阿蘇(あそ)は日本海軍の未成航空母艦[16]雲龍型航空母艦の5番艦[3]

阿蘇
呉軍港1946年12月20日
呉軍港1946年12月20日
基本情報
建造所 呉海軍工廠[1]
運用者  大日本帝国海軍
艦種 航空母艦[2][3]
級名 雲龍型[2]
建造費 予算 93,442,000円[4]
母港[5]
艦歴
計画 昭和18年[6](改⑤計画[7])
発注 1942年6月29日訓令[8]
起工 1943年6月8日[1]
進水 1944年11月1日[1]
その後 建造中止[6]
戦後解体[6]
要目(計画)
基準排水量 1943年9月時計画 17,260英トン[9]
公試排水量 1943年9月時計画 20,200トン[9]
全長 227.35m[10]
水線長 223.0m[9][10]
垂線間長 206.52m[10]
水線幅 22.0m[9][10]
深さ 20.5m(飛行甲板上面まで)[9][10]
飛行甲板 216.90m x 27.00m[10]
エレベーター2基[11]
吃水 1943年9月時計画 7.78m[9]
ボイラー ロ号艦本式缶(空気余熱器付)8基[1]
主機 艦本式タービン(高中低圧)4基[1]
推進 4軸[9] x 340rpm、直径3.800m[12]
出力 104,000馬力[9]
速力 32.0ノット[9]
燃料 重油 3,750トン[10][9]
航続距離 8,000カイリ / 18ノット[9]
搭載能力 魚雷36本[9]
爆弾 800kg48個、500kg48個、250kg46個、40kg46個[13]
兵装 1943年9月時計画[9]
40口径12.7cm連装高角砲6基
25mm3連装機銃13基
九五式爆雷6個
装甲 計画[9]
弾薬庫舷側:100-95mmNVNC鋼
同甲板:56mmCNC1鋼
機関室(軽質油タンク)舷側:25mmDS鋼x2
同甲板:25mmCNC2鋼
搭載艇 12m内火艇3隻、12m内火ランチ2隻、8m内火ランチ1隻、9mカッター2隻、6m通船1隻、13m特型運貨船2隻[11]
搭載機 基本計画時(常用+補用)[14]
零式艦上戦闘機 12+3機
九九式艦上爆撃機 27+3機
九七式艦上攻撃機 18+2機
計 常用57機 補用8機
1944年10月時計画[13]
戦闘機18機
爆撃機18機
攻撃機18機
偵察機3機
計 57機
ソナー 探信儀1組[15]
その他 カタパルト(後日装備計画)[14]
テンプレートを表示

概要

編集

艦名は九州阿蘇山による。艦名は装甲巡洋艦の「阿蘇」に次いで2番目。他の候補艦名は身延[17]。終戦直前、特攻兵器の標的艦となった。

艦歴

編集

1942年(昭和17年)度策定の改⑤計画により第5006号艦として計画された[18]。主機の生産が間に合わず、「葛城」と同様に駆逐艦用の主機を2組搭載した[19][注釈 1]。そのため出力は104,000馬力、速力は32ノット雲龍は152,000馬力、34ノット)に低下する計画だった[9][20]1943年(昭和18年)6月8日、本艦は呉海軍工廠で起工[1][21]

1944年(昭和19年)9月5日に「阿蘇」と命名[22]、雲龍型の5番艦とし[2]、本籍は呉鎮守府と仮定された[23]。同年11月1日に進水[1][16]、同日附で呉鎮守府[5]。だが11月9日に進捗率60%、上部構造未着手の状態で工事は中止された[18][16]

1945年(昭和20年)5月20日、大本営は海軍省軍務局長・海軍航空本部・海軍艦政本部両総務部長に対し、現用特攻機の威力不足を指摘した上で「画期的威力増大のため至急研究実現に努力されたし」と要望、その概要を示した[24]。これにより、新型爆弾の実験を実際の大型艦で行うことになった。当初、軍令部伊勢型戦艦2隻(伊勢日向)のどちらかを標的艦とする予定だったが、諸事情により未完成中型空母「阿蘇」を使用することになる[24][25]。当時の「阿蘇」は1万トン程度の排水量しかなかったという[26]

