魚崎町
日本の兵庫県武庫郡にあった町
魚崎町(うおざきちょう)は、兵庫県武庫郡に属した町で、1914年(大正3年)5月に魚崎村から単独町制施行により成立し、1950年(昭和25年)に同県神戸市に併合されて東灘区の一部となった。
うおざきちょう 魚崎町 | |||||
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廃止日 | 1950年4月1日 | ||||
廃止理由 |
編入合併 住吉村、御影町、魚崎町 → 神戸市 | ||||
現在の自治体 | 神戸市 | ||||
廃止時点のデータ | |||||
国 | 日本 | ||||
地方 | 近畿地方 | ||||
都道府県 | 兵庫県 | ||||
郡 | 武庫郡 | ||||
市町村コード | なし(導入前に廃止) | ||||
面積 | 1.53 km2. | ||||
総人口 |
14,172人 (『東灘区25年』、昭和25年10月1日) | ||||
隣接自治体 | 武庫郡住吉村、本山村、本庄村 | ||||
魚崎町役場 | |||||
所在地 | 兵庫県武庫郡魚崎町横屋字石田六二七番地 | ||||
座標 | 北緯34度43分13秒 東経135度15分56秒 / 北緯34.72017度 東経135.26542度座標: 北緯34度43分13秒 東経135度15分56秒 / 北緯34.72017度 東経135.26542度 | ||||
ウィキプロジェクト |
現行町名(昭和44〜45年制定)では魚崎南町、魚崎中町、魚崎北町、魚崎西町および甲南町3・4・5丁目の各一部が旧町域にあたる(魚崎浜町は人工島であり、当時は存在しなかった)。
魚崎村は市町村制施行時に、商家の多かった魚崎村(住吉川河口部両岸)と農村地帯である横屋村(住吉川左岸から天上川河口右岸の間)が合併して成立した。両地域とも町村制時代に著しく都市化が進み、空襲の被害を激しく蒙ったが、富豪の屋敷の跡地に住宅が立ち並んで、復興は進んだ。
役場
編集戸長制時代から神戸市への合併までの間に役場は4回移動している。
- 魚崎字西浜田四三八小学校々庭内:期間不詳
- 魚崎字東下三反田一六五番地:時期不詳 - 1909年(明治42年)
- 魚崎字東下三反田一七七番地:1909年(明治42年) - 1938年(昭和11年)
- 横屋字石田六二七番地:1938年(昭和11年) - 1950年(昭和25年)
最後の町役場は合併後は東灘区役所魚崎出張所、1957年(昭和32年)7月から東灘市民病院、1972年(昭和47年)9月から中央市民病院東灘診療所、1976年(昭和51年)からは東灘文化センター、1992年(平成4年)からは東灘区民センター小ホールとして使用中。東灘旧5町村の役場のうち最後まで残る。現住所:兵庫県神戸市東灘区魚崎中町4丁目3-16。
歴代首長
編集村制時代
編集- 雀部孝二郎 1888年(明治21年)4月1日 - 1890年(明治23年)4月22日
- 岡金三郎 1890年(明治23年)4月6日 - 1896年(明治29年)6月10日
- 松井久太郎 1896年(明治29年)6月26日 - 1910年(明治43年)6月10日
- 山邑太三郎 1910年(明治43年)7月14日 - (町制施行)
町制時代
編集- 山邑太三郎 (町制施行) - 1914年(大正7年)7月22日
- 山邑喜三郎 1914年(大正7年)7月23日 - (大正11年)7月22日
- 山路久治郎 1922年(大正11年)8月10日 - 1930年(昭和5年)8月9日
- 吉岡貞吉 1930年(昭和5年)11月2日 - 1932年(昭和7年)10月7日
- 山路久治郎 1932年(昭和7年)12月16日 - 1936年(昭和11年)12月16日
- 加藤秋一 1936年(昭和11年)12月18日 - 1937年(昭和12年)12月28日
