黒河 隼人(くろかわ はやと、1909年2月14日 - 1992年2月1日)は、日本の実業家東陶機器(現TOTO)社長や、同社取締役会長を務めた。正四位勲二等瑞宝章

人物・経歴

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1927年市立下関商業学校(現下関商業高等学校)卒業[1]。1930年山口高等商業学校(現山口大学)卒業、東洋陶器入社。1953年取締役に昇格。1959年常務取締役。1963年専務取締役。1967年取締役副社長。1972年7月、杉原周一社長の急逝に伴い社長就任。東陶不動産取締役社長、日本特殊陶業取締役、日本碍子取締役。1973年日本陶器取締役。1979年取締役会長[2]。1983年相談役[3]。1979年勲二等瑞宝章受章[4]。1992年正四位[5]

第一次オイルショックを受け、第3次5カ年計画による対応にあたるなどした[6]

脚注

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  1. ^ 下 商 物 語 Ⅳかんもん北九州ファンクラブ
  2. ^ 第112期有価証券報告書東洋陶器
  3. ^ 「資料・主要参考文献・編集後記」『TOTO百年史』
  4. ^ 官報 本紙 第15685号 9頁
  5. ^ 官報 本紙 第852号 12頁
  6. ^ 先人の言葉 | Philosophy 先人たちの想い | 100th ... - TOTO
先代
鮎川武雄
東陶機器会長
1979年 - 1983年
次代
山田勝次
先代
杉原周一
東陶機器社長
1972年 - 1979年
次代
山田勝次