その後、二度にわたりV頭部魚雷、頭部V爆弾(炸裂威力増大のため、内部に特別の加工を施した爆弾。桜花搭載用)、通常爆弾、陸軍考案の「桜弾」の各種爆発実験が「阿蘇」を対象にして実施された[24][27]。呉海軍工廠の妹尾知之工廠長の指揮下で行われた実験のうち、有名なものが倉橋島大迫特殊潜航艇基地沖において成形火薬を利用した日本陸軍の体当たり爆弾桜弾(さくら弾)の実験である。実験は「阿蘇」艦尾部にを設置して桜弾を設置(飛行甲板の高さ)[28]、爆発させるという手順で実施された[29]。本実験については知識を欠いた用兵者の思いつきと暴走とする批判もある[29]

結果は、モンロー効果により爆風は上甲板・中甲板・下甲板・艦底を貫通したが、浸水区画は限定的(浸水量150トン)であった[30][28][31]。「阿蘇」は5度傾斜したのみで沈没には至らず、その後次第に浸水し着底。このときの様子を記録した白黒写真が存在する[18]。着底は7月24日の米艦載機の爆弾によるものとする説もある。

戦後、「阿蘇」は1946年(昭和21年)12月20日浮揚、翌21日から播磨造船呉船渠(旧呉海軍工廠)で解体が開始され1947年(昭和22年)4月26日に解体を完了した[32]

年表

編集
  • 1943年(昭和18年)6月8日 - 呉海軍工廠にて起工。
  • 1944年(昭和19年)11月1日 - 進水。
  • 1945年(昭和20年)7月 - 陸軍特攻機用に開発した新型爆弾さくら弾の爆発効果実験に使用、倉橋島北東部の奥ノ内沖で浸水により着底したがそのまま放置された。
  • 1946年(昭和21年)12月20日 - 浮揚に成功、翌日より播磨造船呉船渠(旧呉海軍工廠)によって解体開始。
  • 1947年(昭和22年)4月26日 - 解体終了。

同型艦

編集
雲龍 - 天城 [III] - 5002 - 葛城 [II] - 笠置 [II] - 5005 - 阿蘇 [II] - 生駒 [II] - 鞍馬 [II] - 5009 - 5010 - 5011 - 5012 - 5013 - 5014 - 5015

脚注

編集

注釈

編集
  1. ^ #海軍造船技術概要p.267、#写真日本の軍艦第3巻p.232では「陽炎型駆逐艦」と書かれているが、#主要々目及特徴一覧表の備考欄には「但し葛城、阿蘇は駆乙用機関4基」の記載がある。

