高木正恒

日本の江戸時代中期の大名。江戸幕府旗本板倉重行次男で、河内丹南藩6代藩主高木正陳養子。丹南藩7代藩主。従五位下若狭守

高木 正恒(たかぎ まさつね)は、江戸時代中期の大名河内国丹南藩の7代藩主。官位従五位下若狭守

 
高木正恒
時代 江戸時代中期
生誕 正徳4年(1714年
死没 寛保3年6月4日1743年7月24日
改名 鉄之助(幼名)、正恒
戒名 法源院
墓所 東京都杉並区永福の栖岸院
官位 従五位下若狭守
幕府 江戸幕府
主君 徳川吉宗
河内丹南藩
氏族 板倉氏(重昌系)、高木氏
父母 板倉重行
高木正陳
松平忠暁
正弼
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略歴

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大身旗本板倉重行(4代藩主・高木正盛の三男で板倉重直の養子)の次男として誕生した。幼名は鉄之助。正室は松平忠暁の娘。

享保4年(1719年)11月2日、先代藩主・高木正陳の養嗣子となった。享保13年(1728年)2月28日、8代将軍・徳川吉宗御目見した。享保15年12月18日(1731年)、従五位下、若狭守に叙任した。寛保元年(1741年)4月2日、正陳の死去により跡を継いだ。

寛保3年(1743年)6月4日、30歳で死去した。法号は法源院。墓所は東京都杉並区永福の栖岸院。跡を長男の正弼が継いだ。