高木正坦
日本の江戸時代後期~明治時代後期の大名・知藩事。美作津山藩主一門松平維賢四男で、河内丹南藩11代藩主高木正明養子。丹南藩12代藩主。従五位下主水正。大番頭を勤めた
高木 正坦(たかぎ まさひら)は、江戸時代後期の大名。河内国丹南藩の12代藩主。官位は従五位下・主水正。
高木正坦 | |
時代 | 江戸時代後期 - 明治時代 |
生誕 | 文政12年3月13日(1829年4月16日) |
死没 | 明治24年(1891年)1月31日 |
改名 | 善次郎(幼名)、正 |
戒名 | 高樹院殿風誉様堂正坦大居士 |
墓所 | 東京都杉並区永福の栖岸院 |
官位 | 従五位下・主水正 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家慶、家定、家茂、慶喜、明治天皇 |
藩 | 河内丹南藩主 |
氏族 | 津山松平家→高木氏 |
父母 |
松平維賢 高木正明 |
兄弟 | 敏、五島盛貫、秋山正光、松平信発、正坦、内藤忠善 |
妻 | 一柳末延娘 |
子 |
堀田正亨、正秋 正善 |
略歴
編集松平維賢(津山藩主松平康哉の四男)の四男として誕生した。先代藩主・高木正明に嗣子が無かったためその養嗣子となり、嘉永元年(1848年)5月15日、12代将軍・徳川家慶に拝謁する。同年8月23日、正明の隠居により家督を継いだ。同年12月16日、従五位下・主水正に叙任した。文久3年(1863年)9月10日、大番頭となる。
慶応元年(1865年)10月24日、辞任する。慶応4年3月16日、上洛する。明治2年(1869年)6月24日、版籍奉還により知藩事に就任する。同年11月18日、隠居し、養嗣子の正善に家督を譲った。明治24年(1891年)正月31日、63歳で死去した。法号は高樹院殿風誉様堂正坦大居士。墓所は東京都杉並区永福の栖岸院。