雲伯

島根県東部と鳥取県西部の併称

雲伯(うんぱく)は、令制国にいう出雲国島根県東部)と伯耆国鳥取県西部)の併称である。

概要

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雲伯という呼び名は、字義通りには令制国における出雲国と伯耆国の2か国のことであり、この両国をまとめて指す場合に用いられる。しかし、それ以外にも、出雲国と伯耆国の国境地帯である「雲伯国境域」を指すのに用いられる場合や、弥生時代古墳時代の「古代出雲」を念頭に置いて用いられる場合などがある。特に「古代出雲」を指す場合、「雲伯」は単なる併称というよりは、出雲・伯耆を一体として山陰の中核ととらえる見方を反映したものであることが多い。なお、出雲・伯耆の順で並び称するのは、古事記イザナミの埋葬地を示して「出雲国と伯伎国との堺の比婆之山に葬りき」[1]とあるのに遡ることができる。

出雲・伯耆は考古学言語学の見地からきわめて似通っており、これらの分野では両地域を指して雲伯と呼ぶことが多い。雲伯では地質学的理由から不純物の少ない良質な真砂砂鉄が産出し、古くからの産地として名を馳せていた。雲伯に残る弥生時代の遺跡や古墳は質・量とも日本でも指折りであり、一大製鉄文化の栄えた往年を偲ばせる。また、この地域の方言である雲伯方言は一般には出雲弁として知られるが、厳密には出雲弁は雲伯方言の下位区分の一つである。

雲伯の中心的地域には鳥取県米子市と島根県安来市一帯が相当し、現在この地域を指す場合には米子安来地域あるいは安来地方という呼称を用いることが多いが、「雲伯」は近代以降もたとえば雲伯鉄鋼合資会社(現在の日立金属安来工場。日本初の特殊鋼メーカーとして知られる)の名前に用いられた例がある。

一方、東伯耆地方(倉吉市東伯郡)は伯耆国に属してはいるが、伯耆大山に往来を遮られているためか、同じ伯耆国あるいは雲伯地方よりも、むしろ隣接する因幡国と歴史的に関係が深い。また言語、文化においても東伯耆と因幡の類似が認められることから、東伯耆を雲伯に含めないことがある。ただし、考古学的調査によると山陰一帯から北陸にかけて四隅突出型墳丘墓という独特の墓制がみられることから、大和朝廷の勃興以前には、同一の様式を共有する「大出雲」と呼べるような先史王朝が存在したとも考えられている。

出典

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  1. ^ 古事記ビューアー - 伊耶那美の神避り”. 国学院大学. 2024年8月16日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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