青山重長
青山 重長(あおやま しげなが)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将。徳川家の家臣。
時代 | 安土桃山時代 - 江戸時代前期 |
---|---|
生誕 | 天正6年(1578年) |
死没 | 寛永16年11月4日(1639年11月28日) |
別名 | 善四郎(通称) |
戒名 | 門栄 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家康、秀忠、家光 |
氏族 | 青山氏 |
父母 | 青山正長、大久保忠益娘 |
兄弟 | 重長、後藤光次室、青山重勝室、青山利政室 |
子 | 重勝、利政、盛長 |
生涯
編集天正13年(1585年)徳川秀忠付きとして出仕し、天正16年(1588年)小姓に取り立てられる。天正18年(1590年)小田原征伐に従軍。慶長3年(1598年)使番となり、慶長5年(1600年)第二次上田合戦に従軍して武功を立てた。慶長10年(1605年)秀忠の上洛に従い、参内の際にはその随身役を務めた。慶長12年(1607年)父の死に従い家督を継ぎ、遺領と合わせて2500石を領する。慶長17年(1612年)目付に任命されて伏見城に入る。末年の大坂の陣にはいずれも従軍し、天王寺・岡山の戦いでは旗本衆に先駆けて武功を立てるが、戦後に抜け駆けを咎められて改易蟄居となった。この際、養子(従弟)の重勝は別家を立てて独立している。元和7年(1621年)徳川家光に再出仕し、甲斐国内に2000石を与えられる。以後は神戸藩・伊勢亀山藩や松本藩などの大名転封の引き渡し役を歴任している。
寛永16年(1639年)没。実子はなく、従弟(叔父正成の子)の利政が家督を継いだ。また別家した重勝の子盛長も養子にとっている。
系譜
編集参考文献
編集- 『寛政重修諸家譜』巻第730