- 森川都太 1938年(昭和13年)3月7日 - 1946年(昭和21年)10月19日
- 山邑喜三郎 1946年(昭和21年)10月28日 - 1947年(昭和22年)2月28日
- 山路久治郎1947年(昭和22年)4月8日 - 1949年(昭和24年)3月31日
- 岩井義男 1949年(昭和24年)4月1日 - 1950年(昭和25年)3月31日
首長代理及事務管掌
編集村制・町制時代の出来事
編集- 1889年(明治22年) - 市町村制施行に伴い、菟原郡魚崎村、横屋村、西青木村飛錯地、野寄村飛錯地、田中村飛錯地を合併して魚崎村とする。
- 1893年(明治26年) - 天然痘流行。発病4名、死亡1名。
- 1895年(明治28年) - 村民がはじめて自転車を保有。
- 1896年(明治29年)
- 1899年(明治32年) ‐ スタンダード石油会社、横屋に石油倉庫と小碇泊場新設。
- 6月8日 - 住吉川堤防決壊し、田畑一町三反歩に土砂侵入。
- 1901年(明治34年)4月29日 - 横屋沖に停泊中の石油船アルテーライス号が発火。4日後に自然鎮火。
- 1903年(明治36年)4月1日 - 小学校に高等科併置、小学校内に魚崎町立裁縫学校設立。
- 1904年(明治37年) - 横屋ゴルフ・アソシエーションが設立される。日本で2番目のゴルフ場。
- 1905年(明治38年)4月12日 - 阪神電気鉄道線(現・阪神本線)開業、魚崎駅開設。
- 1906年(明治39年) - 山邑太左ヱ門私設電話架設。
- 1908年(明治41年)10月5日 - はじめて電燈が点く。
- 1913年(大正2年)
- 8月 - 神戸ガス会社が反高橋上手にガス導管架設。
- 電話通じる。
- 1914年(大正3年)5月 - 町制施行。
- 1915年(大正4年)
- 4月4日 - 私立魚崎幼稚園開設。
- 8月13日 - 下水道起工式。
- 1917年(大正6年)2月 - 9つの溜池が町に譲渡。
- 1918年(大正7年)
- 1920年(大正9年) - 関東大震災被災地へ町から義捐金・慰問袋・食料などを発送。
- 9月23日 - 住吉川改修工事竣工。
- 1922年(大正11年) - 字東下三反田七五ノ一に公設市場設立。
- 10月1日 - 住吉村との境界を変更。
- 1924年(大正13年)
- 3月4日 - 徽章制定。
- 10月5日 - 町制施行満十周年記念祝賀会。
- 1925年(大正14年)
- 1926年(大正15年)4月 - 町立商業実習学校始業式
- 1927年(昭和2年)
- 1928年(昭和3年)
- 3月24日 - 六甲山大火、魚崎町消防組頭尾角昇、消防手船越与一の2名が殉職し、町葬を行う。
- 11月10日 - 魚崎八幡神社で即位大礼報告祭。小学校において大礼奉賀会、高齢者に記念品贈呈。
- 1929年(昭和4年)
- 1931年(昭和6年) - スタンダード石油が揮発油タンクを町への諮問なしに建設。町長ら抗議のため上京。
- 1932年(昭和7年)
- 3月 - 阪神旧国道バス開通。
- 10月17日 - 揮発油タンク問題で議員との折り合いがつかず、吉岡町長辞任。
- 1933年(昭和8年)
- 1934年(昭和9年)
- 1935年(昭和10年)
- 8月1日 - 町立青年訓練書、同商業実習学校をやめ、町立青年学校設置。
- 12月31日 - 町営公設市場廃止。
- 1937年(昭和12年)
- 12月10日 - 浜横屋の揮発油タンクを撤去し、和歌山県下津港へ曳航。
- 12月11日 - 南京陥落祝賀提燈行列。
- 1938年(昭和13年)
- 7月5日 - 阪神大水害、住吉川氾濫、堤防決壊し、死者2、負傷者353、家屋破壊・浸水2,112戸。
- 11月19日 - 武漢陥落につき小学校にて祝賀奉祝会。橿原神宮建国奉仕隊、町長ほか153名出発。
