鬼塚古墳 (玖珠町)
鬼塚古墳(おにづかこふん)は、大分県玖珠郡玖珠町小田(おた)にある古墳。形状は円墳。大分県指定史跡に指定されている。
鬼塚古墳 | |
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墳丘・石室開口部 | |
所在地 | 大分県玖珠郡玖珠町大字小田(字中通) |
位置 | 北緯33度16分22.30秒 東経131度7分22.20秒 / 北緯33.2728611度 東経131.1228333度座標: 北緯33度16分22.30秒 東経131度7分22.20秒 / 北緯33.2728611度 東経131.1228333度 |
形状 | 円墳 |
規模 |
直径12m 高さ4m |
埋葬施設 | 横穴式石室 |
史跡 | 大分県指定史跡「鬼塚古墳」 |
特記事項 | 装飾古墳 |
地図 |
概要
編集大分県西部、玖珠盆地西部の玖珠川南岸、伐株山西麓の小扇状地上に築造された古墳である。現在は墳丘外表は河原石で覆われ、墳頂には小社の社殿が建てられている。これまでに発掘調査は実施されていない。
墳丘の周囲は削平されており、現在の墳丘は直径約12メートル・高さ約4メートルの円墳状を呈する[1]。埋葬施設は両袖式の横穴式石室で、西方向に開口する。玄室・前室・羨道からなる複室構造で、玄室奥壁・玄室左右側壁・玄門右前面には赤色顔料を主体とする同心円文・円文などの装飾が認められる。石室内の副葬品は詳らかでない。
築造時期は、古墳時代後期の6世紀後半ごろと推定される[2][1]。玖珠川左岸における首長墓として位置づけられ、装飾の絵柄から日岡古墳(福岡県うきは市)など筑後・浮羽地域との交流が示唆される[1]。
埋葬施設
編集埋葬施設としては両袖式横穴式石室が構築されており、西方向に開口する。玄室・前室・羨道からなる複室構造の石室である。石室の規模は次の通り[3]。
- 玄室:長さ約3メートル、幅2.2メートル、高さ3メートル
- 前室:長さ1.6メートル、幅1.6メートル、高さ2.1メートル
玄室の平面形はやや胴張りである。玄室奥壁、玄室左右側壁、玄門右前面の4箇所で装飾が認められる。装飾は赤色顔料を基本とするが、一部に白色・黄色の顔料が認められる。玄室奥壁中央部には大形の三重の同心円文を、その上部には舟を表した弧状の文様を描き、大形の同心円文の周辺に小形の同心円文や円文などを描く。玄室右側壁では同心円文・円文を、左側壁では円文や人物を描く。また玄門右前面では、車輪状文・円文を描く[2][1]。
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玄室(奥壁方向)
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玄室奥壁の装飾
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玄室(開口部方向)
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前室(開口部方向)
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前室(玄室方向)
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開口部
文化財
編集大分県指定文化財
編集- 史跡
- 鬼塚古墳 - 1953年(昭和28年)4月20日指定。
脚注
編集- ^ a b c d 玖珠町史 下巻 2001.
- ^ a b 大分県の装飾古墳 1996.
- ^ 鬼塚古墳(古墳) 1989.
参考文献
編集(記事執筆に使用した文献)
- 史跡説明板(玖珠町教育委員会・玖珠町文化財調査員会設置)
- 地方自治体発行
- 事典類
- 「鬼塚古墳」『大分県の地名』平凡社〈日本歴史地名大系45〉、1995年。ISBN 4-582-49045-X。
- 甲斐忠彦「鬼塚古墳」『日本古墳大辞典』東京堂出版、1989年。ISBN 4-490-10260-7。
関連文献
編集(記事執筆に使用していない関連文献)
- 『大分の装飾古墳』大分県教育委員会〈大分県文化財調査報告書第92輯〉、1995年。
外部リンク
編集- 鬼塚古墳 - 玖珠町ホームページ