高梨 東太(たかなし とうた、1848年8月1日嘉永元年7月3日[1]) - 1919年大正8年)10月2日[2])は、日本の政治家衆議院議員(1期)。

高梨東太

経歴

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福岡県出身[2]。博多汽船(株)監査役、鉱業会社社員となる[2]

1902年第7回衆議院議員総選挙において隠岐選挙区から立憲政友会公認で立候補して当選した[3]。衆議院議員を1期務め、1903年第8回衆議院議員総選挙で落選した[4]。1919年に死去した。

脚注

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  1. ^ 衆議院 編『『第十七回帝国議会衆議院議員名簿』』衆議院公報附録、1902年、21頁。NDLJP:900093 
  2. ^ a b c 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』376頁。
  3. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』37頁。
  4. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』42頁。

参考文献

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  • 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。