高橋雄之助
高橋 雄之助(たかはし ゆうのすけ、1907年(明治40年)5月28日[1] - 1983年(昭和58年)1月24日[2][3])は、日本の政治家。参議院議員(2期)。
高橋雄之助 たかはし ゆうのすけ | |
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生年月日 | 1907年5月28日 |
出生地 |
日本 秋田県南秋田郡旭川村 (現・秋田県秋田市) |
没年月日 | 1983年1月24日(75歳没) |
所属政党 |
(日本農民党→) 自由民主党 |
称号 |
正四位 勲二等旭日重光章 |
選挙区 | 北海道選挙区 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1965年7月4日 - 1977年7月3日 |
北海道議会議員 | |
選挙区 | 十勝支庁管内選挙区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1947年 - 1951年 |
来歴
編集秋田県南秋田郡旭川村(現・秋田市)生まれ[4]。14歳のとき、北海道河西郡芽室町上美生に移住[4]。
1947年(昭和22年)の北海道議会議員選挙に日本農民党公認で十勝支庁管内選挙区から立候補して初当選を果たした[5]。1948年(昭和23年)芽室町農業協同組合設立と同時に組合長就任(1979年まで)[6]。道議会議員は1期で退任した[7]。1957年(昭和32年)JA北海道中央会長(1972年まで)[8]。
1965年(昭和40年)第7回参議院議員通常選挙に北海道選挙区から出馬し、初当選(自由民主党)[9]。1968年(昭和43年)第2次佐藤第1次改造内閣北海道開発政務次官就任[10]。1971年(昭和46年)第9回参議院議員通常選挙再選[11]。1976年(昭和51年)福田赳夫内閣北海道開発政務次官[12]。1977年(昭和52年)第11回参議院議員通常選挙で、北農中央会副会長の北修二を後継者として政界引退[13]。同年秋の叙勲で勲二等旭日重光章[14]。同年8月芽室町社会福祉事業費として100万円寄付により同年11月30日紺綬褒章受章[15]。
1979年(昭和54年)芽室町名誉町民。1983年1月24日、脳血栓のため死去した[3]。死没日をもって正四位に叙される[16]。
1984年(昭和59年)芽室公園に胸像が建立された。
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ 『北海道年鑑 昭和58年版 411コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『議会制度百年史 貴族院・参議院議員名鑑 184コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ a b 『酪農事情 43(3)(482) 40コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ a b 十勝20世紀 第2部×政治編(8) at the Wayback Machine (archived 2016-03-18)
- ^ 『北海道議会史 第5巻 181コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ “JAめむろ|JAめむろについて”. www.ja-memuro.or.jp. 2024年9月25日閲覧。
- ^ 『北海道議会史 第5巻 190コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ “沿革”. JA北海道中央会. 2024年9月25日閲覧。
- ^ 『国会便覧 昭和40年版 改訂新版 163コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『酪農事情 28(9)(308) 34コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『国会便覧 昭和46年8月版 166コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『全建ジャーナル 16(2)(182) 18コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ “北海道選挙区 - 第11回参議院議員選挙(参議院議員通常選挙)1977年07月10日投票 | 選挙ドットコム”. 選挙ドットコム. 2024年9月25日閲覧。
- ^ 「高橋 雄之助」『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』 。コトバンクより2023年1月6日閲覧。
- ^ 『官報』第15273号10-14頁 昭和52年12月8日号
- ^ 『官報』第16798号11-12頁 昭和58年2月1日号
議会 | ||
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その他の役職 | ||
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