雲南陸軍講武堂
雲南陸軍講武堂(うんなんりくぐんこうぶどう)は、清末の雲南省に創設された軍事学校。中華民国の時代になると、雲南陸軍講武学校と改称された。雲南講武堂と略称されることもある。
概要
編集1908年(光緒34年)に設立準備が開始され、翌年8月、昆明の翠湖において開学した。総弁(校長)は胡景伊・高爾登・李根源らが務めている。甲乙丙の3班で構成され、後に特別班が増設された。兵科は、歩兵・騎兵・砲兵・工兵の4科があった。学習期間は、1年半と2年半の2種類で、後者は特別班である。特別班では、国文・倫理・器械画・算術・地理・歴史・英語・フランス語・歩兵操典・射撃教範などをまず学び、1年後、兵科ごとに分けられ、専門的に軍事を学んだ。
雲南陸軍講武堂の教官・学生には、中国同盟会に所属する者が多く、また、日本陸軍士官学校卒業生の教官も目立つ。1911年(宣統3年)10月、武昌起義に呼応した昆明重九起義(雲南辛亥革命)では、講武堂の教官・学生たちが革命派の軍隊として蜂起している。講武堂出身者は、雲南派形成においても中核となり、護国戦争(第三革命)でも護国軍の主力を担った。
1912年(民国元年)、雲南陸軍講武堂は雲南陸軍講武学校と改称され、唐継尭・顧品珍・何応欽・竜雲らが校長を歴任している。22期にわたり学生を輩出し、1927年(民国16年)、廃校となった。
主な卒業生としては、竜雲・盧漢ら雲南派の軍人たちだけでなく、中国共産党の朱徳・葉剣英といった中国人民解放軍創設者たちもあげられる。また、昆明市五華区にある陸軍講武堂の建物は近年修復され、一般にも公開されている。
教員
編集- 雲南陸軍講武堂総弁
- 韓建鐸(1907年-1907年、準備段階)
- 胡景伊(1907年-1909年、準備段階)
- 高爾登(1909年-1910年)
- 李根源(1910年5月-1911年8月22日)
- 張毅(1911年-1912年)
- 謝汝翼(1912年-1912年)
- 雲南陸軍講武学校校長
- 劉祖武(1912年-1913年)
- 顧品珍(1914年-1915年)
- 張子貞(1916年-1916年)
- 韓鳳楼(1917年-1917年)
- 鄭開文(1917年-1918年)
- 呉和宣(1918年-1918年)
- 唐継虞(1919年-1919年)
- 唐継虞(1920年-1920年、高等軍事学校校長)
- 韓建鐸(1921年-1921年)
- 戢翼翹(?-?)
- 劉国棟(1923年-1925年)
- 高向春(1926年-1926年、講武学校予科主任)
- 竜雲(1927年-1927年)
- 胡若愚(1927年-1927年)
- 呉和宣(1928年-1928年)
- 王兆翔(1928年-1928年)
- 教官
卒業生
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第3期
第4期
第12期
第16期
第17期
第18期
参考文献
編集- 雲南辞典編輯委員会編『雲南辞典』雲南人民出版社、1993年。ISBN 7-222-01264-8。
- 王新生ほか主編『中国軍閥史詞典』国防大学出版社、1992年。ISBN 7-5626-0244-1。