高木 章(たかぎ あきら、1904年明治37年)5月12日[1] - 1966年昭和41年)11月17日)は、日本教育者政治家国際短期大学の創立者にして初代学長。息子は二代目学長の高木一明衆議院議員(1期)。東京出身。

高木 章
たかぎ あきら
生年月日 1904年5月12日
出生地 東京府
没年月日 (1966-11-17) 1966年11月17日(62歳没)
出身校 日本大学専門部法律科
前職 財団法人国際学園理事長
所属政党民主自由党→)
自由党

選挙区 東京4区
当選回数 1回
在任期間 1949年1月24日 - 1952年8月28日
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経歴

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1926年日本大学専門部法律科卒業。同専門部法律科副手に就く。

1928年より二松學舍専門学校講師。1933年中野高等無線電信学校を創立し、幹事に就任。

1941年、財団法人中野学園を設立し、同理事長に就任。中野学園中学校旧制)を創立。

1946年、国際外国語学校(国際短期大学の前身)を創立し、同学校長に就任。

1948年、財団法人中野学園を財団法人国際学園に改称し、中野学園中学校(旧制)を国際中学校と国際高等学校に変更。

1949年第24回衆議院議員総選挙東京4区より民主自由党の公認を受けて立候補し、初当選。同年、民主自由党の政調会文部副部長に就任する。

1950年、国際外国語学校を母体として国際短期大学を創立し、同初代学長に就任。

1951年、学校法人国際学園初代理事長に就任。

1952年第25回衆議院議員総選挙で民主自由党の後継政党の自由党公認で出馬するも落選。以後、数度立候補するものの落選し、政界を引退する。

1953年より二松學舍大学文学部客員教授に就任(1966年まで)。

脚注

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  1. ^ 『日本人事録 第6版』全国篇、541頁。

参考文献

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  • 『日本人事録 第6版』全国篇、中央探偵社、1963年。
  • 『歴代國会議員名鑑』議会制度研究会、1995年。
  • 衆議院参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 宮川隆義編『歴代国会議員経歴要覧 : 議会百周年記念』政治広報センター、1990年。
  • 『学校創立者人名事典』日外アソシエーツ、2007年。