高橋節雄
大日本帝国海軍軍人
高橋 節雄(たかはし よしお[1]、1878年(明治11年)2月3日[2] - 1971年(昭和46年)4月1日[2])は、大日本帝国海軍軍人。最終階級は海軍少将。島根県松江市長、神奈川県横須賀市長。
経歴
編集島根県出身[1]。1898年(明治31年)に海軍兵学校を卒業し、海軍少将に昇進[1]。
予備役編入後は松江市長を経て、1930年(昭和5年)9月、横須賀市長に就任した[3]。就任後は赤字整理を提案し、1932年(昭和7年)2月には「市営住宅及び住宅資金滞納整理並びに稲楠交換土地処分案」を全会一致で樹立し、財政大変革を進めた[3]。
しかし、世界的な海軍軍縮の流れを受け、市の財政はさらなる困窮を極め、市政界は混乱し、政友会と民政党などの確執が表面化した[3]。ついに1932年(昭和7年)3月、政友会議員らは市長不信任の決議案を提出、賛成多数で可決されたため、間もなく病を理由に市長を辞職した[3]。
その他、海軍協会理事を務めた[1]。1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[4]。
墓所は多磨霊園(10-1-6)
栄典
編集著作
編集- 述『非常時海軍と太平洋』積文館書店、1934年。
脚注
編集参考文献
編集- 人事興信所編『人事興信録 第14版 下巻』人事興信所、1943年。
- 歴代知事編纂会 編集『日本の歴代市長 : 市制施行百年の歩み』 第1、歴代知事編纂会、1983年。
- 福川秀樹『日本海軍将官辞典』芙蓉書房出版、2000年。