鷹ノ巣温泉
新潟県関川村の温泉
荒川峡温泉郷 > 鷹ノ巣温泉
鷹ノ巣温泉(鷹の巣温泉[1]、たかのすおんせん)は、新潟県岩船郡関川村のえちごせきかわ温泉郷にある温泉[2]。
鷹ノ巣温泉 | |
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温泉情報 | |
所在地 |
〒959-3223 新潟県岩船郡関川村大内渕 |
座標 | 北緯38度04分12.2秒 東経139度35分55.0秒 / 北緯38.070056度 東経139.598611度座標: 北緯38度04分12.2秒 東経139度35分55.0秒 / 北緯38.070056度 東経139.598611度 |
交通 | 日本海東北自動車道 荒川胎内ICから国道113号経由で約18 km、約30分 |
泉質 | 塩化物泉 |
泉温(摂氏) | 54°C |
概要
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荒川沿いの高台に2軒の宿がある。宿に向かうには荒川に架かる1本の吊橋を渡って行くが、かなり狭い橋幅で、軽自動車クラスの車両しか通行出来なく、宿泊者は川手前の橋の梺にある公園の駐車場に置き、宿の車が迎えに来てくれる。宿は、鷹の巣館、喜久屋の隣接する宿が在り、温泉街は存在しない。泉質は2軒とも含硫黄単純泉で時期により微かに白濁がみられる。喜久屋は、宿お主人が採取した山菜料理の提供が主の料理で岩船産米コシヒカリを提供。なお、鷹の巣館と喜久屋の宿同士は親戚関係[要出典]。
泉質
編集伝説
編集- 鷹が水浴びをしていたという伝承がある。
歴史
編集- 香川は、一本堂薬選(1738)で大内淵温泉と記している[4]。
- 文政二年(1819)には、雲母の湯(現在の高瀬温泉)と同様に大内淵の湯も村上藩で湯治に使われていた[4]。温泉名は、万治元(1658)年の検地帳[5]から、この辺りの地名に由来する。
- 小村は大内淵温泉の消失したことを後越薬泉(1830)に記したので、大内淵温泉は1819-1830年の間に起きた洪水で消失した[4]。
- 吉田[6]は大内淵の項目で、荒川の渓流中に貝之脇温泉があり百四五十度(60~66℃)と記録しているが、浴舎などを設備する土地が無いため、温泉として使われてないと記している。出版されたのは1902年であるが、この内容は、大内淵温泉が消失してから鷹ノ巣旅館が営業するまでの間の状況を記した記事、と考えられる。
- 明治18年、県道米沢線(現在の国道113号線)の開削工事に伴い、温泉地が整備され、明治31年(1898)に斎藤が旅館営業を開始した[7]。
- 2022年8月の豪雨により堤防が決壊し、喜久屋では建物の一部や露天風呂が流された[8][9]。
アクセス
編集脚注
編集- ^ 加藤武雄、大宮由子、杉山智子「飯豊山地および周辺地域の温泉に関する二、三の地球科学的知見」 温泉科学35巻4号、2022年9月17日閲覧。
- ^ a b c “えちごせきかわ温泉郷あたたかいおもてなし”. 関川村. 2023年8月3日閲覧。
- ^ 鷹ノ巣温泉日本温泉協会.2020年11月19日閲覧。
- ^ a b c 高橋範行「越後の温泉の歴史について」『奥山荘郷土研究会誌 おくやまのしょう』第46号、奥山荘郷土研究会、2021年5月15日、22-39頁。
- ^ 岩船郡関川村平田甲太郎家『万治元年 女川組本田畑御検地寄目録』1658年。(新潟県立文書館所蔵 請求記号CIFオヒ1)
- ^ 吉田東伍『大日本地名辞書』冨山房〈第三冊〉、1902年、p2108頁。
- ^ “實業百大家當撰者 岩船郡女川村 旅館 鷹ノ巣旅館”. 新潟日報 (新潟日報社). (1909年2月4日)
- ^ “大雨被害の温泉旅館「先が見えない」 新潟関川村 インフラの復旧見通せず”. 新潟日報. (2022年8月6日)
- ^ “「夏休みなのに…営業再開めど立たず」自慢の露天風呂が壊滅 関川村の温泉旅館”. 新潟放送. (2022年8月5日)
- ^ “JR越後下関駅近くの松田輪業さんで【湯~チャリ】の貸出し始めました!!”. えちごせきかわ温泉郷旅館組合. 2021年1月22日閲覧。
- ^ “湯~チャリ サイクリングおすすめマップ”. えちごせきかわ温泉郷旅館組合. 2021年1月22日閲覧。
関連項目
編集外部リンク
編集- 鷹の巣温泉 - えちごせきかわ温泉郷旅館組合
- にいがた観光ナビ:鷹の巣温泉 - 新潟県観光協会
- むらかみ・いわふね珍風景:鷹の巣温泉と飯豊の山々 - 新潟県村上地域振興局 企画振興部