鴨川清作
日本の演出家
鴨川 清作(かもがわ せいさく、1925年1月23日 - 1976年8月11日[1])は、日本の演出家である。元宝塚歌劇団理事。
宝塚歌劇団の演出家として活躍し、主にショーの作・演出を手がけた。代表作に『シャンゴ』、『ノバ・ボサ・ノバ』、『ラ・ラ・ファンタシーク』などがある。
略歴
編集大阪音楽大学卒業後[1]、1954年に宝塚歌劇団に入団。1976年8月、自身が手がけた作品である『ノバ・ボサ・ノバ』の再々演初日の前日、脳梗塞のため死去[2]。
作品
編集大劇場
編集- 『夏と祭り』(1957年・星組)構成・演出
- 『阿波踊り〈わらべ唄風土記〉』(1960年・花組)演出
- 『鹿鳴館事件』(1960年・星組)
- 『ブンガムラティ』(1961年・雪組)
- 『黒い太陽』(1961年・星組)
- 『踊珠曼荼羅』(1962年・月組)
- 『あなたは追われている』(1962年・星・雪組)
- 『一人ぼっちのハネムーン』(1963年・月組)
- 『いろはにほへと』[5](1963年・花組)
- 『レビュー・オブ・レビューズ』(1964年・専科・花組・雪組合同、専科・星組・月組合同、続演)演出
- 『アンコール・ワット』(1964年・雪組)
- 『シャングリラ』(1964年・星組)演出
- 『エスカイヤ・ガールス』(1965年・花組、星組、続演)
- 『リュシエンヌの鏡』(1965年・星組)演出
- 『ゴールデン・シャドウ』(1965年・雪組)
- 『夜霧の城の恋の物語』(1966年・星組)演出
- 『ラブ・ラブ・ラブ』(1966年・雪組)
- 『龍風夢』(1967年・花組)
- 『花のオランダ坂』(1967年・星組、1974年・月組)演出
- 『シャンゴ』(1967年・星組、1968年・雪組)
- 『マイ・アイドル』(1968年・花組)
- 『ハムレット』(1969年・雪組)脚本・演出
- 『アリア・イン・ジャズ』(1969年・月組)
- 『ハロー!タカラヅカ』(1970年・雪組特別、月組特別、星組、続演)
- 『ドリーム・ア・ドリーム』(1970年・花組)
- 『シンガーズ・シンガー』(1971年・雪組)
- 『ノバ・ボサ・ノバ』(1971年・星組、1972年・雪組)
- 『愛のコンチェルト』(1972年・星組)
- 『ザ・フラワー』(1972年・雪組、花組、続演)
- 『ポップ・ニュース』(1972年・花組)
- 『ラ・ラ・ファンタシーク』(1973年・星組、花組、続演)
- 『霧深きエルベのほとり』(1973年・月組)演出
- 『ファニー・フィーリング』(1973年・月組)
- 『ラブ・ラバー』(1973年・雪組)
- 『インスピレーション』(1974年・雪組、月組、続演)
- 『ブリガドーン』(1974年・星組)翻訳・演出
- 『ザ・スター』(1975年・雪組)
- 『マイ・ハイ・スイング』(1975年・星組)
参考文献
編集- 企画・構成・執筆:橋本雅夫 著、編集統括:北川方英 編『夢を描いて華やかに―宝塚歌劇80年史―』宝塚歌劇団、1994年9月9日。ISBN 4-924333-11-5。
脚注
編集- ^ a b 鴨川清作 コトバンク
- ^ 天野道映「小林一三の夢の行方」『宝塚歌劇 華麗なる100年』朝日新聞出版、2014年3月30日、194頁。ISBN 978-4-02-331289-0。
- ^ 村上久美子 (2014年1月11日). “宝塚が八千草薫ら殿堂100人を発表”. 日刊スポーツ 2022年6月23日閲覧。
- ^ 『宝塚歌劇 華麗なる100年』朝日新聞出版、2014年3月30日、134頁。ISBN 978-4-02-331289-0。
- ^ https://www.takarazuka-an.co.jp/c/shop/item/i_programs/i_programs_p/i_programs_p_01/PRG-11256B