出典

編集
  1. ^ a b c d e f g #昭和造船史1pp.780-781
  2. ^ a b c #昭和19年8月~9月秘海軍公報9月(1)p.41、内令第一〇三六號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 昭和十九年九月五日 海軍大臣 軍艦、航空母艦雲龍型ノ項中「葛城」ノ下ニ「、笠置、阿蘇、生駒」ヲ加フ
  3. ^ a b #艦艇類別等級表(昭和19年11月30日)p.3「航空母艦| |雲龍型|雲龍、天城、葛城、笠置、阿蘇、生駒|」
  4. ^ #戦史叢書海軍軍戦備(2)p.37
  5. ^ a b #内令第1226号p.39「内令第一二二六號|軍艦 阿蘇 右本籍ヲ呉鎮守府ト定メラル|横須賀鎮守府予備海防艦 第六號海防艦 右警備海防艦ト定メラル|第十三號輸送艦 右本籍ヲ横須賀鎮守府ト定メラル|昭和十九年十一月一日 海軍大臣」
  6. ^ a b c #日本航空母艦史p.92
  7. ^ #戦史叢書海軍軍戦備(2)pp.32-43
  8. ^ #S17.5.1-S17.8.31呉鎮日誌(2)画像57、昭和17年6月30日作戦経過概要「官房機密第7881号ニ依リ第5006号艦製造ノ件指令」
  9. ^ a b c d e f g h i j k l m n o #海軍造船技術概要p.1599、「新造艦船主要要目一覧表 昭和18年9月1日 艦本総二課」
  10. ^ a b c d e f g 「航空母艦 一般計画要領書 附現状調査」p.3、第302号艦型の計画値。「註.本表ハ(以下記載計画ノ項モ同様)昭和十六年十月二十日艦本機密第一二号ノ一〇〇(数文字不明)ヲ大臣ニ報告セル当時ノモノヲ示ス」。ページ数の記載が無いので、ページ数は戦後に複写された版からとる(以下の出典の「一般計画要領書」でも同様)。
  11. ^ a b 「航空母艦 一般計画要領書 附現状調査」p.45
  12. ^ 「航空母艦 一般計画要領書 附現状調査」p.34
  13. ^ a b #主要々目及特徴一覧表#海軍造船技術概要p.1601も同一内容
  14. ^ a b 「航空母艦 一般計画要領書 附現状調査」p.30
  15. ^ 「航空母艦 一般計画要領書 附現状調査」p.11
  16. ^ a b c #海軍軍備(4)p.18「新艦|阿蘇(三〇二型)|二〇.九.末|(未完60%)|一九.一一.一進水/一九.一一.九工事中止指令」
  17. ^ 参考文献「片桐大自(1993)、78頁」(項目名:天城)によれば、遠藤昭氏の「世界の艦船」No.129 掲載記事にもとづく候補艦名。
  18. ^ a b c #写真日本の軍艦第3巻p.250上の写真及びその解説。
  19. ^ #海軍造船技術概要p.266
  20. ^ #写真日本の軍艦第3巻p.232
  21. ^ #S1805呉鎮(2)p.58「八|雨 二〇 二|雨 二三 六|(略)呉工廠ニ於テ第五〇〇六號艦起工(以下略)」
  22. ^ #昭和19年8月~9月秘海軍公報9月(1)p.33、達第二九三號 昭和十八年度ニ於テ建造ニ着手ノ軍艦三隻ニ左ノ通命名セラル 昭和十九年九月五日 海軍大臣 三菱重工業株式會社長崎造船所ニ於テ建造 軍艦 笠置(カサギ) 呉海軍工廠ニ於テ建造 軍艦 阿蘇(アソ) 川崎重工業株式會社ニ於テ建造 軍艦 生駒(イコマ)
  23. ^ #昭和19年8月~9月秘海軍公報9月(1)pp.44-45、内令第一〇四六號 軍艦 笠置 右本籍ヲ横須賀鎮守府ト假定ス 軍艦 阿蘇 右本籍ヲ呉鎮守府ト假定ス 軍艦 生駒 右本籍ヲ舞鶴鎮守府ト假定ス 昭和十九年九月五日 海軍大臣
  24. ^ a b c #戦史叢書海軍軍戦備(2)145-146頁「四 特攻機威力増大方策実施の推移」
  25. ^ #海軍軍備(6)p.59「(註)五月下旬実艦的を使用し射出機より特攻機を射出し其の威力を実験せんとの要望軍令部より提出せられ、当初伊勢、日向の一艦を実験用に充当するの予定なりしも諸種の事情により阿蘇を使用することとなれり」
  26. ^ #海軍軍備(6)p.59「使用機|阿蘇(中型空母)(未成艦にして飛行甲板なく当時の排水量一萬噸)」
  27. ^ #海軍軍備(6)p.59「呉工廠甲號実驗成績」
  28. ^ a b #海軍軍備(6)p.59「(実驗弾種)桜弾(陸軍)|(装備状況)最上甲板上飛行甲板と同高の櫓上(艦最後部)(撃角二〇度)|(結果)艦底破孔 六九〇×八〇〇 浸水一五〇T」
  29. ^ a b #日本空母物語278頁
  30. ^ #艦と人206頁
  31. ^ #海軍軍備(6)p.59「概報要領 一.四式頭部の空中炸裂威力は比較的小にして特攻兵器として使用する価値小なり/二.V爆弾は通常爆弾に比し穿孔威力大なるを以て速かに完成し通常爆弾との優劣を検討するを要す/三.桜弾は船体に与ふる損害比較的小なるも弾薬庫等命中箇所によりては艦に致命的損害を与へ得るものと認む/四.一般に穿孔弾は直線的に火焔の進行途上の物件を破壊するも少しく之に外れたるものに対しては影響少し」
  32. ^ 運輸省海運総局掃海管船部管船課「日本海軍終戦時残存(内地)艦艇処分状況(1948年3月20日現在)」p.20、#終戦と帝国艦艇(復刻版)巻末資料2。

