高井戸宿
東京都杉並区にあった甲州街道の宿場
高井戸宿(たかいどしゅく)は、かつて甲州街道にあった上高井戸宿および下高井戸宿の合宿[1]。現在の杉並区高井戸にあった。
概要
編集通行大名が少なく、脇本陣は置かれなかった。当初は甲州街道の一番目の宿場であったが、後に内藤新宿が設置され、次第に素通りするものが多くなった。
周辺住民は農業を主としており、一宿で継ぎ立てを勤められず、月初から15日までを下高井戸宿、16日から月末までを上高井戸宿が勤める[2]合宿としていた。
助郷村は、久我山村、和泉村、松庵村、田端村(1751年(宝暦元年)-1767年(明和4年))、成宗村(1751年(宝暦元年)-1767年(明和4年)、久我山村代助郷)。
下高井戸宿
編集上高井戸宿
編集沿革
編集- 1602年(慶長7年) - 高井戸宿が設けられる。
- 1604年(慶長9年) - 上・下高井戸宿に分けられる。
- 1673年(延宝元年) - 1680年(延宝8年)ころ - 旅籠が24軒存在。
- 1698年(元禄11年) - 内藤新宿が設置され、高井戸宿は甲州街道の第二番目の宿場となる。
- 1781年(天明元年) - 1789年(寛政元年)ころ - 旅籠が6軒存在。
- 1839年(天保10年) - 下高井戸宿の本陣は、すでになかった[3]。
- 1843年(天保14年)ころ - 旅籠は、上高井戸宿で2軒、下高井戸宿で3軒。
- 1872年(明治5年)[西暦年要検証] - 駅制業務は、明治政府が管掌し、半強制的に新たな陸運会社が置かれ、旧高井戸宿では旧宿場役人を中心に「高井戸駅陸運会社」を設立する。