高木惟矩
高木 惟矩(たかぎ これのり、1838年(天保9年[1]) - 1886年(明治19年)7月3日[1][注 1])は、幕末の福井藩士。明治時代の官吏。筑摩県参事。通称は庄次郎[1][2]。
経歴
編集福井藩士、高木庄右衛門延清の子[2]。1857年(安政4年2月)明道館の外塾助となり、1859年(安政6年2月)同館役輩、1861年(文久元年11月)製造方見習、同年12月、製造方を経て、1864年(元治元年4月)大番組として京都堺町御門警衛詰となる[2]。戊辰戦争に従軍[1]。
維新後は、1869年(明治2年10月)高山県大参事[1]、筑摩県権参事を経て、1874年(明治7年)3月、筑摩県参事に就任[3][4]。1876年(明治9年)8月まで務めた[3][4]。
1879年(明治12年)宮城県黒川・加美郡長に任じ、1880年(明治13年)新潟県勧業課長となった[1]。1886年(明治19年)7月3日、東京で病没した[1]。
栄典
編集- 位階
脚注
編集注釈
編集- ^ 『越前人物志 上』696頁では明治19年1月3日没。
出典
編集参考文献
編集- 保科保 編『地方沿革略譜』報告社、1882年 。
- 福田源三郎『越前人物志 上』玉雪堂、1910年 。
- 大植四郎 編『国民過去帳 明治之巻』尚古房、1935年 。
- 赤羽篤ほか 編『長野県歴史人物大事典』郷土出版社、1989年。ISBN 4876631263。