参考文献

編集
  • 国立国会図書館デジタルコレクション - 国立国会図書館
    • 第二復員局残務處理部『海軍の軍備竝びに戦備の全貌. 其の三(開戦直前の応急軍備、戦備と(5)及び(6)計画の概要) info:ndljp/pid/8815683』1951年2月。 
    • 第二復員局残務處理部『海軍の軍備竝びに戦備の全貌. 其の四(開戦から改(5)計画発足まで) info:ndljp/pid/8815691』1951年6月。 
    • 第二復員局残務處理部『海軍の軍備並びに戦備の全貌. 其の六(敗退に伴う戦備並びに特攻戦備) info:ndljp/pid/8815696』1952年3月。 
  • アジア歴史資料センター(公式) (防衛省防衛研究所)
    • 『建造中水上艦艇主要々目及特徴一覧表』。Ref.A03032074600。 
    • 『昭和17年5月1日~昭和17年8月31日 呉鎮守府戦時日誌(2)』。Ref.C08030324900。 
    • 『昭和18年5月1日~昭和18年8月31日 呉鎮守府戦時日誌(2)』。Ref.C08030327500。 
    • 『昭和19年8月~9月 秘海軍公報/9月(1)』。Ref.C12070496600。 
    • 『昭和19年9~12月秘海軍公報号外/11月(1)』。Ref.C12070497700。 
    • 『昭和19年11月30日現在10版内令提要追録第21号原稿/巻3/第13類艦船(1)』。Ref.C13072039800。 
  • 飯尾憲士『艦と人 海軍造船官八百名の死闘』集英社、1983年7月。ISBN 4-08-772441-7 
  • 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』(光人社、1993年) ISBN 4-7698-0386-9
  • 『日本航空母艦史』 世界の艦船 2011年1月号増刊 第736集(増刊第95集)、海人社、2010年12月。 
  • (社)日本造船学会 編『昭和造船史(第1巻)』 明治百年史叢書 第207巻(第3版)、原書房、1981年(原著1977年10月)。ISBN 4-562-00302-2 
  • 福井静夫『終戦と帝国艦艇 わが海軍の終焉と艦艇の帰趨』光人社、2011年1月(原著1961年)。ISBN 978-4-7698-1488-7 
  • 福井静夫福井静夫著作集-軍艦七十五年回想記第七巻 日本空母物語』光人社、1996年8月。ISBN 4-7698-0655-8 
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書88 海軍軍戦備(2) 開戦以後』朝雲新聞社、1975年10月。 
  • 牧野茂福井静夫 編『海軍造船技術概要』今日の話題社、1987年5月。ISBN 4-87565-205-4 
  • 雑誌『丸』編集部 編『写真日本の軍艦 第3巻 空母I』光人社、1989年9月。ISBN 4-7698-0453-9 
  • 「航空母艦 一般計画要領書 附現状調査」

関連項目

編集