年】)[14]
死去
編集脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ 酒井, p. 149.
- ^ 酒井, pp. 148–150.
- ^ 酒井, pp. 150–152.
- ^ 酒井, pp. 152–153.
- ^ a b 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 51頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 50頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 57頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 47頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 71頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 56頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 45頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 66頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 360頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 55頁
- ^ 「新庄之助誕生記念 木村庄之助代々土俵入り」『相撲』2014年1月号、ベースボール・マガジン社、91頁。
- ^ 「新伊之助誕生記念 式守伊之助代々土俵入り」『相撲』2014年2月号、ベースボール・マガジン社、101頁。
参考文献
編集- 酒井忠正『日本相撲史 中巻』ベースボール・マガジン社、1964年6月1日。