青木 戒三(あおき かいぞう、1880年明治13年)6月 - 1934年昭和9年)3月17日)は、朝鮮総督府官僚

経歴

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秋田県出身。1905年(明治38年)に東京帝国大学法科大学独法科を卒業し、大学院に学んだ[1]高等文官試験に合格し、1908年(明治41年)より石川県事務官を務めた[1]。その後、統監府書記官、同警視、朝鮮総督府書記官、農商工部水産課長、殖産局水産課長、鉄道局長専売局長を歴任[1]1925年大正14年)、全羅北道知事となり、翌年に平安南道知事に転じた[1]

1929年昭和4年)に退官した後は、昭和水利組合嘱託を務めた[2]

1934年(昭和9年)3月17日肺炎及び糖尿病のため死去、53歳[3]。持病の糖尿病で道立病院に入院中であった同月9日に肺炎を併発していた[3]

親族

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脚注

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  1. ^ a b c d 人事興信録 1928.
  2. ^ a b c 大衆人事録 1931.
  3. ^ a b 青木戒三氏逝去 十七日糖尿病と肺炎で」『京城日報』京城日報社、1934年3月19日、夕刊、1面。2024年3月19日閲覧。

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。 
  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第3版』帝国秘密探偵社、1931年。