鳥居 忠瞭(とりい ただあきら)は、江戸時代中期の大名下野壬生藩の第2代藩主。壬生藩鳥居家6代。

 
鳥居 忠瞭
時代 江戸時代中期
生誕 天和元年(1681年
死没 享保20年4月27日1735年6月17日
改名 熊千代(幼名)→忠瞭
別名 忠利
戒名 大徹院殿徳岩浄証大居士
墓所 東京都文京区本駒込江岸寺多磨霊園に改葬
官位 従五位下、丹波
幕府 江戸幕府
主君 徳川吉宗
下野壬生藩
氏族 鳥居氏
父母 鳥居忠則:神谷氏
養父鳥居忠英
兄弟 忠英忠瞭
正室松平資俊の娘
忠意大久保忠翰忠亮(三男)、娘(島津忠雅正室)、娘(島津久芳養女)、娘(毛利高丘正室)、娘
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生涯

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天和元年(1681年)、信濃高遠藩主・鳥居忠則の五男として生まれる。

下野壬生藩初代藩主である忠英の実子がことごとく早世したため、宝永元年(1704年)5月18日に兄の養子となり、同年5月28日には江戸幕府第5代将軍徳川綱吉に拝謁して、同年12月19日に叙任される。正徳6年(1716年)に兄が死去すると、その跡を継いで下野壬生藩第2代藩主となった。

享保20年(1735年)4月27日、壬生で死去享年55。跡を長男忠意が継いだ。

系譜

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父母

正室

側室

  • 小西氏

子女