- 1939年(昭和14年)
- 7月7日 - 小学校にて興亜征戦二周年記念式。
- 8月1日 - 興亜奉公日につき黎明動員、参加者1,600名。
- 秋 - 第一期 防潮堤工事(魚崎・住吉海岸)完成。
- 1940年(昭和15年)
- 6月1日 - 町役場にて砂糖切符制第一回配給。
- 10月10日 - 出征遺家族を神戸相生座に招待。
- 10月12日 - 町役場で甲南市(仮称)市制委員会。
- 1941年(昭和16年)
- 1月16日 - 魚崎・本山・本庄3ヶ町村、市制施行に関して県内政部長に上申書提出。
- 3月20日 - 神戸市総務部長、合併問題について来町懇談。
- 12月21日 - 魚崎八幡にて大東亜戦争必勝町民大会。
- 1942年(昭和17年)
- 2月18日 - 魚崎国民学校校庭にてシンガポール陥落記念祝賀会。
- 4月18日 - 空襲警報発令。
- 5月11日 - アメリカ機神戸空襲。
- 8月5日 - 町役場にて上水道起工式。
- 1944年(昭和19年) - 各町内会より飛行場の勤労挺身隊および石炭増産挺身隊出動。
- 9月17日 - 大風水害。
- 1945年(昭和20年)
- 1946年(昭和21年)
- 1948年(昭和23年)6月10日 - 魚崎町立魚崎保育園開園。
- 1949年(昭和24年)
- 2月23日 - 神戸市合併問題について公聴会。
- 11月21日、29日 - 第一回組合競馬。
- 1950年(昭和25年)
字
編集- 魚崎村二十七字
- 上深溝(かみふかみぞ)
- 上今平(かみいまぺい)
- 中三反田(なかさんたんだ)
- 下三反田
- 東上三反田
- 西上三反田
- 西下三反田
- 東下三反田
- 不明
- 辻ノ内
- 東屋敷
- 上松原(まつばら)
- 上獺川(うそがわ)
- 下獺川
- 下松原
- 嶋崎
- 大川添
- 川添
- 下川沿
- 大外浜田(おおそとはまだ)
- 西浜田
- 外浜田
- 五百池(いおじ)
- 中浜田
- 浜田
- 深溝
- 物置場
- 横屋村三十六字
- 内田
- 六反田
- 八ノ坪(はちのつぼ)
- 久我田(くがた)
- 松本(まつもと)
- 井手(いで)
- 劒キ(つるぎ)
- 丁ノ坪(ちよのつぼ)
- 川中
- 井ノ上
- 切杭(きりくい)
- 真福(まふく)
- 堂後(どうご)
- 西ノ坪
- 瀬戸(せど)
- 荒堀(あらほり)
- 道下(みちした)
- 石夕(こくしゃく)
- 宮ノ西
- 寺の西
- 古屋敷(ふるやしき)
- 西田
- 北西田
- 沢村
- 西浜
- 酉新田(とりしんでん)
- 巳新田
- 喜斉(きさい)
- 川原新田(かわはらしんでん)
- 大川原(おおがわら)
- 青木前(あおきまえ)
- 溝崎(みぞさき)
- 高田
- 南小路(みなみしょうじ)
- 北小路
- 神楽岩(かぐらいわ)
交通機関
編集鉄道
編集道路
編集- 領域内には現在の国道43号が開設されたが、国道指定は神戸市への合併後の1953年である。
参考文献
編集- 『魚崎町誌』魚崎町誌編纂委員会、1957年。
- 神戸新聞出版センター(編集・制作) 編『兵庫県大百科事典 上巻』神戸新聞出版センター、1983年。
- 原田 健 編『東灘区25年』東灘区役所、1976(昭和51)年。
脚注
編集- ^ 高潮の阪神沿道で三百人行方不明『大阪毎日新聞』昭和9年9月22日号外(『昭和ニュース事典第4巻 昭和8年-昭和9年』本編p229 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
- ^ 同時に、住吉村域の村有財産については住吉学園に引き継がれている。
- ^ “神戸市魚崎財産区 | 横屋会館・魚崎会館・魚崎西町会館・魚崎わかばサロン”. uozaki.net. 2021年12月10日閲覧。